
私も歌いたかったのに…仕方なく引き受けた指揮者の役目。そこから始まるエキサイティングなブザンソンへの道のり。フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで史上初めて女性で優勝、日本人としては小沢征爾に次いで2人目の彼女。でもひたむき、というのではない。何でも楽しげにすいすいやってしまう元気印の彼女のドキドキ青春記。---データベース---
この本は1993年かのう書房刊「マドモアゼルがシェフだって」の改題、新装改訂版されたものです。単身フランスへ留学し、ブザンソン国際指揮者コンクール女性初の優勝を成し遂げた著者の青春記でもあります。いうなれば先に取り上げた西本智美の大先輩にも当たるのですが、松尾葉子といっても今の若い人は知ら無い人が多いかもしれません。ここでちょっとプロフィールを。
1953年名古屋に生まれる。お茶の水女子大学文教育学部音楽科を経て東京芸術大学指揮科に入学。故・渡辺暁雄、小林研一郎の両氏に師事。1971年大学院に進み、一年間群馬交響楽団の学生のための音楽教室コンサートの指揮者を務める。1981年フランスに留学。パリのエコール・ノルマル音楽院指揮科でピエール・デルヴォー氏に師事。1982年フランス、ブザンソン指揮者コンクールで女性として史上初めて優勝。(日本人としては小沢征爾氏についで二人目)。帰国後、名古屋、東京でデビューコンサート。東京芸術大学指揮科の講師になる。国内の主要オーケストラを次々に指揮。オペラも数多く指揮する。海外ではブザンソン市交響楽団、ベルギーのブリュッセル・テレビラジオ・オーケストラ、ラムルー管弦楽団他を指揮。1999年より名古屋にあるセントラル愛知交響楽団の常任指揮者。数多くのプロデュースを手がける。NHK「ようこそ先輩」出演。東海テレビ賞、エイボン芸術賞、TOYP大賞、都市文化奨励賞など受賞。1992年より毎年大潮会展に水彩画を出品、会員となる
小生と年代的には一緒で、尚かつ名古屋の出身ということで親しみがあります。今でも、毎年の名フィルのニューイヤー・コンサートは彼女が指揮しています。そんな彼女がブザンソンで優勝するまでの記録がこの本の中心になっています。章立ては次のようになっています。
第1楽章 ブザンソンへの道(デルヴォー先生との出会い;出発;パリの街 ほか)
第2楽章 生いたち(誕生;泣き虫な女の子;クラッシック音楽への芽生え ほか)
第3楽章 帰国した私は(夢の国から帰って来た日;デビューコンサート;地中海・洋上コンサート ほか)
第2楽章 生いたち(誕生;泣き虫な女の子;クラッシック音楽への芽生え ほか)
第3楽章 帰国した私は(夢の国から帰って来た日;デビューコンサート;地中海・洋上コンサート ほか)
自身が書いているので、本人を持ち上げるとか提灯記事を書くとかという部分がありませんので、ありのままの彼女を知ることが出来ます。ここで登場する松尾葉子は極めてごく平凡な女性です。ピアノが取り立ててうまいわけでもなく、最初は芸大に落ちてお茶の水女子大学文教育学部音楽科に入学しています。指揮者になるには回り道の人生ですが、ここに入学していなければ指揮者松尾葉子は誕生していないのでこれは運命なのかもしれません。ここでの学園祭で、誰も指揮をする人間がいなかったのでそれを引き受けたことで人生が変わってしまうのですから。そして、この時代にフレンチポップスのスター「ミシェル・ポルナレフ」に憧れ、その歌詞を理解しようとフランス語を学んだことでフランスへ留学することを夢見ることになっていくのです。
そして、芸大を受験するために小林研一郎に弟子入りです。しかし、レッスンを始めたタイミングで当の小林研一郎はブダペストの国際指揮者コンクールに優勝してしまいます。ですからレッスンよりも着いて回っての現場指導です。そうこうしているうちに芸大の試験になり、ピアニストを前にして指揮をする段でピアニストがリピートをしてしまったことに大声で注文をつけます。試験官もびっくりです。ですが、このことがかえって良かったのか彼女は見事合格です。この年採用されたのは彼女一人、その試験官の一人が指揮者の渡辺暁雄氏でした。
