クレオパトラ

映画史上最も莫大な製作費のかかった超大作、映画史上最大の赤字を出した失敗作、20世紀フォックスを破産寸前にまで追い込んだ映画。

最終的な製作費4400万ドル(現在の貨幣価値に換算すると約3億4000万ドル=約380億円)、動員された出演者およびエキストラの数22万3000人、主演は世界一の美女と謳われた大女優エリザベス・テイラー。

スタジオシステムの崩壊によって、'50年代半ばから急速に景気が悪化したハリウッド業界。多くのスタジオが経営難に陥る中、20世紀フォックスも御多分に漏れず、失敗作続きで財政事情が切迫していた。そこで、自社ライブラリーの中から安上がりにリメイク可能なタイトルを探したFOXは、サイレント時代にセダ・バラ主演でヒットした「クレオパトラ」('17)に着目。ハリウッド黄金期を築き上げた大物プロデューサーであり、当時「私は死にたくない」('58)でオスカーを賑わせてAクラスに復活したウォルター・ウェインジャーに製作を任せる。これが最初の躓きだったのかもしれない。

予てよりクレオパトラを題材にした史劇映画を切望していたウェインジャーは、監督として「市街」('31)や「虚栄の市」('35)などで知られる戦前の巨匠ルーベン・マムーリアンを起用。どちらもハリウッド黄金期の成功体験がある世代だ。それゆえなのだろう、ギャラの安い女優を使った低予算の娯楽史劇を要望するスタジオ側とは裏腹に、彼らは「風と共に去りぬ」('39)や「ベン・ハー」('59)にも負けない本格的なスペクタクル超大作を目指してしまったのだ。そんな余裕などないにも関わらず。しかも、当時のフォックス社長スパイロス・スコウラスは興業畑の出身で、数字には強いけれど映画制作に関しては素人も同然だったため、40年以上に渡って映画界の荒波を生き抜いてきた強者ウェインジャーをコントロールできなかったのだ。

そして、ウェインジャーは主演に当時のハリウッドで最も集客力のある女優エリザベス・テイラーを指名。きらびやかな王衣に身を包み、ニコリともせず睥睨する傲岸不遜の塊のクレオパトラ候補に最後まで残ったのは、オードリー・ヘプバーンとエリザベスだった。最終的にエリザベスが大勝した。当然であろう。あの異様なまでのきらびやかさにおしつぶされなかったのは、今でならエリザベスだったからだとわかる。掛け値なしのスターが存在したのが「クレオパトラ」が代表するハリウッド黄金時代だった。スターは雲の上の男や女だった時代だ。ただ、もともとあまり乗り気ではなかったテイラーの、前払いで100万ドル+利益配分という当時としては前代未聞の無理難題なギャラ条件を呑んでしまったことを皮切りに、「クレオパトラ」の制作過程は負の連鎖に見舞われていく。

度重なる彼女の病気、ロケ地選択の失敗にともなうセットの作り直し、マムーリアンの解雇、新たにジョセフ・マンキーウィッツ監督の起用、助演キャストの変更、ロンドンからローマへの撮影地変更、脚本の書き直し、それらに伴う更なる制作費の高騰、一向に進まぬ脚本執筆と撮影スケジュール、どんどん膨れ上がる制作費、主演スターのエリザベス・テイラーとリチャード・バートンの不倫スキャンダルなどなど…。もう呪われているとしか言いようのない悪循環が続いたわけだ。

続くトラブルの果てにやっと仕上がった映画は7時間余。プロデューサーのザナックは半分に縮めろと命じ、それでも4時間11分、映画史上最長の上映時間となった。エリザベス・テイラーはギャラこそ100万ドルだが撮影の遅延、病気療養で支払われた保険、撮影の権利金の一部で700万ドル(現価換算で約4700万ドル)を「クレオパトラ」で稼ぎだした。しかるに完成後初めての試写会でエリザベスは上映が始まって20分後、トイレに走り嘔吐したそうだ。あとで「撮影に2年以上もかけて出来上がったのがあんなつまらない映画だった」と言った。そこまで言うか。だれのために苦労したと思っているのだろう?

「クレオパトラ」は1950年代後半から1960年代における、いわゆるハリウッド、黄金時代の申し子である。スタジオが人気スターを擁し、テレビに対抗するため大型史劇やスペクタクルに大金を注ぎ込んだ時代。

20世紀FOXは「クレオパトラ」の撮影延長による膨れ上がる経費に恐れをなし、病気のエリザベスを降板させようとしたが、社長がただ一人「ノー、リズ。ノー、クレオパトラ」(リズ以外にクレオパトラはない)ガンとして首を縦にふらなかった。

撮影中マンキーウィッツ監督はいちはやく「あれはただならぬ仲だ」と察知したというのがバートンとエリザベスのラブラブだった。「世紀の恋」と当時の日本の新聞までかき立てた。飛行機事故死したマイケル・トッドのつぎがエディ・フィッシャーで、彼はエリザベスの親友の夫だった、つまり略奪婚だったから「女の敵・家庭の破壊者」とエリザベスは呼ばれた。そのエディをポイしてバートンと5度目の結婚だから火に油を注ぐようなものだった。世紀の奸婦。男を食い物にする貪欲の権化。歩く結婚活火山。女優とは単なる職業だがここまで社会的存在となるのが大女優というものかもしれない。

