北京オリンピックが始まりました。このプログでも暫く前からカウントダウンのプログパーツを表示していましたから関心が無かったわけではありません。開会式も趣味の仕事をしながら見ていました。丁度、直ぐ裏の小学校で地域の盆踊り大会をやっていましたので盆踊りのリズムを聴きながらの視聴となったわけです。しかし天気は思わしくなく、時々雷の稲妻が遠くの空に閃き、愛知県では「竜巻き注意報」が発令されていて時々強風が窓から吹き込んできていました。日中は35度以上で暑かったのですが、この天気の急変で夜はエアコンがいらないくらい涼しくなっていました。
開会式は恒例のギリシャを先頭に更新が始まりましたが、今回は入場順はあとは中国語の漢字の画数順の入場ということで日本は23番目の行進でした。しかし、最近の入場行進はフランクになったものです。以前のように整然と並んでの行進ではなくなんか好き勝手な行進です。甲子園の高校野球の入場行進とは全く違った雰囲気です。それと入場行進には欠かせない行進曲ですが、これがさっぱり目立ちません。
テレビの画面では各国の選手の入場で盛り上がってはいますが、東京オリンピックの入場行進を体験している世代にとっては隔世の感があります。1964年の東京オリンピックでは入場行進と古関裕而氏の作曲した東京オリンピック行進曲は切っても切れない関係にありました。今でも、当時の行進の映像を見るとあの音楽が耳に蘇ってきます。
しかし、最近のオリンピックではこういう感覚を味わうことはできなくなりました。今回の北京オリンピックもそうで。行進と行進曲が頭の中でリンクしないのです。どうも、いくつかの曲が繰り返し演奏されているようなのですが耳に残りません。その中でバグパイプの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」だけが異様に耳に残りました。考えてみれば中国は1999年まで香港がイギリスの植民地であったわけですからまんざら関係がないわけでもありません。
記憶の中にあるオリンピックと行進曲の結びつきは棟強オリンピックの後は1972年のミュンヘンオリンピックです。この時は一つの曲ではなく、地域を代表する曲をメロディで演奏するという今主流の方式をこのとき始めて採用しました。ドイツのクルトエーデル・ハーゲン楽団が素晴らしい演奏を披露していましたが、オリンピック自体はテロに見舞われるという前代未聞の悲惨な大会として記憶に残っています。一番直近で行進曲が記憶に残っているのは、1984年のロサンゼルスオリンピックの行進曲です。商業オリンピックとして大きく舵を切った大会でしたが、このとき行進曲を作曲したのは映画音楽の大家ジョン・ウィリアムスでした。得意のフルオーケストラを使った勇壮な行進曲は今でも演奏される名曲です。事前にオリンピックの公式アルバムが発売されたのもこの大会が始めてではなかったでしょうか。有名アーティストが競技ごとに曲を提供し、その豪華な内容で話題になったものです。
ということで、今回の開会式の入場行進は横目でちらちらと見ながらの半ば冷めた目での視聴でした。そんな中で中国の底力を見せ付けられたのは聖火の点火式のセレモニーでした。あの広い「鳥の巣」と呼ばれる会場を最大限に使った演出は見事でした。それにしても前日まで存在しなかった聖火台はどうやってあの短時間の間に設置したんでしょうか?不思議です。