放送禁止歌
「イムジン河」と「ガイコツの唄」
「イムジン河」と「ガイコツの唄」
曲目/
1 イムジン河 2:38
2.悲しくてやりきれない 3:10
3.イムジン河(カラオケ) 2:38
4.悲しくてやりきれない(カラオケ) 3:05
演奏/フォーク・クルセダーズ
CONSIPIO RECORDS AGCA-1003

小生が高校生時代はフォークソングが真っ盛りの頃でした。高石友也を筆頭に岡林信康、吉田拓郎、フォーククルセイダーズ(当時はこう表記していました)、五つの赤い風船などが次々と新曲を披露していました。最初にメディアに登場したのは、フォークルの「帰ってきた酔っぱらい」でした。1967年のことで早回しのテープと奇想天外な歌詞で一躍大反響を呼んだものです。サイケ調のレコードジャケットとともに「アングラ・フォーク」のブームを生み出した曲です。大げさにいえば日本のロック音楽史上初のミリオン・シングルはこの曲だと言われています。後にこの曲も放送禁止唄になりました(飲酒運転の表現がある)けど、日本のコミックソングの代表的な作品としてよく知られています。・・・当時としては280万枚売りあげました。
そして、フォークルの第2弾として準備されていたのがこの「イムジン河」だったのです。ところがプロモーションでこの曲を流したところ問題が発生したのです。もともと、この「イムジン河」は在日朝鮮人のあいだで1960年代に歌われていたものを、松山猛が詩をつけ、当時の「ザ・フォーク・クルセダーズ」が持ち歌として歌っていたものです。1968年になって第2弾のシングルレコード「イムジン河」をリリースすることになったが、発売の直前になって発売元の東芝は突如中止を発表したのです。そのいきさつは次のようなものであったとされています。
この曲はもともと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世泳の作詞によるものであった。オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでゆく鳥を見ながら、一番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、二番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと思いを託す内容である。松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの二番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく違う物となっている。松山の歌詞には、オリジナルにはない三番がある。 東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが朝鮮民主主義人民共和国の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詩に忠実に訳すことを求めていた。後者に関しては、洋楽の日本語訳詞でも原詩と完全に一致する訳で無い物も多かったためあまり問題ではなかったものの、レコード会社は国交のない朝鮮民主主義人民共和国の名を出すことを躊躇し、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となったようである。また、東芝音楽工業の親会社の東芝が大韓民国内での家電製品のシェア拡大に悪影響を及ぼすことを恐れたため圧力をかけたという説もある。-Wikipediaより引用-
長々と引用しましたがそういうような経緯で発売中止に追い込まれました。そして、この曲が時代の変遷の中で2002年オリジナルの形で35年ぶりに発売されたのでした。何とカラオケバージョン付きです。放送禁止歌ですが小生は昔から知っていました。昨今の韓流ブームでこの曲もメジャーになりましたが感無量です。この曲のオリジナルの映像が残っていました。
ところでもう一曲の「悲しくてやりきれない」は「イムジン河」が発売中止になり、急遽差し替えられて第2弾として発売されました。作詞はサトウハチローですが作曲は加藤和彦です。この曲、2枚目のシングル曲として発売された「イムジン河」が発売自粛となったため、加藤和彦が腹立ち紛れにイムジン河の曲を逆回転で聴いていたところ、そこから発想を得て曲が作られたといわれています。早い話が「イムジン河」のメロディ部分を逆回転してできたのが「悲しくてやりきれない」なんですね。さすがフォークル。こういう状況下でもパロディにしてしまうところが凄いです。
ところで放送禁止になる理由には以下の理由があります。
(1)性的な問題(セックスや性器などを連想させる曲名、歌詞)
(2)差別的な問題(貧困、部落、障害者、人種、宗教、職業、性などについいての差別)
(3)政治的な問題(反体制的な歌詞、曲名、他国への政治的干渉、社会的秩序の混乱を招く内容など)
「イムジン河」は必然的に3の理由で放送禁止歌になりました。いえ、それ以前に発売中止になっています。
ところで、あなたは以下の曲のうち何曲聞いたことがありますか?
