自作自演/ミヨーの「世界の創造」 | geezenstacの森

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自作自演/ミヨーの「世界の創造」

曲目/ダリウス・ミヨー
1.バレエ音楽「屋根の上の牛」Op.58 15:03
2.バレエ音楽「世界の創造」 16:27

 

指揮/ダリウス・ミヨー
演奏/シャンゼリゼ劇場管弦楽団

 

録音/1956年頃

 

E:アンドレ・シャルラン
 
米ノンサッチ H-71122
  
イメージ 1

 

 今回はレコードを取り上げます。今では民族音楽やポップス系のレーベルとしてのイメージが強いですが、レコード時代の「NONESUCH」は小生にとっては貴重なクラシックのレーベルでした。このレーベルは1950年にジャック・ホルツマンが設立した「エレクトラ」が親会社でした。このレーベルはフォークが専門であったので、それ以外の部分を彼の趣味なのかクラシックや民族音楽をラインナップしていました。そんなこともあってジョシア・リフキンのピアノによる「スコット・ジョップリンのラグタイム」などがヒットしています。しかし、自社録音以外にも個性的な海外のレーベルとライセンスし、パロック音楽を中心として幅広いジャンルの音楽をアメリカ国内に供給していました。そんな中の一枚がこのダリウス・ミヨーの自作自演によるアルバムです。

 

 もともとのソースはフランスのディスコフィル・フランセの録音です。このレコードの特徴は録音に伝説の名エンジニア、アンドレ・シャルランが携わっていることです。彼はワンポイント録音によるレコーディングを押し進めた人で後に自身「CHARLIN」レーベルを立ち上げて、日本ではトリオ・レコードから発売されたものでした。彼のレコーディングしたものは今ではCDで発売されていますが、下記の囲みでも書いてあるようにCDはどれもサブ・マスター、要するにコピー品がマスターのようです。まあ、そういう意味ではこのノンサッチ盤もサブ・マスターからプレスされたとは思いますが、ステレオ最初期にこれほどの録音がなされていたのは驚異です。

 

 まあ、確かに古い録音で音の粒立ちや響きのレトロ感それなりの時代は感じさせますが、自然の臨場感が感じられる録音です。元々、ミヨー自身がプロの指揮者ではないしオーケストラも一流どころとはいえませんが、当時の時代の息吹きみたいなものを感じることが出来ます。当時のフランスのオーケストラ一般の傾向でアンサンブルは緩いけれど(今日的視点で聴くと、オイ、これを放っときますか、とツッコミたくなる箇所も多々…笑)、音が隅々までキラキラ輝いていて、猥雑なまでに生き生きしている、という点にかけては、現代には絶対にない演奏だ。ミヨーのファンなら一度は聴いてみたい演奏です。

 

 さて、「屋根の上の牛」は元々はチャップリンの無声映画のために作曲された作品がベースになっています。その時のタイトルは「ヴァイオリンとピアノのためのシネマ幻想曲 "Cin??ma-fantaisie" pour violon et piano」というものであったようです。それをジャン・コクトーの台本によるバレエの音楽として転用したというわけです。そして、初演が1920年2月シャンゼリゼ劇場で行われたという意味でも、この演奏の歴史的価値があります。このレコーディングはまさにそういう時代の雰囲気を伝えていると言ってもいいでしょう。ブラジルはタンゴのリズムが基本になっている楽曲で、この曲はほぼフルオーケストラ編成で演奏されています。にぎやかなで猥雑感たっぷりの曲で、なるほど映画音楽として聴いても納得のできる作品です。目を閉じて聴いていると、確かにチャップリンの動きを感じることが出来ます。曲はこんな感じです。

 


 「世界の創造」もバレエのための音楽です。こちらはジャズが取り入れられた曲でミヨーの代表曲の一つといっても良いでしょう。小生のミヨー体験はこの曲から始まりました。この曲も1923年10月25日にシャンゼリゼ劇場で初演されています。冒頭のメロディはサクソフォーンの独奏によるレガート奏法で演奏されます。こちらはオリジナルの編成自体が室内楽作品となっていますからダイナミックさは感じられませんが、録音的には各楽器がクローズアップされますからより生々しい響きで聴くことができます。

 

 「天地創造」とも呼ばれることがある曲ですから、混沌とした世界が音楽で繰り広げられますがその響きは、ストラヴィンスキーの「火の鳥」と共通点があるといってもいいでしょう。ジャズのイディオムで作曲されたメロディの進行は独自で、幻想的な雰囲気とともに独自の世界を形成しています。ここでの演奏はリズム的には甘さが感じられ、ジャズ本来のアフタービート的な乗りはありませんが、作曲者がそういったことを意識してあえてこういう演奏をとっていたとすればこの曲の原点を聴くということに意義がありそうです。ちなみに、ミヨーは1932年にもコロムビアにこの曲を録音していますが、その演奏も基本的にこの録音と変わらない解釈を示しています。室内楽の編成で、テインパニが鳴り、他にシンバル、スネアドラム、テナードラム、プロヴァンス太鼓、ウッドブロック、メタルブロック、足踏み式のシンバル付バスドラムが使われていますから、おどろおどろしさとともにはったり的な面白さもあります。ただ、シャルランの録音はややこれらの打楽器群は、こもりがちな響きに鳴っているのが惜しまれます。ところどころレコードで聴く限り玉砕しています。

 

 

 比較にバーンスタインの指揮で聴いてみましょう。この実演はややおとなしい演奏ですが、髭面のバーンスタインが見物でしょう(^▽^;)1976年11月の演奏会の映像です。

 

 

 
 

アンドレ・シャルラン

若い頃フルート奏者としての才能を示していたアンドレ・シャルランだが、13歳のときに父が亡くなり、演奏家としての道を諦めざるをえなかったようだ。その時電気技師をしていた叔父(母の弟)から指導を受けた結果、16歳-17歳頃というから1920年代初頭には、ラジオ放送を(当時イヤホーンで聴くのが普通だった)ダンス・ホールで流すことが出来るほど優れた増幅回路を組み立て、これは後に彼が成し遂げた200以上の特許に繋がるものだったという。そして1930年代に入ると映画の音響技師として活躍、映画のカラー映像方式に関しても特許を取っている。また、第二次世界大戦中には、灯火管制中の暗闇で走る事を余儀なくされていた自転車用として、ダイナモも新開発した。
 大戦後、1949年に映画関係事業をオランダのPHILIPSへ売却したシャルランが始めたのが音楽録音業だったようだ。これは、発明されたばかりで特許が高額だったアメリカの LP 生産設備の替わりに、シャルランの持つ特許を可能な限り駆使して LP を生産しようという、デュクレテ・トムソンを始めとする幾つかのレーベルの思惑もあったらしい。1954年にはダミーヘッドを用いたバイノーラル録音を発明、そして1962年には「シャンゼリゼ録音センター」を設立、自らのレーベル Edition Andre Charlin も立ち上げた。残念ながらこの事業は1970年代中頃までしか続かず、税金の滞納でマスター・テープなどを差し押さえられてしまったと伝えられる。シャルランが制作した音楽録音史上に残る貴重なマスター・テープは、なんと「無知なフランス税関吏の手によって「無価値」と判定され、他のゴミとともに海洋投棄」されてしまったらしい・・・。、シャルラン・レコードの版権自体は死去の直前に取り戻すことができたようだが、現在のCDはそのサブ・マスターからのコピーということになる。健康を害したシャルランは1983年に亡くなってしまう。他のEMI、ERATOなどへ行なった物も併せ、彼が残した数珠の録音は、21世紀に入った今日でもそのかがやきを失っていない。