ドラえもん のび太の宇宙小戦争。

この映画は、私が初めて映画館で観たアニメ映画です。主題歌・少年期のレコードもありました。

だからでしょうか、武田鉄矢の歌は、私の中でしっくりくるんですよね。映画ドラえもんの武田鉄矢作詞の歌全てと、海援隊の歌、漫画だとお~い竜馬!とか。織部金次郎シリーズや刑事物語シリーズは観てませんけど。

そもそも、少年期のレコードを親が買って来た理由って多分、前年のゴジラに武田鉄矢が出ていて、それを私が面白がっていたのを、親が好きだと勘違いしたのかも。漫画版のドラえもんを知らないのに、ポスターのカッコ良さに惹かれ、行きたがったのは憶えているんですが。ただ、歌は直ぐ好きになり、擦りきれるまで聞いていました。

今は無き京成青砥駅前の京成名画座
で鑑賞しました。

スターウォーズもドラえもんも知らなかったので、先入観無しの初期化状態での鑑賞でした。今はそんな状態で映画を観る事は、まず無いですから、貴重な体験ですね。

宇宙船、戦車、戦艦のカッコよさ。
パピの可愛さ、聡明さ、カリスマ性。
ギルモアの大物ぶる小物感。
全てが高いレベルで集約・構成されており、後に大長編ドラえもんを知って読んだ時、一気にはまりました。

チーターローション、欲しかったな
(*´∀`)

ただ、家にテレビもビデオデッキも無かったですし、映画館に行く機会も、そんなに多い訳では無かったので、初期の映画ドラえもんを観る事が出来たのは、成人して以降でした。大長編ドラえもんは本がバタバタになるまで読み込んでいたので、内容は憶えていましたが。

やはり私は世代的に、大山ドラが一番安心します。

ポテトチップスのりしお、
ハンバーガーの自販機、
駅のホームに掲示されるポスター、
京成不動産横のレストランでの食事。
全てが懐かしく、鮮明に甦ります。

肝付さんが亡くなられて早数年。専門学校の卒業パーティーで、恩師・増岡弘さんと三人並んで写真を撮ったのが良い思い出です。

この作品には元ネタがあります。それは、天井裏の宇宙戦争と言うドラえもんのエピソードと、ガリバー旅行記、SF映画・縮みゆく人間。これらを藤子不二雄風味にアレンジしたのが、本作品です。だから、話が無茶苦茶壮大に感じるのに、実は五人以外の人間には影響が無いと言う、浦島太郎みたいな感じなんですね。これは藤子不二雄が執筆した大長編
ドラえもんの、殆どに共通しますし、F先生ご本人も公言しておられます。

大長編において、のび太やドラえもん達はしばしば強力な敵と対峙することになります。そして、時には絶体絶命の大ピンチに陥ります。勿論最後にはピンチを脱して強敵に打ち勝つことになる訳ですが、ピンチが大きければ大きい程、敵が強ければ強い程、ピンチを脱した時のカタルシスが大きくなることは説明不要かと思います。

ただ、みなさんご存知の通り、ドラえもんはチート能力を数々有するひみつ道具の持ち主なので、実際にはなかなかピンチに陥る余地が小さいわけです。ドラえもんの科学力は大抵の敵よりも数段進んでおり、科学力・技術力で完全にドラえもんに優越しているのは、せいぜい日本誕生のギガゾンビや恐竜ハンターくらいのものです。

その為、ドラえもん達は、
敵の物量が圧倒的
何かの事情で、ひみつ道具の使用が出来ない・ないしひみつ道具の使用に制限がかかっている

という、どちらかのパターンでピンチになることが多いです。前者は、海底鬼岩城や鉄人兵団など、後者は大魔境とか魔界大冒険ですよね。純粋に敵方の有能さでピンチになるパターンというのは、実はそれ程多くない。

そんな中、「敵がスゲー有能」というパターンでドラえもん達が大ピンチに陥る作品が2作あります。

その一つが、「宇宙開拓史」。ギラーミン先生、めっちゃ漢らしい上に超有能ですよね。

で、もう一作が、「宇宙小戦争」のドラコルル長官だ、と私は考えているわけです。スモールライトによってのび太たちが小さくなって、自分たちと同じ体格になっているという事情こそあれ、それ以外には特にひみつ道具の制限もない中、のび太たちはPCIAに徹底的に追い詰められます。中でも特に、ドラコルル長官のヤバさは半端無い。

軍部を掌握し、80万の兵を有するギルモアに対し、自由同盟は1000人にも満たない地下組織です。直接対決など夢にも見れないわけで、彼らの作戦は、残る900万の民衆の蜂起を、いかに促せるかに懸かっています。そこでギルモアの皇帝戴冠の日に、パピを擁して一斉蜂起する。そのために、連絡を分断され孤立した各支部に対し、パピ奪還作戦のメッセンジャーとしてドラえもん一行が活躍する訳です。この構図の確かさが、すでに他のドラえもん作品とは一線を画しているといえるでしょう。