岡林信康「手紙」、「チューリップのアップリケ」(1968年)、高田渡「自衛隊に入ろう」(1968年)、三上寛「夢は夜ひらく」(1971年)、泉谷しげる「黒いカバン」、「戦争小唄」(1971年)、頭脳警察「世界革命戦争宣言」、「赤軍兵士の歌」(1971年)、フォーク・クルゼイダーズ「イムジン河」(1967年)、ジャックス「からっぽの世界」(1968年)、美輪明宏「ヨイトマケの唄」(1965年)、つぼいノリオ「金太の大冒険」、高倉健「網走番外地」(1965年)、黒沢年男「時には娼婦のように」(タイトルが問題ありとされました)、原由子「I Love Youはひとりごと」、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」、なぎら健壱「悲惨な戦い」(1973年)、憂歌団「おそうじオバチャン」、山平和彦「放送禁止歌」(1971年)、ピンク・レディ「SOS」(1976年)、赤い鳥「竹田の子守歌」「五木の子守歌」、忌野清志郎「ラブ・ミー・テンダー」(1988年)「君が代」(1999年)、ブランキー・ジェット・シティー「悪いひとたち」等々。
(1)性的な問題(セックスや性器などを連想させる曲名、歌詞)
(2)差別的な問題(貧困、部落、障害者、人種、宗教、職業、性などについいての差別)
(3)政治的な問題(反体制的な歌詞、曲名、他国への政治的干渉、社会的秩序の混乱を招く内容など)
「イムジン河」は必然的に3の理由で放送禁止歌になりました。いえ、それ以前に発売中止になっています。
ところで、あなたは以下の曲のうち何曲聞いたことがありますか?
岡林信康「手紙」、「チューリップのアップリケ」(1968年)、高田渡「自衛隊に入ろう」(1968年)、三上寛「夢は夜ひらく」(1971年)、泉谷しげる「黒いカバン」、「戦争小唄」(1971年)、頭脳警察「世界革命戦争宣言」、「赤軍兵士の歌」(1971年)、フォーク・クルゼイダーズ「イムジン河」(1967年)、ジャックス「からっぽの世界」(1968年)、美輪明宏「ヨイトマケの唄」(1965年)、つぼいノリオ「金太の大冒険」、高倉健「網走番外地」(1965年)、黒沢年男「時には娼婦のように」(タイトルが問題ありとされました)、原由子「I Love Youはひとりごと」、おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」、なぎら健壱「悲惨な戦い」(1973年)、憂歌団「おそうじオバチャン」、山平和彦「放送禁止歌」(1971年)、ピンク・レディ「SOS」(1976年)、赤い鳥「竹田の子守歌」「五木の子守歌」、忌野清志郎「ラブ・ミー・テンダー」(1988年)「君が代」(1999年)、ブランキー・ジェット・シティー「悪いひとたち」等々。
これらはみんな放送禁止歌です。えぇっという曲も含まれていますが事実です。詳しくはこちらに詳細が述べられています。御用とお急ぎでない人はのぞいてみて下さい。くだらない理由で放送禁止歌になっているものもあります。ただし、放送禁止ということでレコードは売られていましたから持っている人は多いと思います。そこが、「リムジン河」と違うところです。
さて、もう一曲取り上げたのが岡林信康の「ガイコツの唄」です。この「ガイコツの唄」も政治的色彩が強いということで放送禁止歌になりました。メロディ、歌詞はこんなものです。
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/gaikotsunouta.html
ところがこの歌には前口上があります。どうもその辺が歌詞ではないということで省略されてしまっていますので、その部分を書き出してみます。
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/gaikotsunouta.html
ところがこの歌には前口上があります。どうもその辺が歌詞ではないということで省略されてしまっていますので、その部分を書き出してみます。
姉は淫売、妹は芸者
末のチョロ松ァ博打打ち
兄キャ火葬場の骨拾い
おいら上野の煙草(もく)拾い
こんな一家に誰がした・・・・
末のチョロ松ァ博打打ち
兄キャ火葬場の骨拾い
おいら上野の煙草(もく)拾い
こんな一家に誰がした・・・・
といった内容です。岡林信康といえば放送禁止歌が多く、話題には事欠きません。しかし、この曲や「くそくらえ節」なんかは自身も封印しているので聴くことはできません。当時の世相を痛烈に批判していて時代を感じることができるのに残念でなりません。最近、Youtubeにこの曲がアップロードされました。時代は変わっていくものなんですなあ。