本日の一本95。

ゾラの生涯

アメリカ国立フィルム登録簿にも登録された、映画史上に遺る銘作です。

この映画は、作品の流れとは逆の順所で撮影が行われました。

主演のポール・ムニは役柄の為に髭をのばし、撮影が進行する度に徐々に髭を短くし、色を黒く染めて行きました。この、役者魂は凄いですね。彼のメイクの時間は毎朝3時間半かかったそうです。

世界的に有名な作家は多くいますが、『ペンは剣より強し』を地で行く作家は、おそらく彼ぐらいでしょう。ゾラという作家を知るという意味だけでも、この映画の価値があります。英国に亡命してまで書き続けた小説や新聞でのドレフェス冤罪抗議記事。最後まで戦い続けたゾラはまさに圧巻です。

作家の卵であったエミール・ゾラ。パリの古ぼけた屋根裏部屋で、同じく売れない画家ポール・セザンヌと同居し、真実追求の激しい情熱を著作に打ち込んだ。

真実を書いた故に、漸く得た出版社での職も失ったが、ある日警官に追われていた巷の女ナナを救い、彼女の身の上話を小説に書いて大好評を得、続いて書いたルーゴン・マッカール叢書はゾラを一流作家とし、軈て富と地位を得て文豪の名声を博した。

彼は真実を追究し情熱を著作へ打ち込む。しかし、真実を描いた故に、仕事先の出版社を馘になる。

ある日、警察に追われていた女性を救い、彼女の身の上話を小説化し大好評を得る。続いて書いた作品も大当たり。ゾラは一流作家として富と地位を得るが、同時に、セザンヌと訣別する。

そのころ全世界を騒がせていたドレフュス事件が起こった。軍の機密を某国にもらしている参謀部将校が、何者であるか突き止め得なかった軍首脳部は、ユダヤ人であるが故にドレフュス大尉を犯人と断じ、反逆罪に問い悪魔島へ終身刑の囚人として送った。

夫の無罪を信じるドレフュス夫人は、ゾラを訪れて世論に訴えて夫を救ってくれと頼み、書類を渡した。ゾラは始めは躊躇したが、結局、有名な「余は訴う」と題する一文を草してドレフュス事件の再審を天下に訴えた。

軍首脳部は既に真犯人がエステルハジー少佐であることを突き止めていたが、一度有罪と決してドレフュスの処刑を覆すのは、首脳部の責任を問われる恐れがあるので、真相を揉み消しにかかったのだ。

軍は裁判所に干渉し、ゾラを中傷罪として逆に訴え、更に幾つかの新聞に、ゾラは国賊なりと書かせて大衆を扇動したのであった。

かくて、ゾラの友人である弁護士ラボリの熱弁もかいなく、ゾラは有罪となり二年の禁固が申し渡された。友人たちはゾラを英国に亡命させた。その後も友人たちは正義のための論陣を張り続けた。

その内に政変があり、フランスの政府状況は一変した。この為、ドレフュス大尉を処刑した軍首脳部は悉く退職させられ、真犯人エステルハージ少佐は自殺してしまった。

ゾラは愛国者として迎えられ、ドレフュスも悪魔島から召還され、改めて軍籍に戻り中佐に昇進した。

その喜びの日の前夜、ゾラは書斎で執筆中ガス中毒で死亡した。ゾラをパンテオンに祭る日には、アナトール・フランスじゃ悼辞を述べた……。

フランスの文豪エミール・ゾラの伝記を基に、居酒屋、ナナを出版し著名になるまでと、後半は実話である「ドレフュス事件」をドラマ化しています。

ちょっと脱線しますが、この事件を当時新聞記者として取材していた、テオドール・ヘルツルが社会のユダヤ人に対する差別を目の当たりにして、シオニズム(ユダヤ人国家建設)構想を提唱しました。それがその後、イスラエル建国に繋がって行ったようです。

昔から国家や大きな権力が、謂れ無き罪で個人の人生を蹂躙してしまう事はあります。併しそこで正義の味方的存在が出てくるか否かで、また時代が変わるという事でしょう。

この時代に於けるそれが、ゾラだったのは、言うまでもありませんが。