ウルトラマン80は、昭和最後の特撮ウルトラマンの位置付けで、DVD-Boxも揃えたくらい、私の中では神作品です。

アナログ特撮技術の最高峰と讃えられており、あの迫力ある画面作りは、CGに頼り切った画面作りしか出来ない現在では、再現不可能でしょう。

評価は低いですが、12話迄の教師編も名作が多く、特に3話、5話、12話などは完成度が高いですね。

15話では泣きましたし、
最終回のタイトルは斬新過ぎて賛否両論ですが、防衛組織がウルトラマンを敢えて封じ、自力で倒す事で、地球人の自立を描くというものでした。こんな作品、後にも先にも80だけです。

ロボフォー、ファイアードラコ、ググワガンダ、ゾラ、ゴラ、デビロンなど、格好良い造形の怪獣も沢山出て来ますし、昭和ウルトラマンの帰結点としては究極の作品です。

確かに無理が有る話や、明らかにアレな部分も多々有りますが、それを補って余り有る出来です。

ウルトラマン80。再評価が待たれる傑作です。

80は、「新しいウルトラマン」としての新機軸として、主人公が中学校の教師となり、学校が日常の舞台とされました。

企画書では、児童の殺人や自殺といった暗い世相に言及し、「“生命の尊さ”、“愛の美しさ”、“勇気の誇らしさ”を啓蒙し、“ウルトラ文化”と呼ばれる子供文化を作り上げていきたい」とし、その手段として「ウルトラマン=先生というドラマ設定とした」と記されています。

こうして、当時の子供たちを取り巻く不穏な世相を象徴する形で、「地球人の憎しみ、悲しみなどの邪悪な心(マイナスエネルギーが怪獣を生み出す」という設定を導入し、ウルトラマン80は怪獣と直接戦うだけではなく、「怪獣を生み出す人間の邪悪な心を正すため、教師として子供たちの教育に取り組む」というドラマ作りが行なわれました。

主人公が学校教師である点は、当時流行した同じTBSの『3年B組金八先生』や日本テレビ系の『熱中時代』などと共通していますが、このコンセプト自体は『ウルトラマンレオ』終了時に既に存在しています。ウルトラマン80という作品は、教育変革期の作品でもありました。本作を放映していた時期は、保護者層による、子供番組の内容についての問題提起運動が盛んになっていた時期と重なります。

その一環として当時の円谷プロに、本作の内容を問題視する冊子が届けられました。

その内容は、第7話における暴力的な表現の回数や内容が、細かい統計データとして集計されており、更には「主人公が軍人であり共感できない」「サイレント作戦は戦時中の灯火管制を想起させ悪印象である」といった細部の演出への批判が記されていました。

この冊子については、1993年に商業誌でその存在が紹介され、ファンの知るところとなったのですが、ただ、本冊子は同時期に放送された他の子供向け人気番組についても作成され、特に本作を狙って批判する運動があったわけではないようです。

尚、この冊子のような指摘が実際の番組制作に影響を与えたという公式発表や証言は特に公表されていません。

未使用シナリオ一覧。

「恐竜時代がやってくる!」(泊里仁美)※先生編で検討された台本。登場怪獣はM17星雲人、恐竜軍団としてブロントザウルス、イグアノドン、ステゴザウルス。地底用戦車レッドスクーバーが登場予定。

「高度5000メートルの恐怖」(阿井文瓶)※先生編で検討された台本。登場怪獣は風船怪獣ジダン、特撮監督は高野宏一、監督は湯浅憲明となっていました。

また、第43話からウルトラマンシリーズ初の女戦士のユリアンが登場し、2人を中心に据えた作劇がなされましたが、ユリアンの姿としては第49・50話のみしか登場しません。

当初、80は「苦しい戦いと人間たちとのふれあいを経て、ウルトラ兄弟の仲間入りを果たす」と設定されており、番組宣伝ポスターにもゾフィーからレオまでのウルトラ兄弟が掲載され、過去の作品との繋がりが明示されましたが、後半の妄想ウルトラセブンとウルトラの父を除き、歴代ウルトラマンの客演は無いままに終わりました。

