襤褸の旗

本作品は三國氏の異常なまでの怪演、アブラギッシュな熱演が光る……と言うか、それは三國氏にとって、いつもの事なんですが、それ以上に田中氏が三國氏に乗り移ったような錯覚を覚える瞬間がある作品です。

主人公は田中正造氏。
民衆と共に生きるって意味では政治家の手本みたいなお方ですが、今どきの政治家たちに田中正造を理想に掲げる方なんて、もしかしたらいないかも知れませんね。

足尾銅山精錬所跡のある山々は、亜硫酸ガスにやられ、今も惨たらしい黒い禿山となったままです。国策としての銅山開発の産業後遺症、公害として考えると、結果論ではありますが原発事故を連想してしまいます。

「真の文明は、山を荒さず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」

これは田中正造氏の言葉。未曽有の原発事故に曝された現在の日本にこそ必要な言葉に思えます。足尾鉱毒事件が日本初の公害訴訟だとすれば、レベル7の原発事故なんて長期的には地球規模の環境汚染になりかねない巨大な公害だと思いますし。

本作品は、74年のキネマ旬報でも8位にランクインされ、相当高い評価を得た作品の筈なのに、現在に至るも、あまり大きく紹介されませんし、正統に評価されているとは言い難いです。

東京の北東約150㎞、渡良瀬川上流にある足尾銅山は、幕末、廃坑状態にあったが明治9年、資本家・古河市兵衛に買収され、10年足らずで生産量日本一の大銅山に登り詰めます。

当時の日本は、帝国主義の道を歩み始め、強引な生産体制を敷いた為、銅が渡良瀬川に垂れ流され、沿岸農村は、凄惨な鉱毒により死の荒野と化します。銅山操業停止を求めて近代日本最初の大きな農民の闘いが広まり、その農民たちの先頭に、栃木県選出代議士の田中正造がいました。

明治33年2月13日、請願書を懐中に忍ばせ、農民の若き代表・一ノ瀬宗八や多々良治平らを先頭に、農民代表一万二千名が、東京に押し出して行きました。しかし、利根川を渡る川俣で待ち受ける武装警官、憲兵の大部隊に苛烈な大弾圧を加えられます。有名な川俣の闘いです。東京では、帝国議会で田中正造が、この事件を取り上げ、激しい鉱毒弾劾質問演説を行い、既に足尾鉱毒事件は全国的問題となっていました。

“亡国に至るを知らされば即ら亡国の儀につき質問”田中正造の肺腑を抉る追及に対し、時の総理大臣・山縣有朋は「質問の趣旨その要領を得ず」と、答弁を拒否(要するに、あんたの質問は質問の体をなしてないから却下するよ~んって事)。正造は遂に憲政本党脱党、議員を辞職。そして、正造が元来嫌っていた社会主義者・幸徳秋水を訪ね、彼に天皇への直訴文の執筆を依頼し、それを手に、本当に直訴実行します。

こうして、前代議士の天皇直訴で天下を驚かせた田中正造を、政府は“狂人”扱いで放免にしました。

以後、正造は毒に冒された渡良瀬の大地と農民の元へ帰り、その後も不屈の闘いを続けましたが、日露戦争のファシズム化の中で、停滞を余儀無くされました。

正造に師事した和三郎はキリスト教者から社会主義者の道へ、同じく正造に師事した女性記者・杉本華子は正造と訣別し、足尾銅山労働者の闘いの中に入って行き、宗八の妹・タキと結ばれていた治平も召集、軈て復員するも妻子を残し、華子と同じ道に進みました。

明治40年6月29日、谷中村最後の日。足尾鉱毒闘争の高まりの中で、古河市兵衛の妻は入水自殺しますが、古河と政府は、洪水防止の一大遊水池開発の名目で、闘いの中心である谷中村一帯の壊滅を謀り、尚も踏み留まる窮迫の農民たちに、目を覆いたくなる程に残酷非情な土地収用法=強制破壊を執行。それから6年後の大正2年、孤独で巨大な先達・田中正造が息を引きとりました。

