
ふたたび注目されているアナログLP。SP盤では得られない低ノイズ、長時間録音というメディアの特性を生かすべく、音のすばらしさを謳って続々と新レーベルが登場。本書は、1976年1月から4年間、『ステレオ芸術』に連載された「LP名録音の歩み」を、単行本するに当たって若干手が加えられたものである。『ステレオ芸術』には、1970年4月から「レコード談義」「レコードとオーディオの周囲」「レコードとオーディオ千夜一夜」と10年間、レコードに関するさまざまなことを作者が思うがままに執筆されてきた。ここではステレオ時代になってからのディスクの変遷史を時代の流れにそってコンパクトディスクの黎明期までを綴っています。---データベース---
我が家にこの連載の元になったラジオ技術社が出していた「ステレオ芸術」の1979年1月号が保管してあります。当然この本の元となった「LP名録音25年の歩み」も連載されています。この号は連載第36回で、ステレオ初期の物故指揮者の遺産ー2としてトマス・ビーチャムとヴァツラフ・ターリッヒ、ハンス・ロスバウト、フランツ・コンヴィチニーが取り上げられています。この本でいうと139ページから146ページにかけての記述です。で雑誌の方に取り上げられているのはロスバウトのマーラーの大地の歌(VOX盤)だけですが、単行本ではこのレコードとビーチャムのディーリアス作品集、シベリウスの交響曲第7番、そして、ビーチャム・イン・リハーサルと題された非売品のレコードが取り上げられています。そうして見ると、単行本の方が遥かに充実した内容になっているといえます。
この本、上巻はオンデマンド出版されましたが下巻はまだのようです。しかし、内容の充実度と興味深さからいって小生の世代にとってはこちらの方が遥かに上です。この本に登場するレコードは、小生が長年コレクションしたものが多数登場し、現在でも手元にあるものがかなりあります。一番最初に購入したイ・ムジチの「四季」は小生の場合はアメリカ盤でした。また、クロスロードというレーベルから出たミラン・ムンツリンゲルのシュターミッツの協奏曲集は今でも愛聴盤ですが、このレーベルが米コロンビアの廉価版レーベルでチェコのスプラフォン原盤を出していたことを初めてこの本で知りました。
氏はイギリスの「ペンギンズ・ステレオ・ガイド」のことにも触れていますが、その中でジョージ・セルの最良のレコードはマーラーの交響曲第4番だと紹介しています。ちなみに、1977年版のこの本で、他のマーラーの推薦レコードは先日紹介したバルビローリの第5番、ショルティの第8番、ハイティンクの第9番だけだということです。付け加えるなら、ベートーヴェンの交響曲ではカルロス・クライバーの第5番、クレンペラーの第6番だけ、ブラームスの交響曲に至ってはゼロだそうです(186ページ)。一万種近く扱ったレコードの中で、全体でも120点ほどしか無いという権威のあるガイドブックです。どこぞの推薦盤乱発のほんとは大違いですなぁ。
さて、レコードの歴史の中で疑似ステレオ盤が流行った時期があります。第6章で扱われているテーマですが、何を隠そう小生が一番最初に買ってしまったのがこの疑似ステレオ盤でした。カラヤン指揮フィルハーモニア管の演奏のベートーヴェンの「英雄」です。そもそも、この疑似ステレオ盤は米RCAがトスカニーニの録音をステレオと称して出すために1961年に発売したのが発端です。この本を読むとその録音がステレオで出されたいきさつが詳しく書かれていますが、ステレオ録音を残さなかった(非公式には録音は存在します)トスカニーニの遺産をステレオ時代にも聴いてもらおうと企画されたもののようです。その中で厳選されて出されたのが、
ドヴォルザーク/新世界
レンピーギ/ローマの松、ローマの泉
ムソルグスキー/展覧会の絵
の3点でした。RCAはかなり手の込んだ技術でこれらをステレオ化したようですが、他のメーカーはかなりいい加減な疑似ステレオ化をしていたようです。まあ、小生もそういうものの中でカラヤン盤を掴まされたわけです。これが疑似ステレオだと知ったときには怒りで、以後長らくカラヤンのレコードも東芝EMIのレコードは殆ど買いませんでした。ちなみに、今は処分して手元にありませんが、このレコード雑音防止用の特殊な素材(エヴァークリーン・レコードという名称でした)が使われていたようでレコード盤が赤かったことを覚えています。疑似ステといえば、この流れの中で納得して買ったものもあります。それが、フリッチャイの指揮するストラヴィンスキーの「春の祭典」でした。へリオドールレーベルで出ていたもので、見事に高音楽器は左側、低音楽器が右側に振り分けられていてそのステレオ効果に驚いたものです。こういう曲には疑似ステも向いていたのかもしれません。この演奏で、フリッチャイに目覚めたのですからそれなりの効用はあったのでしょう。
