星空を見上げながら眠る。見渡す限り何もなく、地平線の際まで星が輝く荒野で、愛犬と寄り添って無心で焚き火を見つめ、夜明けには朝日で目を覚ます。そんな経験をしてみたくないだろうか?

満天の星空の下で焚き火がした








くなる、キャンパー必見のロードムービー『奇跡の2000マイル』。

本作は、ロビン・デヴィッドソンが1977年に実体験した、オーストラリア西部に広がる沙漠2000マイル(321.8688㎞)を、駱駝の調教と沙漠で生き残る訓練をした後、ナショナル・ジオグラフィック誌の資金援助と引き換えに同誌の写真家リック・スモラン(アダム・ドライバー)の写真撮影依頼を引き受け、愛犬と駱駝と共に、7か月かけて一人で旅した冒険旅行を綴った、「TRACKS」という回顧録を映画化したもの。「ストーン」のジョン・カランが監督を務め、共演には「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のアダム・ドライバーがキャスティングされた。

クランクインの2週間前に、南オーストラリアにてロビンと初めて対面したミア。駱駝への接し方をロビンから学ぶため、製作スタッフも交え3人でキャンプを行った。ミアは「ロビンは私に、駱駝と触れあい駱駝と仕事をする自分の視点を見せたいと思っていた。駱駝との触れあい方は人それぞれだから。彼女の場合は、優しく、いたわるやり方なの。でも同時に、かなり強く接する必要もある。目の前でそのやり方を見ることができて、本当に素晴らしかったわ」と当時を振り返る。そしてロビンとの出会いについて「彼女と会ってとても安心したの。彼女の性格と旅と物語に畏敬の念を抱いて、大好きになれたから。ロビンと出会って、彼女と友情を育めたことが、この映画から私が得ることのできた最高の出来事の1つです」と語る。

またロビンもミアを「ジョンとエミール(プロデューサーの2人)にこう言っていたの、『ミアを確保できれば最高だわ』とね。実現して、もちろん失望することはなかった! 彼女は素晴らしい俳優だし、本当に愛らしい人でした」と賞賛し、完成した映画にも大満足の様子。

なお本作のエンドロールには、沙漠横断の旅に出ていた頃のロビンの写真が登場する。20代半ばのロビンと劇中のミアは顔つきや髪型がよく似ており、一足早く本作を観た人からは驚きの声が。またミアの衣装は当時のロビンが身に着けていたデザインを再現し、細部に至るまで工夫が凝らされているという。

ロビンは母親が自殺してから、叔母に預けられ寄宿学校に入れられて、その後学校を出た後はその反発からボヘミアン的な生活を始め、サブカルインテリ集団シドニー・プッシュのメンバーたちと時間を過ごし、1975年にアリス・スプリングスに渡った経緯を持つ。

監督は映画『ストーン』のジョン・カラン。製作の発端は、ジョンが20代に経験したオーストラリア旅行が大きく、「ニューヨークで育った僕は、冬の寒さに嫌気がさして20年代半ばでオーストラリアに行き、そこで仕事をしたり、アウトバック(オーストラリア内陸部の沙漠中心地帯)の旅行もした。その滞在時に若い女性の間で有名だったのがロビンの回顧録だったが、僕は当時読まなかった。むしろ、僕がこの地に向かう前に友人がくれたリック・スモランの写真集「A Day in the Life of Australia」の方が長い間脳裏に焼き付いていた。そんな過去のオーストラリア体験とリックの写真集が製作のきっかけなんだ」と明かした。また、「オーストラリアの沙漠付近の太陽は、15分も居れば体が焦げるくらい熱い。太陽の反射も通常の撮影方法では無理だ。さらに、事前にメイクアップ担当者がサンブロックを用意していたが、通常のサンブロックではすぐに塗った箇所がレンズに反射してしまうため、ミアの肌が焼け過ぎないように撮影の合間は、彼女に衣装を着させて体をカバーし、彼女が心地良く演技できるようにした」とも語っている。