またPCIAという組織が、情報部であるというところも面白い。ギルモアの恐怖政治の骨子が、カメラを用いた徹底監視であるところも含め、いかにも独裁国家然としています。自身への反乱を恐れたギルモアが、自由同盟への掃討戦において、空軍主力でなく 無人戦闘艇を差し向けるのも良くできたシーンです。
「人間は信用できん!」
この叫びは、まさに独裁者のものですね。その後の、「自分に人気が無いのをよくご存知だ。」と、皮肉をタップリ籠めたセリフ付きの微笑が堪りません。しずかちゃん

もう1つの特徴として、敵が強いというのが挙げられます。ドラえもん達に立ちはだかるのは、主にPCIA長官ドラコルルですが、情報部の首領だけあってかなりの策略を弄してきます。

抑々、ドラえもん映画は基本的に、圧倒的敵に対し、ドラえもん達が道具と知恵と工夫を用い、偶然と友情に助けられつつ、辛くも打ち破るという形式が多い。しかしこの作品は、圧倒的なのはドラえもん一行の方です。だから必然的に、悪知恵と策略と組織力を用いて、PCIAがドラえもん一行を追いつめるというように、構図が逆転しているのです。

実際、ドラコルルは作品を通じ、常にドラえもん達の一枚上手をとります。ドラえもん発のアイデアをことごとく看破し、危機管理能力と洞察力も高い。ドラえもん作品内で1.2を争う窮地にのび太勢を追い込んだキャラでしょう。

まず、最初にドラコルル長官が切れ者っぷりを見せるのは、しずかちゃんをさらってパピを呼び出す一連の展開です。

地球を探索する中、ドラえもん達がパピと同じ大きさになるためにスモールライトを使っているところ、スモールライトの重要性を看破して持ち去るという鋭さを見せます。これによって、元の大きさに戻れなくなってしまったドラえもん達。大ピンチの発端です。

自分自身としずかちゃんを人質交換しようとするパピとの交渉シーン。この時パピは姿を隠し、猫の声帯を借りて喋っています。「きみが一度でも約束を守ったことがあるか?」という皮肉を、さらっと笑って肯定する度量の大きさを見せるドラコルル長官。既に大物感がすごい。街中に監視装置を撒いて自分への悪口を監視しているギルモア将軍とはエラい器の違いです。

そして、パピの捜索に時間がかかると判断すると、即座に人質交換に応じるという臨機応変さも見せます。部下の弱音を無駄に叱責せず適切に受け入れる、という点でも彼の度量がうかがい知れるでしょう。部下も、話が通じる上司だと思ってなければこんな言い方しませんよね。

パピが嘘をつかないだろうという見切りの他、パピを早く捕まえて処刑しないとギルモアの権力基盤が危うくなる、という状況認識もあるのでしょう。この辺、既に一筋縄ではいかない切れ者っぷりを存分に発揮しています。

が、凄いのは更にこれ以降です。

無人戦闘艇に発信機を仕込んでおいて、それを端緒に自由同盟の基地を捕捉するという手柄を見せます。これ、簡単に言うけれど、一つ一つの発信源を追いかけるとかエラい手間ですし、恐らく無数に打っていた手の一つでもあったのでしょう。PCIAの驚くべき調査力、統制具合もドラコルル長官の有能さの一面と思われます。

更に、短絡的な子ども向けアニメの悪役とは一味違うドラコルル長官。流石情報機関の親玉というべきでしょうか、ただ基地を潰すだけでなく、横の連絡をとらえて根こそぎ反乱組織を潰そうという計画を見せます。しかもコレに、ドラえもん達まんまとはまってしまうんですね。

ドラえもん達を完全に手玉にとっている辺りは、ギラーミン以上のドラコルルの有能っぷりが冴えわたります。

で、流星に化けて侵入してきたドラえもん達をあっさりと看破。この後、ドンブラ粉で地中に埋めた戦車をあっさり発見させてしまうという展開もあり、ドラえもんの超技術のさらに上を行くキレを見せます。

大体、ドラえもんのひみつ道具にかかると敵方はあっさりごまかされてしまう展開が多いんですが、宇宙開拓史のギラーミンとドラコルル長官はそこに全く当てはまりません。技術上では不利な中、純粋に頭脳だけでドラえもんに完全に読み勝ってる悪役って、大長編全体を見回しても殆どいないんじゃないでしょうか。

