日本改造 | 大和民族連合

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エマーソン フーヴァー研究所 マッカーサー 民主主義

 

 

民主主義で日本新築

 

マッカーサーは、日本の奴隷的な封建主義が「日本の悲劇」を齎(もたら)したと断言し、「アメリカ」は「民主主義」の模範で、民主主義が「今日のアメリカの強さを齎した」とも言った。

彼の日本観は厳しい。

「日本は20世紀の文明社会ということであるが、実体は、西洋諸国が400年 も前に捨てた封建社会に近い国だった。日本の生活には、それよりさらに古く、どうしようもないものがあった」


日本は「殆ど神話の頁を捲(めく)るようなもの」であり、日本人は「外部の世界がどうなっているか、殆ど理解していない」と扱き下ろした。


日本人は政治に無関心だ


同じ頃、日本降伏直後、来日した外交官ジョン・K・エマーソンは「現在、日本人は政治的に無知であるだけでなく、政治に無関心である」とバーンズ国務長官に書き送っている。

エマーソンは占領開始直後来日し、4カ月滞在。1946年2月15日、帰国し、国務省日本部次長となる。彼の東京での後任にウィリアム・シーボルドが送られてきた。シーボルドはマッカーサーの政治顧問(外交局長)になる。

エマーソンは、ケネディ大統領に駐日アメリカ大使として任命されたハーバード大学教授であったライシャワー大使の「参謀」として活躍した。その後、フーバー研究所研究教授となった。私は、時々昼食を共にした。

エマーソンは、戦前、日本でグルー大使の下でも勤務していた。エマーソンは1984年に死去。彼の貢献を讃える記念碑がフーバー研究所の中庭に慎ましく建てられている。

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。 同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

 

國破れてマッカーサー #0035