ミアのキャスティングについては、「僕が今作に関わってからは、オーストラリアの女優を雇うつもりで、相当の数のオーストラリアの女優に会った。僕がアメリカ人で、女優もアメリカ人だったら、きっと駄作になっていただろう。実はミアに急きょ決まった。彼女はロビンに似ているだけでなく、ロビンのように落ち着いた性格で、ものすごい知識人でもあって、彼女に即決した」と監督自身が語る通り、過酷な状況下に於ても、想像を凌駕する演技を披露し、選択が間違いではないことを証明している。

「ミアは完璧な容姿に完璧な女優が一体化している。僕は俳優がキャラクターを自分のものにし、それを守り、なぜ僕の説明に効果がなく、それがいいやり方ではないのか、彼らの視点からはっきり主張することができる俳優が好きだ。僕にとって心地良い衝突だった。ロビンというキャラクターと僕が見た彼女は、とにかく、自分だけで出発することを認めてもらうために、そういう衝突が必要な女性だったんだ。

リックというキャラクターは、企画段階で大きくなり、のちの脚本執筆段階を通してさらに成長した。僕は本から離れたかった。ある意味、ミアは実物のロビンと似ているが、リックは映画版の物真似にしたくない。本からこのキャラクターを抜き出し、参考にするものも沢山あり、リック自身やロビンからも十分話を聞けた。僕は彼がどんな人か、はっきりとしたビジョンがあった。彼はどことなく、肉体的にも社会的にも不器用なところがあるが、とても知的な好青年だ。彼はとてもエネルギッシュに早口でしゃべる。彼が部屋に入ってくるとすぐにミア演じるロビンの次に重要な役だとわかるし、二人が一緒に砂漠にいる様子を思い浮かべると、観てとても面白くて魅力的な雰囲気を醸し出すんだ。

アダムは即興形式の仕事やコメディ作品をたくさんやっていると思う。それがとても役立った。脚本では大きな役じゃないし、かなり不十分な書かれ方だから、それを理解し、何かもっと付け加えて、脚本になかった立体的なキャラクターにしてくれる俳優が必要だった。彼に多くの自由を与え、脚本から離れて即興演技ができるように彼を勇気づけたよ。彼はシーンを演じながら、自分がしてみたいと感じたことをやった。彼はそんなふうに少し制御不能なものを愛するタイプの俳優で、コメディを真剣に考えている。そこがアダムについて気に入っているもう一つの特徴だ。喜劇は間抜けたことじゃない。コメディを知的すぎるほど知的に捉える。そこが素晴らしい。彼は茶番と知的なユーモアの微妙な差をちゃんとわかっているんだ。

アボリジニの長老ミスター・エディ役として、エディの親戚でもあるローリー・ミンツマと会った。ほかの俳優とは会っていないと思う。ほかの候補者のテープは見たかもしれないが、早い段階で彼と会い、彼の優しさや感じの良さに感銘を受けた。そのとき彼は何も言わなかったが、とてもやりたそうに見えた。僕にはそれで十分だった。本の中に書かれた彼は、物静かで、何の言葉も発していない。でもローリーはよくしゃべる人で、僕はそこが好きだったから、彼の地のままでいこうと思ったんだ」とも。また、「制作にあたっては「From Alice to Ocean」が参考になった。影響を受けたかどうかわからないが、この旅の素晴らしいビジュアルの参考になっている。オリジナルの「ナショナルジオグラフィック」誌の記事をはるかに超えるたくさんの写真が載っている。それにリックはとても気前よく、参考用として、これまで見たことのない追加の写真も送ってくれたんだ」。

旅の出発点はオーストラリア中央部の町・アリス・スプリングス。ウルル(以前はエアーズロックと呼ぶのが一般的だったが、現在は曾てのアボリジニの呼び名を尊重し、ウルルと言われている)の最寄り。といっても、ウルルまでは約470kmも離れているのだが、ここから出発するツアーも多く、昔から観光客向けのアクティビティとしてキャメルライドが行われていたので、オーストラリアの中でも駱駝の需要が多少残っている。