スネ夫のプラモ戦車が劇中強力な兵器として活躍するのですが、ここでもドラコルル長官は自らプラモ戦車の弱点を看破する活躍を見せています。本来技術者でもないのに、断片的な情報と僅かな記憶から、あっさりプラモ戦車の原理を見抜いているところとか、技術者の短い説明でさくっと要点を理解しているところとか、恐るべき知的能力としか言いようがありません。

しかも、看破した弱点をきちんと突いて、プラモ戦車を撃墜して見せる戦術実行力もドラコルル長官に帰せられるところでしょう。なにこの万能っぷり。曹操か。

ちなみに、有能さだけではなく人間としてのケレン味もドラコルル長官の持ち味の一つです。ギルモア将軍の元で働きつつも、ギルモア将軍の人望のなさを心中揶揄してみせるなど、一概に忠誠心ばかりの男ではないことも劇中描写されています。

劇中、ドラコルル長官が不覚をとったのは最終盤の展開と、あとはスネ夫の戦車が活躍をして小惑星基地を守った時のみ。しかも後者はその後きっちりリベンジをしていることを考えれば、唯一、「スモールライトの制限時間」という計算外の要素以外に、彼を破れる要素は存在しなかったといっていいでしょう。

これほど完全にドラえもんたちを抑えこみ、ドラえもん一行を処刑寸前まで追い詰めたドラコルル長官。そのあまりのキレ者っぷりに感動するのは、一人私のみでしょうか。やはり、大長編においては「敵が強ければ強い程盛り上がる」というのは間違いないところでして、宇宙小戦争の面白さはドラコルル長官の活躍がその8割以上を占めている、といっても言い過ぎではないと私は思うのです。

大長編すべてを見渡しても屈指の強敵、ドラコルル長官。皆さま、ドラコルル長官のヤバさをもっと知るべきです。

展開の速さも見どころです。序盤から終盤に至るまで、停滞することなくストーリーは流れます。ドラえもん作品は冗長気味であるのが玉に傷ですが、この作品は例外といえるでしょう。本当によく構成されています。

そして最後に忘れてはいけないのは、武田鉄矢が歌う主題歌「少年期」です。

映画ドラえもんシリーズ中でも屈指の名曲と言われていますが、私も同感に思います。ノスタルジックでいながら温かく、けれど諦観に満ち溢れた、それでもなお前を向けるような独特の旋律は、曲単体でも十分聞くに堪えるものです。

なお、自由同盟のボスであるゲンブさんはちょっと作戦が大雑把過ぎるのではないかという懸念は一点あります。「相手は80万人くらいいて、まともに戦うと全然ダメだけど俺らが蜂起すれば民衆も立ち上がってくれるはず」「反乱決行は処刑当日」くらいしか彼の作戦描写されてないんですが、大丈夫なんでしょうか?

…まぁ実際大丈夫じゃなかった訳ですが。

ゲンブさんもっと頑張れ。超頑張れ。まあ彼は治安大臣らしいんでそもそも反乱とか荒事は専門外なんでしょうが。

しずかちゃんの、ぬいぐるみのウサギに対する、熱の籠った演技指導の真剣さは、実に凛々しくカッコいい。本物の監督です。プロフェッショナルですよ。

自分が好きな子の好きなものに、興味無いのは仕方無いにしても、馬鹿にしてるのは頂けない。メルヘンの話を楽しそうに話す腰を折り、戦争の話を始める辺りも、男女の違いではなく、人間の成熟度です。しずかちゃんの方が圧倒的に大人です。何しろ魔法使いの代わりにロボットを、と言うのび太のアホで強引な提案にも、新しいメルヘンと柔軟に解釈・納得し、受け入れていますし。

大事にしていたウサギのぬいぐるみが失踪したのに、いやいや探している途中で見つけたロケットで特撮に切り替えようとするのび太。しずかちゃんは怒りに涙を滲ませ、睨み付けます。正当・真っ当な怒りです。失言に対する怒りもありますが、一番は自分の好きな物に寄り添ってくれない、自分の世界に全く興味が無いと言う事を見せつけられた哀しさからくる怒り、女の子ならではの怒りではないでしょうか?

パピに、可愛いと言った後、小さくとも年齢はそう変わらないと諌められ、きちんと態度を改める姿勢。自分より子供や、小さいものにも敬意を持って接する人間性。大人も見習うべきですね。

パピは、ドラコルルとの交渉シーンが、前半のハイライト。
「僕が一度でも嘘を言った事があるか?」
「…良かろう。女の子を返してやろう」
敵からも信頼されている大統領!理想的ですね。

映画ドラえもんの中でも、完成度の高さはずば抜けています。それは、F先生が大好物の宇宙SFがテーマだからでしょう。二作目である宇宙開拓史も、屈指の名作ですしね。

是非この名作をお見逃し無く。