更に、本作の終了後、1996年に『ウルトラマンティガ』が製作されるまで、国内TV番組としての「ウルトラシリーズ」は休止期間が16年に及んでいます。

ウルトラマン80の裏設定として、地球での怪獣退治という試練を乗り越えた暁には、晴れてウルトラ兄弟の仲間入りをする…という設定がありました。

また、当時の学習雑誌は、こんな設定も。

80は幼い頃、怪獣に両親を殺された孤児で、宇宙警備隊副隊長、ウルトラマンレッドに引き取られて成長した。小さい頃からスポーツ万能だった80は、8000歳の時にデビルスプラネットなる惑星に設置されている宇宙警備隊養成所に入所。厳しい修練の後、ウルトラの父に認められ、地球派遣が決定した(小学一年生80年9月号)。

その派遣生候補は80、ゾラ、ドルフィの三人だったが、最終的に80に決定した(テレビマガジン)。

この裏設定から推測するに、80は直接宇宙警備隊から救援を得るのではなく、苦戦しても、戦いや地球人との関わりの中から様々な事を学び、自身の知恵と判断で能力で戦う事が試練として課せられていた可能性があります。

だから、他のウルトラ戦士が直接助けに来る事は無かったのだと思います。

デザインは美術の山口修。

シリーズを追うごとにウルトラマンのデザインが装飾過多になった為、高野らの意見もあり、この80は初代ウルトラマンをイメージしたシンプルなものにされました。

また人間っぽさを仮面で表現しようと努めたそうで、これを強調するために鼻梁が設けられ、また顔面のアクセントとして、鶏冠部分が赤く塗られたそうです。

両目のふちを盛り上げ、目の上下に差を付けて上瞼の存在を意図させるような工夫が取られ、更にファスナーを隠すため、ツマミが内側に入る取り付けられるという、従来とは違った手法が採られ、背鰭を排しました。

マスクはFRP製で後頭部まで一体型で製作され、前後分割形式のマスクとなったため、後頭部のウェットスーツ地はこれに隠れる形となりました。また、カラータイマーの発光装置として発光ダイオードが採用されています。

山口は80の胴体素材にスキーウェアを試してみたが、アップ撮影で布地がばれてしまうので、結局これはやめ、従来のウェットスーツ地に戻したそうです。

因みにユリアンのデザインモチーフは弥勒菩薩とされています。

80は初代のデザインや立体構成から、大胆さと繊細さの足し引きを行う事で人間の形態に接近させて完成して行ったという、秋廣泰生氏の見解に、共感します。

新しいウルトラマンを生み出そうとするStaffの苦悩は、想像を絶します。

湯浅監督は、賛否両論のあるこの「主人公を単に防衛チームの隊員ではなく、教師にした」という設定は、安易に当時の「先生物」のブームに便乗したわけではなく、先ほどの橋本洋二プロデューサーの「なぜいま、ウルトラマンを作らなければならないか」という問いかけに応じたものであり、「万能」のウルトラマンに「先生」という肩書を加え、「昼間、授業中に怪獣が出たらどうするのか」といった葛藤から生まれるドラマに主眼を置いたものだったとしています。

本作の企画は、円谷プロの赤坂の寮で週に一回会議が行われ、そして進められました。

テーマは「いま、ウルトラマンを復活させる意義は何か」というもので、TBS編成局側からは「従来のスタイルにしてほしい」との要望が出されましたが、これに対して、同じくTBSの橋本洋二プロデューサーは、「80年代のウルトラマンが以前のものと同じでいいはずがない」と主張し、「教師設定」が導入されたそうです。

橋本プロデューサーによって、湯浅監督や平野靖司、土筆勉ら円谷プロ系でない外部の新しい監督、脚本家が集められ、「新しいウルトラマンをどうするか」との論議はとの論議は放映開始後も熱く戦わされました。

本編監督には、大映で昭和期の「ガメラシリーズ」全作を担当し、大映倒産後は『刑事犬カール』(東京映画、1977年)などのTBS系のテレビドラマを多く手がけた、湯浅憲明がメインに迎えられました。

