ババドック

親子の迫力ある演技はとにかく圧巻。開始早々から親子の不穏さが凄い。この暗い雰囲気で淡々と進んでく感じは、私は嫌いじゃない。

私も含め、おそらく多くの方が先入観として、ただ「ババドック」という怪物が襲ってくるだけの、某エルム街的なホラーと思われるだろうが、実はそれは飽くまでサブ的要素であり、本質は別にある作りになっている。

名前と姿を知った者は  
ババドックから逃げられない
真実を見抜ける賢い者なら
この特別な存在と友達になれるかもしれない

彼の名はババドック  
これは彼の本
おかしな物音とノック3回 
バ・バ・バ ドックドックドック  
それが彼の来た合図

彼が見えるはず 
黒い帽子に黒いコートのゆかいな姿
夜 彼を見たら…
一睡もできない
ゆかいな顔は仮の姿
本当の姿を知ったら…
欲してやまなくなる

死を

アメリアは、出産に向かう車で事故に遭い、父親が死亡し、息子は無事生まれた。絵本作家だった母は、介護施設で働きながら、問題の多い息子に悩まされる毎日を送っている。

息子の声で悪夢から目覚めた母は、怪物が見えると訴える息子に、絵本を読んで寝かしつける。

ある日、息子が読んで欲しいと持ってきた絵本「ババドック」
《その名前と姿を知ったものは逃れられない。しかし、理解するならば友になれるだろう》
泣き出す息子、焼却するがまた戻ってくる絵本。次第に周りとも孤立し、狂っていく母、ババドックに支配されるのを懸命に守ろうとする息子。果たして二人は逃げ切れるのか?

ババドック(ヘブライ語で “ba-badook” とは “He’s coming for sure(彼は確実にやってくる)”という意味)=彼は確実にやってくる 

唐突なオープニングから始まり、そして疲労困憊のエッシー・デイヴィスが映る。ノア・ワイズマン扮する無邪気ながらも手のかかる我が子と共にベッドで眠るのだが、母は子供から離れるようにベッドの端で眠る。この“距離感”の描写が巧いと思った。

やがて謎の絵本・ババドックを読んだことから更に状況が不穏になっていくのだが、決して怪物ババドックが大暴れするような展開ではなく、それによって更に心にフラストレーションが溜まり、益々すれ違ってゆく母と子の姿を見せていくのだ。

どんどん周囲から孤立していく様は観ていて本当に辛いが、しかしこれがまた良く出来ている。

良い母になろうと頑張りすぎた故、ババドックを切っ掛けに、しまい込んでいた怪物が暴走し始める。人間が生々しく崩壊していく恐怖
は、決して他人事ではない。

家にあった不気味な絵本からはじまるゴーストホラーかと思いきや、人間関係のリアルな辛さを緻密に描く良作。

ただ驚かせるだけの、役者の力に頼りきった作品ではなく、観て行く内に登場人物の見え方が段々変わっていくような演出が素晴らしい。

息子の視点で観ると鬱病で狂ってしまっている母親に見えるが、母親からの視点では奇行を繰り返す息子に見える。あるいは、本来自分の中にあった魔物の存在によって狂っていく二人のようにも見え、また、別にどちらも狂っておらず、或るトラウマを抱えた二人の親子がそれを乗り越えようと必死にもがく姿にも見えるのだ。

母と息子に共通しているのは、父親を今でも想っているが故に、幻想に囚われていてなかなか前に進めないでいるということだ。

ただ、ババドッグが見えるのは母親だけじゃないし、本も修繕されて帰ってくる。

…確かに育児ノイローゼの臭いはしたが、心の闇を象徴してるのがババドックってわけじゃなさそうだ。

最愛の夫をなくした傷が癒えきれないまま、息子のサミュエルを女手一つで育てなければいけないのに、サミュエルは所謂手のかかる子。周囲からも距離をおかれ、誰も分かってくれない彼女の壮絶な心の痛み。そしてまた、アメリア自身もその痛みを誰かに打ち明けようとはしない。

そんな風に、起きてしまった出来事への「負の感情」に蓋をしてアメリアは生きてきたのだろう。でも蓋をすればするほど、感情というものは暴徒と化してしまうもの。例えば失恋。死ぬほど好きだった人に急にフラれて、絶望の淵にいるとする。そんな時、周囲に悲しみを悟られまいと、職場でも気丈に振る舞う。でも胸の奥がチクチク痛むのには気付いている。でもそんな時に、「○○、どうしたの?元気ないじゃん? 」と心配してくれる友人が現れる。腹の中に溜まったドス黒い想いを友人に吐き出し、号泣し、そして美容室にでも行って、漸く未練を断ち切れる。つまりは、一度「負の感情」と向き合う必要がある。でないと、人生を通し、何度もその感情が自分を苦しめる。

ここで想い出してほしいのが、絵本の中のババドックの台詞。

THE MORE YOU DENY, THE STRONGER I BECOME

ババドックはその存在を拒めば拒むほど、強力な存在と化していく事がきちんと描かれている。アメリアが妹に「I have moved on. I do not talk about him anymore. 」と言い放っていることからも、アメリアが自ら亡き夫の話題には触れないよう、負の感情に蓋をしている事が分かる。

結果、彼女の内なる狂気=ババドックに支配権を握られてしまった。軈て、アメリアは息子の愛に支えられ、ババドックに宣戦布告をする!ここで本来の主導権を奪還したアメリアは、久方振りに「母親」になることができたのだろう。

とはいえ、ババドックはアメリアの一部なのだから、いなくなったりはしない。でも存在を否定せず、うまく飼いならし共存していくことはできる。それが最後の餌やりのシーンに繋がっているのではないだろうか?