ドヴォルザーク/新世界
レンピーギ/ローマの松、ローマの泉
ムソルグスキー/展覧会の絵
の3点でした。RCAはかなり手の込んだ技術でこれらをステレオ化したようですが、他のメーカーはかなりいい加減な疑似ステレオ化をしていたようです。まあ、小生もそういうものの中でカラヤン盤を掴まされたわけです。これが疑似ステレオだと知ったときには怒りで、以後長らくカラヤンのレコードも東芝EMIのレコードは殆ど買いませんでした。ちなみに、今は処分して手元にありませんが、このレコード雑音防止用の特殊な素材(エヴァークリーン・レコードという名称でした)が使われていたようでレコード盤が赤かったことを覚えています。疑似ステといえば、この流れの中で納得して買ったものもあります。それが、フリッチャイの指揮するストラヴィンスキーの「春の祭典」でした。へリオドールレーベルで出ていたもので、見事に高音楽器は左側、低音楽器が右側に振り分けられていてそのステレオ効果に驚いたものです。こういう曲には疑似ステも向いていたのかもしれません。この演奏で、フリッチャイに目覚めたのですからそれなりの効用はあったのでしょう。
ステレオ時代のスタンダードの録音はテープに録音する方法でしたが、一時期35㎜マグネチック録音が流行しました。先陣を切ったのが「エヴェレスト」でこういう新しいシステムには目がないストコフスキーなんかはすぐに飛びついています。このレーベルからニューヨークフィルと入れたチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」やリヒャルト・シュトラウスのドン・ファン、サロメなんかを録音したレコードを出しています。個人的には、これらのレコードは後に日本コロムビアが「ダイヤモンド1000シリーズ」に組み込んで再発してくれたものを所有していますが、なかなか優れた録音でこのシリーズの中では出色の出来でした。氏の本の中でも紹介されていますが、このエヴェレスとの一連のレコードの中で傑出していたのは、スピヴァコフスキー/ハンニカイネン/ロンドン交響楽団のシベリウスのヴァイオリン協奏曲でした。ところがこのレコードはダイヤモンド1000シリーズでは発売されませんでした。そんなことで、輸入盤のバーゲンセールに出かけてはこのレコードを探しまわり、とうとう見つけた時は驚喜したのを覚えています。
35㎜マグネチック録音は他にはマーキュリー、コマンド、ユナイテッド・アーティストなどが採用していました。そういうことで、これらのレーベルの追っかけをしていたこともあります。コマンドのイノックライトの録音など今では貴重品になっています。
この岡俊夫著「マイクログルーブからデジタルへ」なるもは、いろいろな角度からレコードというものを捉えていて興味深い本になっています。ダイナグルーヴという言葉をご存知でしょうか。RCAが大々的に使った低ひずみのためのシステムなんですが、当時大いに聴いていたリーダーズ・ダイジェストのレコードにも華々しく歌われていたので翌覚えています。しかし、内周へいくほどひずみがあったので効果のほどはあまり変わらなかった印象があります。マルチトラック録音としてのフェイズ4とか、4チャンネルレコードのことも取り上げられていますし、バイノーラル録音にも触れられています。これらのことに当時いちいち興味を持っていたので、そんなこともあったなあ、と納得しながら読み進むことが出来ます。バイノーラル録音に凝っていた時は、「雷鳴下の蒸気機関車」なんてレコードも物色して悦に入っていたこともあります。
第21章では「現代の指揮者とそのレコードの展望」が取り上げられています。1980年前後での予測ですから今読むと未来予想図のような記事ですが、岡氏の慧眼は殆ど的中しています。その後、華々しい活躍をしたシャルル・デュトワの名があがってないのがちょっと残念ですが、現在活躍する大物指揮者はほぼ網羅されています。この章でびっくりしたのは日本グラモフォンのステレオ第1号はカラヤンではなく、ロリン・マゼールだったということです。1959年4月に発売されたマゼールがベルリンフィルと録音したベートーヴェンの交響曲第5番(SLGM1)が最初だそうです。また、録音システムに注力した指揮者としてカラヤンとショルティの名が挙がっているのにはちょっと意外な気もしました。しかし、確かにショルティしデッカの名プロデューサーのカルショウと組んですばらしい録音を残していますから、あながち的外れではないのでしょう。もう一度ショルティの残した録音をじっくり聴いてみたい気がします。
この本を読んでいて、またぞろレコードを聴きたくなってしまいました。しばらくはレコードを取り上げる記事が増えるかもしれません(^▽^