湯浅は、本作に携わる前に、大場久美子主演版のテレビドラマ『第二期コメットさん』(制作した国際放映は円谷プロと提携関係にあった)で、ウルトラマンタロウやウルトラマンレオがゲスト出演するエピソードを局と組んで監督しています(視聴率は30%を超えました)。

学園ドラマの設定を導入した事は、生徒が学園生活で出会う問題と怪獣の発生を絡めた佳作を幾つか生み出しました。しかし、放映時間実質25分では、虐めや不登校、異性交遊などの当時の教育問題と怪獣を並立して描くことに限度があり、また、実在の学校施設を借りてロケ撮影の日程(おもに日曜日に撮影された)を組むのが制作スケジュール上の制限となって行きました。

こうした中で、「学園物」設定を主張した橋本プロデューサーが放映途中でラジオ部に異動。これを受け、TBS編成局は「やはり昔のスタイルでいこう」と円谷プロ側に伝え、第13話以降は「学園物」の設定とともに、矢的猛の「学校教師」としての設定は切り捨てられ、UGMを舞台として隊員たちの活動を描く従来の「ウルトラシリーズ」のドラマに路線変更されました(ただし、第11話でも学校が登場しない)。

設定上、第13話以降も矢的猛は教師を続けていたのかどうかは劇中では語られておらず、湯浅監督は本作を振り返り、「ウルトラマンの力に対する制限は、結局、円谷プロ側が許さなかった」、「中途半端になって、後悔の多い作品になった」と語っています。

設定変更後は、初期ウルトラシリーズを彷彿とさせるシリアスなSFドラマが志向されましたが、第31話で再び路線変更され、「毎回子どものゲストが登場して怪獣と絡む」というコミカルでファンタジックな作劇に変わっています。

同時に番組の構成が、番組タイトルからアバンタイトルを挟んでオープニングへと移る形式に変化しました。

特撮面でもアメリカの特撮映画『スターウォーズ』や『未知との遭遇』は、世界的なSFブームを呼び、日本の特撮界にも大きな影響を与えました。

円谷プロが翌年に製作した『スターウルフ』では、ミニチュアの表面処理や演出に影響が見られ、続く本作も同様で、スペースマミーの飛行シーンは『スターウォーズ』に登場する宇宙戦艦「スターデストロイヤー」と類似している。

第6話のUFO出現シーンも、特技監督の高野宏一によれば、態と『未知との遭遇』そっくりに撮影しているそうです。高野はこういったカットについて、『スターウルフ』での特撮と併せて「アメリカほど金をかけなくともTVでこれくらいの画は撮れる」との円谷プロ特撮スタッフの「自信の現れで、一種の挑戦」だと語っています。

ストーリーもそうですが、設定や世界観などに、やたらリアルさや細かさを追及するようになり始めました。とりあえずこんな感じ、というのは通用しなくなって行ったのでしょう。戦闘機一つ飛ばすにしても、どういう仕組みで飛んで発進ゲートはこんな感じで、こういう組織系統の元に出動命令が下されて…など詳細設定されました。

特撮班の撮影日数は週に4、5日というペースだったそうで、高野監督は「もう2、3日あれば内容の濃い特撮を撮れた」とコメントしています。

本編監督として参加した湯浅は、特撮スタッフと衝突することが多く、円谷プロは本来、特撮技術者の集団であり、本編フィルムと特撮フィルムの編集権をめぐって、激しいやり取りもあったといいます。

湯浅はウルトラシリーズでの防衛チームの存在意義が薄い印象を持っていた為、「怪獣をUGMが倒した所でウルトラマンが現れる」というストーリー案を出したところ、円谷プロ側から「ウルトラマンを馬鹿にしてるのか」と神を冒涜したかのような怒りを受けたそうです。

湯浅によると、一度撮影中に怪獣のぬいぐるみが火薬の引火で全焼してしまった事があったと言います。

あっという間のことで、スタッフともども何もできなかったそうで、見学中の小林千登勢に、あれでいいのか?と聞かれ、湯浅はあれでいいと必死でごまかしたという逸話も。

UGM基地は野外滑走路が設けられていて、スカイハイヤーやシルバーガルなどの離陸シーンでは、実在の戦闘機を改造した主力戦闘機が多数周囲に駐機していたり、現実にある管制塔での作業シーンが合成されていたり、未来感よりは現実感重視のミニチュアワークが見られ、「ウルトラセブン」に登場する地球防衛軍基地とは、また違ったリアルさが追求されました。

