FREAKS~怪物團~

本作品を紹介するにあたり、私には障害者を嘲笑するような悪趣味は持ち合わせていない事、映画史に残る良質の作品だから紹介するのであり、他意は皆無だと言う事を、まずお断りしておく。

既に、奇形者が主人公、または重要な立ち位置の映画は、エレファント・マンを始め、小人の饗宴、グレイテスト・ショーマンなど、色々観てきた。広い意味では、ゲゲゲの鬼太郎もこれに近い。本作品は、その魁と言える。

その他の人と容姿や言動が異なるだけで人間扱いされない、下手すると親にまで見放される。そんな彼らが、自活する為に見世物の世界に入り、奮闘する。

この映画に登場する奇形の人間は全て本物。そりゃそうだ。昭和7年ではCGなんかある訳がない。

ジャンルとしてはホラーに分けられているが、いやいやちょっと待て。これはホラーではなく、サスペンスだ、どうみても。クライマックスの奇形人達のあの部分をホラーといいたいなら、大変な間違いだ。あれは飽くまで復讐、反乱だ。歴としたサスペンスだ。あの女の末路なんてコメディだぞ。人を怖がらせる為に作られる、ホラー映画などでは、断じて無い。強いて言えば、人間の心の醜い部分を抉り出す恐怖、と言う意味では、ホラーかも知れない。

映画に登場する人物は、当時の「見世物小屋」や「サーカス」などのショービジネスではトップスターパフォーマーだった身体障害者の人々によって演じられている。特殊メイクではない点がほかの映画(エレファント・マン等)との大きな違いである。例えば小人症一家ドール・ファミリー、シャム双生児のヒルトン姉妹、下半身のないジョニー・エック、小頭症のシュリッツやジップ&ピップ姉妹など。

私がこの作品を観ようと思った切っ掛けは、正直、当時の見世物小屋の観客の好奇心と同じような感覚であるかも知れない。

映画監督であり共同プロデューサーだったトッド・ブラウニングは、16歳で家を出て、サーカスの巡業に参加している。彼は映画『フリークス』を考案する際に、このような青年期の個人的な経験を作品化しようとした。当時、映画『魔人ドラキュラ』で成功していたブラウニングは、ホラー映画制作に於いて、かなりの自由編集権が与えられていた。1920年代、ハリウッドのヒットメーカーとして次々とホラー映画の快作を生み出していたトッド・ブラウニングは、MGMの製作者アーヴィン・タルバーグから『魔人ドラキュラ』を超える恐怖映画の監督を依頼され、親友ハリー・アールズとともに長年暖めてきた企画を、遂に製作することにした。これこそ公開後、約30年間顧みられる事のなかった、映画史上唯一無二の奇作『フリークス-怪物團-』の誕生である。

身体的には健全、しかし心は腐っている者達が、身体的に重度の障害を抱える者達に懲らしめられる構図。

……よく企画が通ったな。(@_@;)

現代基準に照らしても、タブーの領域を軽く凌駕しているが、当時でも上映中止が相次ぎ、興行的には大失敗で、監督も事実上この映画で映画人としてのキャリアを終了する事になったという曰く付き。グレイテスト・ショーマンが、どれ程オブラートで包まれた演出だったのかを実感させられる。邦題に至っては、言葉として発するのも憚られる位にアウト。

しかし、この一点を除けば,ストーリー的には極めて健全な倫理的に全く問題のない作品だ。寧ろ主人公側の反対勢力というだけで、当たり前のように大虐殺される多くのハリウッド映画の方が倫理的に大丈夫か?と言う気もしてくる。

障害者を見世物として扱うのは間違っているというのが現代の社会的常識であるが、一方で彼らは、その身体的特徴を生かし、自らの意思と覚悟と決意をもって、仕事としてパーフォーマンスを行っているわけであるから、お金を払ってそれらを鑑賞するのは間違っていないという考え方もあるだろう。誰かに騙されたり、強制されているなら話は変わるが。全編通して、監督を始めとする制作者達の、障害者に対する敬意や愛情も感じられる。私もそれは感じたし、障害者側の立ち位置で観ている自分に気がついた。

1931年6月、MGMプロダクションのスーパーバイザーであるアーヴィング・タルバーグは、ブラウニングにジョン・バリモア主演の『アルセーヌ・ルパン』の監督を依頼する。しかし、ブラウニングはこの仕事を辞退し、1927年から彼が始めているプロジェクトである『フリークス』の制作を優先した。元々フリークスはMGMがブラウニングの薦めで、1920年代にトッド・ロビンソンの短編小説『Spurs』の権利を購入したものである。

脚本家のウィリス・ゴールドベックとエリオット・J・クローソンは、このブラウニングの要望を呑み、レオン・ゴードン、エドガー・アラン・ウォルフ、アル・ボアズバーグ、クレジットされていないが、他にチャールズ・マッカーサー等が脚本に携わっている。

この脚本は5ヶ月以上かけて形作られた。小人と普通の女性の結婚と結婚式以降の話はなくなり、殆ど原型はなくなっていた。当初は普通の人間約に著名俳優を起用する予定だったが、最終的にはアーヴィング・タルバーグは映画に有名俳優を使わない方向に決めた。

『フリークス」は1931年10月に主要撮影を終えて、12月にポストプロダクションが完了している。

1932年1月に非難轟々となる悲惨な試写会が行なわれた後(ある女性はこの映画の鑑賞が原因で流産を引き起こした主張し、MGMを訴えると脅したという)、スタジオはオリジナルの90分版を64分に編集しなおし、一般公開された。

試写会後の編集でクレオパトラが木の下に横になってフリークスから攻撃を受けているシーンや、ヘラクレスが去勢されていることを示す残虐なシーンがカットされている。また多くのフリークス達によるコメディ・シーンや、映画のエピローグにあたるシーンの大半がカットされ、代わりにサーカスの呼び込みによる解説のプロローグや、小人の恋人の和解が特徴的なエピローグが追加。この64分の再編集版が、1932年2月20日にロサンゼルスのFOXシアターで一般初公開された。尚、90分のオリジナル版は現存確認されていない。

日本公開は1932年(昭和7年)11月、初公開時のタイトルは『怪物團』。2005年にはデジタルリマスター版がリバイバル上映された。

1994年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録され、アメリカのフィルム遺産としてアメリカ議会図書館に保存されている。

曾て存在した小人プロレス(何故か女子プロレスと合同興行だった)の元レスラーの方が,某雑誌で「観客は私たちの身体的特徴を笑っているわけではない。私たちのパーフォーマンスが面白いから笑っているんだよ。」とプライドを持って語っていたと言う。切っ掛けはどうあれ、彼らの身体的特徴を生かした俳優としてのユニークなパフォーマンスを楽しんでいた人間も少なからずいるのだ。

エレファント・マンや小人の饗宴より遥か昔に、奇形者たちをイキイキと魅力的に、僅か1時間強で描いている。

是非ともBlu-rayで出して欲しい。絶対即予約確実。

このような作品は今後二度と制作されることはないであろう。映画の多様性の理解、歴史的価値を考慮する意味で、映画ファンはぜひ見ておくべき一本と考える。