ベートーヴェン/弦楽三重奏曲第1番
曲目/
ベートーヴェン/弦楽三重奏曲第1番ト長調 Op. 9ー1
1. Adagio, Allegro Con Brio 13:35
2. Adagio, Ma Non Tanto E Cantabile 06:46
3. Scherzo: Allegro 04:39
4. Presto 05:12
ベートーヴェン/弦楽三重奏曲第3番ハ短調 Op. 9ー3
5. Allegro Con Spirito 11:07
6. Allegro Con Espressione 06:12
7. Scherzo: Allegro Molto E Vivace 03:08
8. Finale: Presto 05:36
9.シューベルト/弦楽三重奏曲変ロ長調 D.471 - Allegro 05:58
演奏/Beethoven String Trio Of London
(ヴァイオリン)/Pavlo Beznosiuk
(ヴィオラ)/Jeremy Williams
(チェロ)/Richard Tunnicliffe
(ヴァイオリン)/Pavlo Beznosiuk
(ヴィオラ)/Jeremy Williams
(チェロ)/Richard Tunnicliffe
録音/1994/01 Harberdashers' Aske's School
P:John Hadden、Malcolm Bruno
P:John Hadden、Malcolm Bruno
英BBC MM133

これは「BBCミュージック・マガジン」という雑誌の1995年5月号の付録CDです。といってもちゃんとしたセッション録音されたものです。こういうものが雑誌の付録につくのですから大したものです。
ベートーヴェンは一連の弦楽四重奏曲(楽聖の交響曲に並ぶライフワークでしょう!)を書く以前、本当に初期の頃にだけ弦楽三重奏曲というジャンルの楽曲を4曲残しています。作品3と3曲で構成される作品9です。確かに四重奏曲に比べ深みに欠けますが、ハイドンやモーツァルトに明らかに影響を受けていることがわかる青年期のベートーヴェンのほとばしる躍動感が感じられて意外に面白い作品ということが出来ます。
なぜベートーヴェンはこれ以降弦楽三重奏の創作を止めたのか?決して専門的に論じることはできないが、素人耳にも内声部の薄さが気になるといえば気になる。おそらく弦3本だと「音楽」を表現する上で何か物足りないのかもしれない。ベートーヴェンは、作品18で弦楽四重奏を発表するまで長い年月を要しました。彼の頭の中には常に弦楽四重奏曲の構想があったはずです。なぜなら、当時作曲家が一人前として認められるためにはなんといっても弦楽四重奏曲を生み出す必要に迫られていたと予想できるからです。ハイドンやモーツァルトの輝かしい作品が既に世に出ていたわけです。相当のプレッシャーがあったでしょう。
自信家の彼もさすが冒険はできなかったのでしょう。その理由は?きっと弦楽四重奏曲を発表するには時期尚早で途上の自分を自覚しているからこそ、当時、BGM的にしか扱われていなかった弦楽三重奏という分野をまず腕試しとして選んだのではないでしょうか。作品3、作品8と、同じ編成の作品があり、こちらはディヴェルティメント風多楽章です。曲の雰囲気もゆったりとした余興向け度合いの強く、まさにBGM的に聞けそうです。そんな枠にとどまるだけで満足するベートーヴェンではありません。ならば、弦楽三重奏曲をBGMではない演奏会向け作品として書こうと決意したに違いありません。それがこの作品9に集約されたのではないでしょうか。
最初の作品となる第1番を聴けば、要所要所にその意気込みを感じさせる部分があります。第1楽章の堂々とした前奏では、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが同じ音(三オクターブの差があります)で力強く鳴らした後、細やかなメロディで対話を重ねていきます。リードをとるのははじめはヴァイオリンでヴィオラとチェロがそれに応えます。が、決してヴァイオリンの独壇場というわけでなく、それぞれ活躍の箇所がちりばめられています。わずか二分余りの前奏部で、三重奏というやや不安定な編成の限界を感じさせるどころか、大いなる期待を持たせてくれます。弦楽四重奏ではヴィオラという楽器はどうしてもヴァイオリンの陰に隠れがちになりますが、この三重奏ではそれが対等な立場で己を主張するという点では内声部が充実して安定感のある響きとして聴くものに迫ってきます。これが、聴いていて安らぎを感じさせる要素になっているのでしょうか。