「映画に登場する1977年頃のドッカーリバーの様子は、我々の解釈なんだ。当時、そこは安定した集落だった。ロビンにとってそれは、アボリジニの人たちや彼らの文化と私的レベルで交わるチャンスだったのだと思う。本の中で、彼女はリックの同行をひどく嫌がっている。その体験で、リックがカメラマンとして自分の仕事を押し付け、彼女と地元民を対立させてしまうからだ。地元民は写真に撮られることを歓迎しなかった。だから彼女の経験の足を引っ張ることになる。二人の忍耐の限界だった。映画ではそう描かれる。また、映画ではダンサーや歌手の女性たちといった多くの人を登場させている。彼女たちがミアを何かに参加させる。彼女たちがあるダンスを選んで僕たちに見せてくれた。そしてミアを引き入れ、一緒にダンスを踊らせたんだ。僕にとってそれは大きな意味があった。自由になって幸福そうなロビンを見られるシーンの一つだからね」と監督は語る。

ロビンはインド洋に面した西海岸まで駱駝と共に旅したいと、片田舎のアリス・スプリングスにやって来たが、多くの人は無謀だと相手にしなかったが、彼女の決心は微塵も揺らがなかった。とはいえ、元々都会育ちで駱駝に接したこともないロビンは、まずは駱駝の扱いから憶える必要があり、駱駝牧場で働いたり、駱駝調教師に弟子入りしたりというところから始めなければならなかった。騙されてタダ働きさせられるなどの紆余曲折もあり、結局、駱駝を手に入れて旅に出るまでに2年近くもかかってしまう。ちなみに、駱駝=アラブの国の動物、という印象が強いが、オーストラリアでは19世紀初頭に開拓者によって駱駝が持ち込まれた。だが時代の趨勢により自動車が発達し、軈て不要となり捨てられ、今では野生繁殖が進み、駱駝の生息数は100万頭以上とも言われており、干魃の際に大量の駱駝が水を求めて町を襲撃するといった事件も発生し、害獣として大規模な駆除も行われているそうだ。だがロビンにとって駱駝は乗るためのものではなく、飽くまで水や食料などの運搬手段。徒歩のため時間がかかり、多くの物資を携行することになるからだ。故に、3頭の駱駝が必要だったのだ。

「駱駝の演出は最高の経験だった。素晴らしいラクダの専門家アンドリュー・ハーパーがいてくれたからだ。彼と何度も沙漠をトレッキングしたロビン・デヴィッドソンの紹介だった。アンドリューは素晴らしい良識をもち、系統だって考える人で、いろんな意味で完璧だったよ。4頭のキャラクターを配役しなくてはならなかったし、その1頭は赤ちゃんラクダでなくてはならなかった。簡単な仕事ではなかったはずだ。アンドリューがこれらのラクダをキャスティングして、そっくりな代役まで用意した。だからワイドショットが必要な時や、何かうまくいかない時は、代役を使うことができた。彼の並外れた能力のおかげだ。その上、ラクダの1頭は去勢される前の、冒頭のシーンで雄牛のような攻撃的な演技をしなくてはならなかった。アンドリューはモーガンという名前の素晴らしい雄のラクダを見つけてくれた。モーガンは合図でうなり声をあげ、かみつく。でも本当は大人しくて、すべて演技なんだよ」

カラカラに乾いたアクトバックでは雨が降らないので、地面に直接敷いたマットの上で、寝袋に潜り込んでビバークする。キャンプの経験が豊富な方ならご存知だろうが、これは理想的なキャンプ方法。ビバークは日本語では「露営」と言われるように、日本のフィールドでビバークすると夜露でじっとり湿ってしまう。だから、テントもタープもなしの青天井で星を眺めながら眠るのは、日本では爽快とは言い切れないことが多い。もちろん乾燥地帯でも夜露が全く無い訳ではないが、その量は比べ物にならない。ロビンのようにテントなしで気持ちよく寝られる乾燥地での開放的なキャンプは憧れだろう。但し過酷なので、実践はオススメしないが。

