
夏休みを利用して与論島へ行ったきり、帰ってこようとしない娘を連れ戻してほしい―大学で民族学を講じる若杉徹は、教え子の父親で不動産会社社長の大河内専造から奇妙な依頼をうけた。唐突に百万円を送れという手紙が専造のもとに届き、よからぬ連中が一緒に旅行しているふしもあるというのだ。早速若杉は島へ渡り、大河内亜矢子の行方を追うが、翌日何者かに襲われる。同日、東京では髪にハイビスカスをさした専造の他殺体がみつかり、現場から、若杉の腕時計が発見されたのだ!ヒューマニズム溢れる長篇推理。---データベース---
この物語は沖縄がまだ本土復帰前の事件を扱っています。今ではちょっと想像出来ませんが1972年5月15日までは沖縄はアメリカの統治領でした。そういえば本土復帰して暫くした1978年7月30日に車の通行が右側から左に変更になって混乱したというニュースも目にした記憶があります。
ということで、当時の日本の最南端は「与論島」でした。最初の殺人事件は東京で起こりますが、舞台の大半はこの与論島で展開します。ここではね十津川警部は登場しません。東京多摩川で専造が殺されるのですが、事件の大半を追うのは多摩川署に所属する田島刑事です。不思議な事に警視庁の捜査一課も現場には急行するのですが以後登場しません。そして、田島刑事とともにここで活躍するのは大学助教授の若杉徹です。彼は事件の容疑者でもあるのですが、無実が証明されると刑事と一緒に事件を追う事になります。こういう設定ですからこの若杉徹というキャラクターはテレビドラマ化され、「冤罪」というタイトルで加藤剛の主演でシリーズ化されました。ただし、この事件は扱っていなかったと思います。
与論島と沖縄本島は距離的には目と鼻の先ですが、27度線という目に見えない国境がありました。そして、この事件は第2次世界大戦で激戦地となった沖縄の悲劇が尾を引いていました。この頃の西村京太郎の作品は社会性をテーマにしたストーリーが中心で、この物語にも当時の沖縄の置かれた立場を弱者の視点から捉えて描写しています。また、若杉という人物をアイヌとの混血という設定で、民俗学的な観点からの記述も随所に取り入れ北方のアイヌと南方の沖縄民族の共通性が論じられ西村京太郎的考察を堪能出来ます。
ただし、本編のミステリーは冒頭で若杉が襲われる展開シーンからしてちょっと緊張感の乏しい南国的なおおらかな展開で足元をすくわれます。島では2件の殺人事件が発生するのですが、この事件も緊張感が無く最初はまるで関係の無い事件としか扱われていません。事件の解決には「サバニ」と呼ばれる漁船が登場します。若杉はここに着目して、このサバにで沖縄のイトマンから与論島まで移動します。当時の状況では「密航」といことになります。塩の流れに乗れば意外と簡単に成功するのですが、それが、事件の解決に繋がります。つまりは、犯人はこの沖縄と本国の関係を巧みに利用してアリバイ工作していた事になるのです。
それにしても、刑事と大学助教授が一緒に沖縄にいくというのもおかしな設定です。通常刑事は二人一組で行動するということを聴いた事があります。現に十津川警部は相棒の亀さんと一緒に行動しています。この小説でも田島刑事の相棒には小野刑事がいるのですが、田島刑事はいつも単独で行動しています。不思議です。
殺人の動機は終盤明らかになりますが、このストーリーの設定上の6人の若い男女の行動は今イチはっきりしません。殺された不動産会社の社長の娘も存在感があまり感じられない内容です。とくに、この娘は父親が殺されても葬式にも参加しないという訳の解らない設定になっています。更に、犯人グループ?の行動も今イチ計画性がありません。事件は若杉の活躍で解決しますが、6人の若者を中心に据えたストーリーそのものは当時流行していた「ニューシネマ」の一編を見ているようで釈然としないものが残ります。