指揮者・大植英次 | geezenstacの森

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指揮者・大植英次―バイロイト、ミネソタ、ハノーファー、大阪 四つの奇蹟

著者 山田 真一
出版 アルファベータ

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 彼のいくところでは、常に「奇蹟」が起きる。東洋人で初めてバイロイト音楽祭に登場、メジャー・オーケストラを再建、ハノーファーほか欧米での活躍で評価の高い指揮者、大植英次の本格評伝。ディスコグラフィー他の資料付。---データベース---

 ここ最近は音楽関係の本を集中的に読んでいます。個人的には芸術の春なんでしょうかね。まあ、テレビが番組の改編期で見るに値しない番組が多いということもありますし、音楽関係の番組も量的に減っているので時間的余裕があるということもあります。なことで、ちょいと気になっていた指揮者の本が見つかりましたので手に取ってみました。それがこの本です。出版されたのが2006年ということで、ちょっと前なんですね。多分個人的にもこの頃この「大植英次」のコンサートを初めて視聴しました。NHKが放送した大阪フィルとのコンサートを収録した物です。多分ローカルで制作された物を再放送した物だと思います。その時は、へぇ日本に帰ってきているんだという軽い気持ちで見ていた記憶があります。CDではミネソタ管弦楽団とのものをリリースしていたのを知っていましたが、異国の地で活躍している指揮者がまた一人いるもんだと思った程度でした。ところが、さもありなんだったんですね。

 この指揮者、2005年には日本人としては彼の小澤征爾を凌駕してバイロイトに登場していたのです。それも、オペラ指揮者としての実績は皆無のコンサート専門の指揮者がバイロイトに登場していたのです。知りませんでした。ミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めたアバド、実績豊富なズビン・メータ、そして現在のベルリンフィルのシェフをしているサイモン・ラトルさえも未だに声のかからないバイロイトに、それも新作の「トリスタンとイゾルデ」を振ってデビューしているのです。これは知る必要があると手に取った次第です。

序章 バイロイトの奇蹟―東洋人初のバイロイト指揮者
第1章 ミネソタの奇蹟―メジャー・オーケストラを再建
第2章 聴音の天才
第3章 世界が認める才能
第4章 ハノーファーの奇蹟―音楽の本場「ドイツ」が熱狂
第5章 大阪の奇蹟―五十年に一度の音楽監督
第6章 音づくり、音楽づくり
第7章 バイロイトへの道
第8章 ドキュメント・バイロイト音楽祭
第9章 グローバル指揮者・大植英次の魅力

 1978年、大植英次はバークシャー音楽センターの指揮セミナーで指揮レッスン練習用ピアノのボランティアを引き受けてひたすらピアノを弾く毎日だった。ある日、大植の傍らに顔中髭だらけのやつれた老人が立ち、指揮をしている学生ではなくピアノを弾いている大植をつぶさに観察し、やがて言葉をかけたりし始めた。大植はスコアを見ながらの試奏にかなり神経を集中していて、最初は無視していたものの、次第にその老人が鬱陶しくなり、ついには「うるさいなぁ、今、伴奏で忙しいから、あっちへ行ってもらえませんか。」と、手で追い払う仕草をしたという。なんと、これが大植英次と巨匠レナード・バーンスタインとの最初の出会いなんだそうです。

 そのあと、オケ・リハの会場に移動し全員の前で担当者がバーンスタインが来ていることを告げ、皆の前でレニーを紹介したときには、仰天して頭を抱え、そして落胆したらしい。「子どもの頃からの憧れのスーパースターに、僕は『うるさい』と言って、邪険にしてしまった。これでは2度と口をきいてもらえないだろうな。」と・・・。彼は自分の知っている憧れの大指揮者の顔と目の前の疲れた老人とが同一人物であるとは気づかなかったのです。しかし、レニーは、再び大植を見つけると、ピアノ伴奏での件など忘れたかのように親しげに話しかけ、細かいことまでアドバイスをくれたのだという。こういう劇的な出会いで、大植は、この夢のような出会いに興奮し、セミナーで何をやったかより、バーンスタインと何を話したかばかりを繰り返し頭の中でさらったとのことです。

 一般的認識では大植英次は、佐渡裕と共に「バーンスタインの弟子」として言われることが多いようです。しかし、本当の弟子はマイケル・ティルソン=トーマスだけのようです。大植英次も佐渡裕も、共に自分から「バーンスタインの弟子」と声高に叫んでいるわけではなく、たぶんジャーナリズムや側の者達が一種のレッテルみたいに称しているのだと思いますが、晩年のレナード・バーンスタインと行動を供にしていたのは確かで、二人ともがバーンスタインの才能と音楽性・人間性に惚れ込み、そこから多くを学んだことは間違いないでしょう。バーンスタインの最後の来日時に不調のレニーに替わって指揮を務めたのがこの大植英次だったことはよく知られています。

 ピアノからフルート、ホルンといろいろな楽器を極め、地拗音力の凄さは万人の認める所です。そして、指揮はすべて暗譜というのも小澤譲りの記憶力の良さです。この本を読むとその秘められた能力や、地に着いた草の根の音楽活動には感心します。2006年当時はそれこそ飛躍に継ぐ飛躍で大いに注目されていた時代でもあります。

 我々の良く知る大植英次はミネソタ管弦楽団との関係からでしょう。1995年にここの常任に就任したときはほとんど知る人がありませんでした。オーマンディ、ドラティ、スクロヴァチフスキーなどの大物が歴代の常任で、大植の前もマリナーやエド・デ・ワールとが務めていました。大植はひとつの所に長く居座ることを心情としているようですが,このミネソタ管弦楽団は僅か7年しかいませんでした。一般には、この時代に世間に広く認められたにもかかわらずこれは意外でした。ただ、このオーケストラの躍進に寄与したことは確かです。定期会員の数も飛躍的に躍進したし、ディスクもこの時代にリファレンスに数多くリリースしています。

 そして,40代の頃には世界へ大きく羽ばたきます。アメリカからヨーロッパへ拠点を広げドイツのハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団からラブコールを受けます。このドイツのハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の常任になったのは1998年ですが、ここは既に12年目に入っています。しかし、既に名誉指揮者に退いています。バルセロナ交響楽団は2006年から就任したにもかかわらず今年で退任です。現在の常任のポストは2003年から常任を務めている大阪フィルハーモニー交響楽団だけになってしまいました。ちょっと伸び悩みの時期に入ってきたのでしょうかね。この本で大きく扱われているバイロイト音楽祭への登場も2005年だけでその後は声がかかっていません。オペラ指揮者としての実力は今後の活躍如何に掛かっているということでしょうか。再度バイロイトに登場出来るかが大きな鍵となるでしょうね。50代をどう飛躍させていくか、ここらあたりが正念場なのでしょうか。

大植英次後援会サイトはこちらから
http://www.oue-kouenkai.jp/

最後に昨年の青少年のためのコンサートの模様です。