余談だが、ロビンは焚火にスキレットをのせて缶詰の豆を温めて食べている。スキレットというのはダッチオーブン同様、鋳鉄で作られたフライパン。ロビンの食事は毎回レンズ豆みたいなものばかりで大した料理はしてはいないが、それでも自然の中で焚火で作る料理はとても美味しそうに見える。また、焚火はゆったりとした癒しの時間を与えてくれる。焚火を眺めなら飲むコーヒーも格別。日本では地中の生物に与える影響やフィールドを汚すことを嫌って地面で直に火を燃やす直火の焚火を禁止しているキャンプ場が多いが、焚火台を使えば可能だし、もともと焚火OKなキャンプ場もある。べーべキューグリルと炭を持参して手際よく肉を焼いて、食べたら早々に片付けて帰る。そんな忙しない日帰りキャンプではなく、ぜひ夜には焚火を囲んでゆったり過ごす余裕のあるキャンプを楽しみたいものだ。

キャンプ=カレーと焼き肉風のバーベキューというワンパターンから卒業してほしい。そのためにぜひ揃えてほしいのがダッチオーブンとスキレット。ダッチオーブンやスキレットはアウトドアで使えば火からおろしても料理が冷めにくく、スープを作ってからスキレットで肉を焼いても、食べる時にはまだスープも熱々で、ひとつの焚火で調理をするには最適。重いのと錆びやすいのが難点だが、ダッチオーブンには自宅のガスコンロでも使えるタイプもあるし、蓄熱性の高い鋳鉄を使ったダッチオーブンやスキレットは、遠赤外線効果で煮込み料理を柔らかく仕上げる事が出来る上、油の温度が下がりにくいので揚げ物にもぴったり。スキレットはステーキを美味しく焼き上げることができるので、キャンプには頻繁に行けなくても、自宅で重宝可能だ。

閑話休題。

ロビンが歩いた2000マイルだが、羽田空港を基準に直線距離で調べてみると、ほぼドンピシャなのは南太平洋のパラオとフィリピンのセブ島。改めてオーストラリアの広大さを感じるとともに、これだけの距離を歩き続けることがいかに大変なことか分かって頂けると思う。私も4085㎞徒歩旅行を経験しているが、それは9年ほどかけて夏休み、冬休みを利用してのものなので、全く比較にはならない。だが野宿、テント泊などを体験しているので、如何に過酷な旅かは、理解したくないくらいに理解出来る。七ヶ月歩き続けるなんて、聞いただけで気が遠くなる。

監督曰く「僕は長年オーストラリアに住んでいたから、戻ってオーストラリア映画をぜひやりたいと思っていたんだ。でも、オーストラリアの景色自体が映画のキャラクターになる映画を撮りたかった。それに僕はフィルムで撮影したかった。フィルムに撮影する価値のある映画を撮りたかった。今ではもうそれが簡単ではないから。フィルムは死にゆく媒体だ。でも、この映画はフィルムの豊かさに見合う作品だと思ったし、伝統的な映像がほしかった。クローズアップで全て賄うのではなく、ワイドショットを多用して撮影したかったんだ。奇跡の2000マイルは、これまで僕がやったどの作品よりも、脚本は出発点に過ぎない。この映画は、沙漠で作られる。僕らはそこに映画を見つけに行くつもりだった。動物や、ミアや、アダムと一緒に何かが起こる。そこに同調できて、恐れるのではなく、イライラもせず、説明が難しいけれど、ある種の混沌とともに動ける人が必要だった。マンディはそういうことにぴったりの個性と技術をもっていると、僕は直感した。でも僕がマンディを選んだ一番の理由は、彼女が美しい映画を撮れる人で、僕がそれを望んだからだ」

武蔵野館、スバル座、岩波ホールなどでかけられている単館系の写真は大概そうだが、知名度があまり無い作品が殆ど。しかし、そういう作品の中にも良い映画は多い。全国ロードショー作品もいいが、単館系も素晴らしい。