本作品で描かれる谷中村の強制収用は、成田芝山の三里塚闘争にも重なりますし、最近では沖縄・名護新基地建設にも重なります。それもその筈、本作の上映運動が三里塚反対同盟の故・戸村一作委員長の参議院選挙出馬を応援する大きな力となったそうです。国策と称して民衆に多大な苦悶を強い、国家権力で人権、尊厳を蹂躙する有り様は、明治末期の頃と、まるで変っていないように思えます。

この映画の製作に、三里塚芝山連合空港反対同盟は全面的に協力し、当時まだ御料牧場の原野や、豊かな農地があった三里塚の地が、多くの撮影の場所として使われたそうです。反対同盟と支援が数百の規模で、映画のエキストラとして協力したそうで、北原事務局長によれば、警察(権力)側の役をやるか、農民側の役をやるかで当然の事ながら一悶着起こったとか。その北原氏と、故・副行動隊長の宮本嘉氏が農地を収用する側で出演しています。

自らの政治家としての全てを谷中の村人、農民たちと共に命を懸けて、闘い抜き、結果敗北した田中正造氏の闘いの映画です。この時代に敢えて白黒フィルムで撮る事により、歴史の重みがリアルに伝わってきます。

田中正造役の三國氏の演技は鬼気迫るものがあります。まるで田中氏が三國氏に憑依したかのように。ラスト近くの谷中村廃村強制執行の場面で、足元の土を食べるシーンが有りますが、あれはアドリブだったそうですが、そんなこと並の俳優では思いつかないし、思いついたとしてもやれませんよね。天皇直訴のシーンも迫力ありました。

西田敏行氏は高校時代に三國連太郎氏の主演作「飢餓海峡」を見て役者の道に進む事を決めたそうです。本作で三國と共演した西田は「三國さんは主演の田中正造役で僕は農民役。怖くて近寄れなかった」と撮影当時のエピソードを語っています。

あのハマちゃんスーさんの軽妙なやり取りで楽しませてくれた三國さんと西田さんが、プライベートの付き合いをしていなかったのは、本作の影響が少なからずあるのかも知れません。

題字は、作中にも登場する荒畑寒村。

惜しむらくは、登場人物の相関がとっ散らかり、説明も無い為、突然現れて突然いなくなるなんて日常茶飯事。また、白い字幕を白い背景に被せるのは、本当にやめてほしい。

ただ冒頭の、雲竜寺集結シーンや、警察との衝突などは迫力、カタルシスがありましたし、演説シーンは白眉。強制執行シーンでは、茅葺きの家が次々倒壊する時の音が悲鳴のように聴こえましたし、ラストは狂気と哀愁が同時に漂うインパクト大な終わり方でした。

ビデオ以外の一般発売が無く、そのビデオも絶版になっている今、この歴史的傑作をみる為には、図書館などの上映会や、超高価なビデオ(amazonで2019年8月25日現在、85510円也)を入手するかしかありません。DVDかBlu-ray、出してくれませんかね…。

襤褸の旗  
1974・5・1 公開    上映時間115分 
白黒  35mmフィルム

スタッフ
製作:映画「襤褸の旗」製作委員会
監督:吉村公三郎
製作:木原啓允、瀬戸要、山崎守邦
脚本:宮本研
撮影:宮島義勇、関根重行
音楽:岡田和夫
美術:戸田重昌
編集:中静達治
編集助手:南トメ

キャスト
田中正造:三國連太郎
佐竹和三郎:田村亮
多々良治平:西田敏行
一ノ瀬宗八:辻萬長
正造の妻カツ:荒木道子
宗六:浜村純
ヨネ:原泉
古川為子:楠田薫
斎藤巡査:信欣三
南佐十:草野大悟
木下尚江:菅野忠彦
タキ:大関優子
杉本燁子:和泉敬子
幸徳秋水:中村敦夫
古河市兵衛:志村喬
灰地順
古谷一行
菅沼赫
松尾文人
坂田金太郎
鹿島信哉
邦創典
草間璋夫
加藤茂雄

第29回毎日映画コンクール男優演技賞(三國連太郎)。
第48回キネマ旬報ベスト・テン第8位。