そもそも、ババドックへの餌やりをしているのはアメリアだけであり、これも彼女の幻であると説明がつく。

サミュエルは一度狂った母親をみているので、母親がババドックに餌やりをしているという話も、すんなり受け入れられたのだろう。医師の台詞にもあったように、多くの子供がお化けをみる(妄想する)ものだというのもポイントになってくるのかも知れない。

それから、アメリアが曾ては絵本作家だったということ。これを敢えて彼女が語っているという事からも、彼女がババドックの絵本の作者である事が容易に想像できる。絵本には彼女もサミュエルもちゃんと登場しているし、何よりこれで絵本が棄てても家に戻ってくることにも納得が行く。途中から絵本のページが白紙なのは、書きかけだったのかも知れない。

あの表情、あの雰囲気。お母さんの最後にかけて変わって行く様が異常すぎてババドック本体より全然余裕で怖い。

愛する夫の命日と息子の誕生日が一緒という残酷さ。アメリアは7年たっても未だに夫を愛している。未だに彼を求めてしまう。

駐車場で車内で熱くキスを交わすカップルの様子から目が離せなくなり、その夜、たまらず自室のベッドでマスかきの絶頂中に、いきなり息子が叫びながら部屋に入ってきて邪魔される。これが彼女の日常だ。アメリアに「女」になる時間はない。

サミュエルの為に一生懸命に母親として頑張っているアメリアだが、時々 夫>>>息子 という気持ちがチラつく。

息子の誕生日はアメリアにとっては「夫の命日」。愛する夫の死=息子のせい(息子の犠牲になった)。

そうは思いたくないし、そんな事実や描写はないが、この想いが確かにあるように見えた。

たぶん本当は自分を責めたいのかもしれないが、一番彼女を振り回し、周囲からの孤立理由の要所、要所に「サミュエル」がいるからだと思う。

息子は問題行動を起こしすぎだが、可愛い部分も当然ある。母親に怯えてこっそり電話してる姿が不憫。

ババドックを飼い慣らすシーンで一瞬「は?」ってなったが、「アメリアの心の中の闇、負の感情を受け入れ、上手い距離感で折り合いがついた状態なのかなぁ」と。つまりババドック=アメリアの心の中の闇と解釈したら色々と納得できた。「心の闇は消せないけど、それと向き合って行く」というメッセージだったのではないだろうか?完全には勝てなかった。いいじゃない、凄く人間臭くて。

全体的な気味の悪さとオリジナルティあるババドックが結構好きだった。

父親の死というトラウマに親子で乗り越えようとする様子を、ホラー描写を用い、育児放棄などの社会問題も交え、それに加えて外部の人間の行動が、問題を抱えた当人たちにとって、良い方向だけではなく、悪い方向にも影響してしまうことの恐怖も少し描かれている。例えばパーティに参加した無神経な人の一言や、損得を考えずに誰かに手を差し伸べようとする職場の男性、おばあさんの気遣い、学校の職員の突き放すような言動など。

面白くなかったと思う人にこの映画の評価を見直してくれることを願う。

そしてやはり、素晴らしいホラーは「家」を描くのだ。

 I'm not leaving,l always love you.

見事としか言い様がない。そんじょそこらのホラー映画とは桁違いの完成度。

なるほど、こういったホラーが一番怖いのだと改めて思わせてくれた傑作だった。

余談5連発

①監督曰く、どれだけ依頼があろうと続編制作はしないと公言している。

②ウィリアム・フリードキン監督に「未だ嘗てこんなにぞっとする映画をみたことがない」と言わしめた。

③アメリア役デイヴィスの罵倒シーンでは、サミュエル役のワイズマンをセットから外し、代わりに罵倒をうける役に大人を起用した。これは当時6歳だった子役のトラウマにならないように、という監督の配慮。

④Netflixが本作を誤って「LGBT映画」としてカテゴライズしてしまったことから、ババドックがLGBTコミュニティの象徴やミーム(meme)になり、思わぬ形で再び注目を浴びることに。

⑤実際にババドックの絵本が一つずつ手で造られ販売された。初版は80ドルの2000冊限定で、監督のサイン入り。ebayなどで限定版の転売もみうけられるが、高値(600〜800ドル)での取引になっている。