そして留学先のフランスはパリのエコール・ノルマル音楽院指揮科ではピエール・デルヴォー氏に師事します。この本は最初にこのデルヴォーとの出会いで始まっています。そして、しょっぱなから彼女はデルヴォーと対立しドアに立たされてしまいます。しかし、このデルヴォー氏との出会いが彼女にミューズの微笑みをもたらせます。この学校での一年間の留学の後で彼女はいよいよブザンソンにチャレンジです。この本ではこの一年の出来事が彼女の家族へ宛てた手紙と供に綴られています。
この本を読むと「のだめカンタービレ」の指揮者コンクールの様子がこのブザンソンのコンクールをベースに組み立てられているのが分かります。この年の応募者は150名ほど、それが書類選考で32名にまで絞り込まれています。そのうち女性指揮者は彼女を入れて3名。もちろん日本人も参加しています。彼女の一次予選の課題曲はロッシーニの「セヴィリャの理髪師」序曲を振ります。その日偶然に前年の優勝者とすれ違います。本では出てきませんが調べると、Philippe CAMBRELINGのようです。このコンクールではミュールーズ交響楽団を指揮するようです。2次予選は11名が通過、ここではフランス音楽の適正が試されます。曲目はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ここでの通過者は6名、その中にはソ連の女性や日本人男性も残っていたようです。
そして、3次予選は例の間違い探しと初見の曲の演奏だそうです。指揮者の楽譜は正しいようですがオーケストラの楽譜に間違いが仕掛けられているようです。何と8つの間違いがあるようなのですが、松尾葉子はそれに気がつきません。ここで彼女は6つしか指摘出来ません。所見の曲はストラヴィンスキーの「うぐいすの歌」、一小節ごとに拍子が変わる難曲です。案の定オーケストラは止まってしまいます。それでも彼女は大きな声を出しながら振り続けます。この結果残ったのは2名でした。彼女とフィンランドのオスモ・ヴァンスカです。最終選考の曲はコンサート形式です。
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ」
チャイコフスキー/くるみ割り人形組曲
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲
ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ」
チャイコフスキー/くるみ割り人形組曲
バルトーク/ヴァイオリン協奏曲
この年のブザンソンのコンクールで審査委員長をしていたのは恩師のピエール・デルヴォーです。そして、この年が彼の最後の年でした。そういうもろもろのことがあって彼女は優勝します。日本人として小澤征爾以来の快挙で、女性指揮者としてはコンクール史上初の優勝というおまけ付きです。この年はオスモ・ヴァンスかも一位を分け合っています。
このサクセスストーリーの後は、彼女の生い立ちと帰国後の活躍の様が綴られていますがメインはここまででしょう。コンクールの流れがよく解って楽しめます。この本は1990年代初めまでの出来事がピックアップされており、その後の活躍については2008年に出版された「指揮者、この瞬間」に続きます。
また、日本人女性指揮者には松尾葉子、西本智美以外に現在以下のような人が活躍しています
三ツ橋敬子---第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで優勝
齋藤友香理
阿部加奈子
そして、昨年のブザンソン指揮者コンクールでは山田和樹が優勝しましたが、セミファイナルには田中祐子も残っていました。彼女はやはり名古屋出身なので応援したくなります。
齋藤友香理
阿部加奈子
そして、昨年のブザンソン指揮者コンクールでは山田和樹が優勝しましたが、セミファイナルには田中祐子も残っていました。彼女はやはり名古屋出身なので応援したくなります。
そうそう、この本の元のタイトル「マドモアゼルはシェフだって」はこんな表紙でした。以前フリマで見つけましたが読んでませんでした(^▽^
