手塚治虫クラシック音楽館
著者 手塚 治虫, 小林 準治
発行 平凡社

手塚治虫が愛してやまなかったクラシック音楽。手塚漫画&手塚自らのエッセイを織り交ぜながら、手塚作品と音楽の深い関係を解き明かし、手塚治虫の新たな一面に光りをあてる。絵を描くことに次いで音楽好きだった少年時代のエピソードをはじめ、音楽好きであったからこそなし得た表現や、手塚作品に登場するバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなど数多くの音楽家に注目。手塚が好きだった音楽アニメや、手塚とブラームスの類似性などにも言及する。---データベース---
「鉄腕アトム」とともに育った年代には、手塚治虫の名前は忘れられません。これは、基本的にはクラシックの入門書なのですが、各作曲家の似顔絵の大部分が手塚治虫の漫画からチョイスされています。これがすごい。ほとんどの作曲家が網羅されています。そして、この本はどの作曲家がどの漫画に登場したかまとめられています。冒頭いきなり、手塚治虫の漫画が登場します。1960年の「中学一年コース」に掲載されていた「ふたりの演奏家」という僅か5ページの作品ですがオールカラーで収録されています。これを見て「戦場のピアニスト」という作品を思い出してしまいました。モチーフ的にはそれよりも深い意味が込められていますが、こんな作品が昭和30年代に書かれていたことの方が驚きです。
戦場の荒れ果てた教会で一人の日本兵がピアノを見つけてショパンを弾きます。そこへ敵兵が現われるのですが、彼は演奏に感動し、ちょうどあったヴァイオリンで合奏を楽しみます。ひとときの演奏が終わると20年後の再会を誓って二人は別れて戦場へ散るのですが、日本兵は爆弾にやられ目を負傷してしまいます。戦争が終わり、二人は再会しますが彼は両腕を無くしています。再会はしたものの音二人とも演奏出来る身体ではないのです。しかし、二人には家族がいました。そのお互いの子供たちが二人の前で合奏をするのです。二人の約束は果たされたのです。
僅か5ページの作品に込められたメッセージは強烈です。ショパンの曲にヴァイオリンと合奏する作品は無いはずです。ここでは架空の曲が演奏されているのです。二人の出会いは現実であっても、戦争は現実であってほしくないという手塚治虫のメッセージが感じられます。しかし、二人はその現実の戦争によって音楽を演奏出来ない身体になってしまうのです。それでも、音楽を通して築かれた友情は20年後に実を結びます。ふたりはお互いの子供たちを連れてきていて大勢でにぎやかな合奏をするのです。そこでは、ヴァイオリン、ピアノを始めトランペット、コントラバスも含まれての合奏です。お互いに笑いながら肩を抱き合っているカットに、最初の方のカットにも最後のカットにも教会に住み着いているねずみが描かれていてこちらも家族が増えています。ねずみは黒のシルエットでしか描かれていませんが、エンジェルのような役割をしていて印象的です。
この本には平和を願うもう一本の漫画も収録されています。もう一つはバースタインのものです。こちらは「雨のコンダクター」という作品で、1973年1月19日の出来事を描いています。登場するのは大統領就任式を翌日に控えたアメリカ大統領「ニクソン」でその前日の記念演奏会です。こちらの指揮はユージン・オーマンディがチャイコフスキーの「1812年」を、一方雨のワシントン大聖堂では反戦を唱えるバーンスタインがが、ハイドンの「戦時ミサ曲」を演奏するのです。そのドキュメントを手塚治虫は漫画で音楽を表現しているのです。これには後日談があって、1977年のケルンテン音楽祭(この第1回のコンサートの出演後バックハウスが亡くなっています)にバーンスタインが登場しているのですが、その総合プログラムに手塚治虫のこの漫画のシーンが掲載されていたのです。
こういうエピソードを交えながら手塚治虫の作品とクラシックの関わりが作曲家別に語られていきます。この本で、手塚治虫が小学生のころ母からピアノの指導を受けてピアノを弾いたようです。記述の中で彼がモーツァルトとかベートーヴェンのトルコ行進曲、鉄腕アトムのテーマを演奏したことが小林 準治しの記述の中に書かれています。
「鉄腕アトム」が日本初のアニメとして白黒テレビに登場したのは1963(昭和38)年です。アニメは、音楽や音響効果なしでは考えられない、と手塚治虫は言っていたそうで、本書には、手塚自身のエッセイから、音楽センスあふれるこんなエピソードが紹介されています。
「鉄腕アトム」の〝試作品(パイロット・フィルム)〟をつくったとき、作曲や演奏をするゆとりがなかったので、こっそりレコードで間に合わせたそうだ。それが、リカルド・サントスの「ホリディ・イン・ニューヨーク」これが奇妙なことに「鉄腕アトム」にはピッタリだったそうです。しかし、アトムの主題歌としては、著作権もあって、たいへんな問題です。あわてて作曲家の高井達雄氏に、これと雰囲気がそっくりでオリジナルなものを注文したそうです。で、できあがったのがあのアトムのマーチということです。
著者の小林氏によると漫画家と音楽家という違いはあるけれど、手塚治虫とブラームスには類似性があるといいます。最初の手塚治虫のお気に入りはチャイコフスキーであったそうですが、あるときフルトヴェングラーの指揮するブラームスの第1交響曲を聴いてから、俄然ブラームス狂に変わってしまったといいます。ブラームスはベートーヴェンの後をついで古典的なものを守り、どんどんその殻の中に自分を閉じ込めていつた様な気がしますが、手塚治虫自身も漫画の世界ながら自分の殻にますます閉じこめていったのではないでしょうか。
それが証拠に、手塚がついに手をつけなかった分野に、「巨人の星」、「アタックNo.1」のようなスポーツ根性ものがあります。1970年代に一世を風靡したもので、汗みどろで人情べったりの世界を手塚は描く気がしなかったのではないか。ブラームスはオペラを除いて傑作を残しています。手塚は、スポ根もの以外のほとんどの分野に優れた作品を残しています。ブラームスと手塚治虫は、こんな点から、どこか似ているのではないでしょうか。しかし、手塚が愛したブラームスなのに、漫画への登場がついに一度もなかったそうです。ベートーヴェンが偉大すぎたのかな?
ちなみに、手塚治虫が最後まで描き続け、そして完成のかなわぬまま遺された作品には「グリンゴ」「ネオ・ファウスト」に加え、ベートーヴェンを描いた 「ルードウィヒ・B」なのです。