バートンはエリザベスと10年、他のだれよりも結婚生活が続いた。彼は確かにエリザベスを宝石攻めにできる財力💎と、次々に仕事をこなす俳優としての力量を持っていた。エリザベスに対してはいつも批判的で辛辣だった。ファッションのセンスが悪い、胸が大きすぎる、可愛げがない、背が低い、背中に大きな傷がある。そんな事をズケズケ言った。自分の容姿に圧倒される男ばかり見てきたエリザベスはバートンが新鮮に映ったのだろう。エリザベスは人の性格を見抜くのがうまく、狐のように狡猾だった🦊。美貌で陽気で頭の良いエリザベスがその気になれば、どんなときでも、だれでも、自分を注目させることができた。この二人は野獣が噛み合うような喧嘩ばかりしたが、そのくせ離れがたく、やっと離婚したとおもえばまた同じ相手と再婚したり。

ただ、失敗作、失敗作と言われ続けている本作だが、実のところ'63年の年間興行収入では1位をマークする大ヒットを記録しており、公開年北米収益で4800万ドル、最終的には興行収入5700万ドル(現在の金額に換算すると約4億4600万ドル=約500億円)を稼ぎ出し、辛うじてではあれどペイはしている。しかし制作費4400万ドルの半分にもならず、社運を賭けた大作は間違いなく大コケだった。

20世紀FOXが倒産の危機を奇跡的に乗り切ったのは「サウンド・オブ・ミュージック」のヒットによる。しかしながら、20世紀FOXが撮影スタジオの敷地の多くを売却せねばならなくなったのは、本作の赤字を補填するためだなどと一部では囁かれてきたが、それも実のところはもともと決まっていた事だったようだ。確かにパラマントやワーナー、ユニバーサルなどのスタジオに比べるとかなり規模は小さい。それもこれもクレオパトラのせいかあ~、なんて思ってたら、どうやら濡れ衣だったようだ。

で、肝心の中身はどうなのかというと、確かに贅の限りを尽くした巨大な美術セットや衣装、スペクタクルな見せ場は凄まじい。クレオパトラの行列がローマへ到着するシーンなど、今じゃCGでも使わなければ再現することは絶対に不可能だろう。遥か彼方の豆粒みたいな群衆まで全て本物のエキストラ。このシーンの人件費だけで映画1本撮れるんじゃないかといったレベルだ。ミニチュアを使わず実物大セットで再現されたローマやアレキサンドリアの都市も壮観。ただただ、溜息を漏らすばかりだ。

「クレオパトラ」は当然、全てセットの実写である。クレオパトラがカエサル(レックス・ハリスン)の招きでエジプトからローマにくるときの大パレードが前半のクライマックスだ。スフインクスを模した小高い丘にも負けぬ、特大級の山車の頂点に座したクレオパトラとその息子が、何十万のローマ市民(実際のエキストラ)の歓呼の中を進むシーンは圧巻。

アンソニー(リチャード・バートン)やカエサルのセリフも格調高い。撮影・美術・衣装デザイン・視覚効果の4部門で本作はオスカーを得た。幾度もの中断に関わらず、完成に漕ぎ着けたスタッフの技術と努力こそ報われただろう。

しかしながら、物語のアクセントとなる大規模な合戦シーンや海戦シーンをザックリと削り、人間ドラマとロマンスに比重を置いてしまったことはマイナスと言えるかも知れない。本編の大半を会話劇が占めているのだ。まあ、確かにマンキーウィッツ監督は女性ドラマや人間ドラマの巨匠ですよ。だからといってねぇ……。

だが、初代ローマ皇帝アウグストスの若き日の描き方は興味深い。彼が血も涙もない若者に描かれていたのも、武人アントニーと、ローマ帝国という国体を樹立した政治家の違いを際立たせた結果故。世界史の上では偉大なアウグストスの業績が一つもドラマにならず、アントニーとクレオパトラの直情径行としかいえない道行が、繰り返し作品化されるところに小説の、詩の、歌の、映画の一面の秘密があるのだろう。

本作はハリウッドの全盛とその時代に存在した大女優を証明し、映画人たちが総力をあげて紡いだ壮大な夢を、いまも絢爛と映しだしている。

まさに見る者の忍耐力が試されるような映画。幻のディレクターズカットは6時間にも及ぶらしい……(;^_^A

だが、私はこの作品が好きだ。唖然となる程の数のエキストラ、スタッフ、豪華絢爛な細部まで拘り再現された装飾やセット。そりゃ会社も傾くわ、と頷きながらも、それらを観ているだけでも楽しい。

こんな贅沢な作品は、もう永遠に作れない。そういう意味でも貴重な作品だ。