弦楽四重奏のように聴く方もある程度身構えて正座をしながら聴くという緊張感はここでは必要ありません。まさにBGM的にリラックスして演奏に浸ることが出来ます。
叙情的楽章となる第2楽章では歌のように語るヴァイオリンの音色が、常に主役として振る舞います。ヴィオラとチェロはサポートの役割に徹しています。流れるようなメロディ、そしてアルペジオ
の伴奏が見事に融合しています。まさにα波がばんばん放出されている癒される楽章です。
の伴奏が見事に融合しています。まさにα波がばんばん放出されている癒される楽章です。
第3楽章ではヴァイオリンが途中から始まったような不安定な音型で始まるます。ユーモアを感じさせ、おどけて人を翻弄するような音で聞き手を煙に巻くところなど、後のベートーヴェンを予感させるに充分な手法です。一応、中間部では真面目に振る舞おうとするが、結局はユーモアであっけなく終わる。
続く第4楽章は第3楽章の延長といえる性格の楽章です。3楽章から続くユーモラスな表現にさらに磨きがかかり快活な3拍子の刻むようなリズムが躍動感を感じさせてくれます。最初はふさぎ込んで聴き始めた人が、ここに至ると、まるでベートーヴェンの魔法に掛かったように生き生きとした心理状態にまで癒されます。まさかベートーヴェンがそこまで予想したとは思えないけど、まるで計算したかのように見事に聴き手は引きこまれ、鬱から躁の状態に回復することが出来ます。この曲を聴いているとまるで音楽家が精神科の先生のように思えてきます。演奏後は三人ともさぞぐったりするでしょうが、見事な精神治療です。こんなベートーヴェンの特効薬があったなんで・・・・初期の作品ですが、これは侮れません。まだまだベートーヴェンの作品の中には隠れた名曲があるということです。
三重奏曲として最後の作品となる作品9-3は遊びのゆとりはやや後退して、より、弦楽四重奏の世界に近づいている感じがします。ハ短調という調性がそう感じさせるのかもしれませんが作品としての深遠さを感じさせる作品になっています。
やや不安を感じさせるメロディでいきなり開始されます。しかし、その後はすぐアレグロの跳ねるような主題とともに3つの楽器が絡みながら主題を発展させていきます。第2楽章のアダージョも深みのある響きで、それが中間部の明るいメロディと対照的でより際立った印象をもたらします。スケルツォの第三楽章は舞曲的な旋律が快活な印象を与えます。第4楽章のプレストにしても作品9-1に比べるとずっと落ち着きのある響きでヘボートーヴェンの成長の跡が伺えます。充実した響きで、ベートーヴェンの初期の傑作といってもいいのではないでしょうか。
シューベルトの作品は一応完成しているD.581と調性が同じで紛らわしいのですが、10代の作品で1つのアレグロ楽章だけで残されているものです。旋律の反復が多くやや単調な響きに終始しているのが残念です。ただ、メロディにはシューベルトらしい歌心があります。
さて、ここで演奏している「Beethoven String Trio Of London」は録音当時だけに存在した団体で1990年代には日本にもコンサートツァーで来日しているようですが、現在で解散してしまっています。ヴィオラのJeremy Williams は現在はオーストリア弦楽四重奏団のメンバーとして活躍しています。一方ヴァイオリンのPavlo BeznosiukとチェロのRichard Tunnicliffeは現在はピアノトリオの「Ensemble T??rk」のメンバーとして活躍しています。
この彼らとしては今となってはメモリアルな演奏はBBCのスタッフによってレコーディングされていますが、こういう形でしか市場には出ませんでした。多分放送用に録音したものなのでしょう。ですから一般にはほとんど知られていない演奏なのでしょうがきわめて充実したアンサンブルを披露しています。彼らの演奏は他にもいくつか残っていますが、トータルアルバムとしてはこれだけのようです。しかし、曲が曲だけにこうした組み合わせのアンサンブルは長続きはしないのでしょうね。まぁ、一期一会的な出会いの演奏ということで記憶にとどめておきましょう。