基地自体が厚木付近に所在している設定で、米海軍厚木基地がモデルと見受けられる描写となっています。

高野は放映当時、「『ウルトラマン』の怪獣の魅力みたいなものと『ウルトラセブン』のメカニックな面白さをうまく組み合わせてみたい」と意気込みを語っています。

合成場面における新技術として、従来のリアプロジェクションよりも画質が鮮明なフロントプロジェクションを多用しており、コストを低減させながらも人物と特撮情景の融和に効果をあげています。

ウルトラシリーズ最大の見せ場である都市破壊も、極めて精巧なミニチュアが制作され、特に夜のシーンなどでは優れたライティングで迫真の効果を挙げました。

円谷プロとしては「ウルトラシリーズ」自体は数年のブランクがあるものの、『恐竜3部作シリーズ(恐竜探検隊ボーンフリー、恐竜大戦争アイゼンボーグ、恐竜戦隊コセイドン)』、『メガロマン』など、他社作品を含め、現場制作を絶やさなかったスタッフ陣の実績がこれを支えました。

初代マン、ジャック、A、タロウは、地球人と一体化していますが、対して80は、セブンやレオと同じで、自身が地球人の姿に変身しています。

劇中で、矢的猛が宇宙人の名前や特徴・性格をいかにもよく知っている口ぶりで、UGM隊員の前でウッカリ喋り、慌ててごまかすというシーンが何度もありました。

なので、宇宙人や宇宙怪獣について熟知しており、これはセブンと同じく、惑星調査をした経験が多いからだと思われます。

更に、身体能力もレオやタロウと互角と思われます。

キック技と言えばレオのイメージが強いですが、80も、ウルトラ400文キック、ムーンサルトキック、マシンガンキック、スライディングキック、爆弾キック、逆立ちキックなど多種多彩。むしろ、種類はレオより多く、また、セブンと同じく等身大やミクロ化しても活動が可能です。

更に、重傷の怪我を治したり死者を生き返らせる事も出来るウルトラアイスポット(蘇生光線タイプ)や、メディカルパワー、リングリング光線などの医療能力にも長けていて、防御技もウルトラクロスガード、ウルトラリバウンドミラー、ハレーションミラー、ディフェンス念動…等があります。

ウルトラ念力の応用技も、ウルトラレイランス、カイトストリング、ウルトラウインド等があり、
高周波や紫外線を含ませて放つ技や、異次元テレポートビーム等、他にも多種多彩。

初代ウルトラマンから教わったウルトラスラッシュ(八つ裂き光輪とも)や、観音様を利用したウルトラ観音光線も。

そして、80の最大の魅力は、アクロバティックな跳躍と多彩な光線技が特徴的な闘い方。

技の数ではAには負けますが、技の多種多様さでは恐らく80が昭和ウルトラマンではNo.1。それらの技や経験と運の強さ、UGMとの協力等が、80の無敗に繋がったと思います。

作中において、ほかのウルトラ戦士から助太刀された事は殆どなく、劣勢に立たされる事は有りましたが、怪獣や宇宙人を相手に、全勝しています(ウルトラ兄弟では唯一)。

ただし、第49話でのプラズマやマイナズマとの戦いでは、敗北寸前のところをユリアンの助けで辛勝していますが。
敵の攻撃を連続バック転や側転でかわしたり、宙返りで攻撃したりと実に鮮やかです。

あのアクロバティックな動きは、既に神業の域。特に9話の炎を避けて次々とバック転するシーンやギマイラに放ったムーンサルトキックの殺陣など、今でも目を見張る動きが後を絶ちません。

少なくとも当時のスタッフが、本当の格好良さとは何かを追求した結果である事は疑いようがありません。

私は最近、80を全話視聴しましたが、格好悪いと言うなら、全話見てから言ってくれと言いたいです。全話見てそれでもまだ格好悪いと言うのか?と。

あの良さが分かってくれる人が、少しでも増えてくれれば嬉しいですね。