前回に引き続き、働くオスカルさまをアップします。
そののち・・・ラベンダーの匂い
働くオスカルさまシリーズ
「先生、先生ってすっごく女の人にモテますよね。まぁ、先生を見れば何故かはわかるけど・・・。」
書斎のテーブルをはさんで僕のラテン語の作文に赤インクで添削しているグランディエ先生に僕は言った。グランディエ先生の姿勢はいつもピシッとしていてカッコいい。
「ふ・・・ん。まぁ、そうなのかな・・・。若い時から女性にはなにかと声をかけられたな。」
先生は顔も上げずペンを動かしながら言った。
「そ、それって、どんな気持ちですか?じょ、女性にモテるって?う、嬉しいですよね?!」
僕は勢い込んでテーブルの端をつかみ身体を乗り出して聞いた。
「別に。なにも。」
先生は原稿用紙をめくりながら応える。
「え~~~!そんなぁ!!」
思わずそっくり返って叫んだ。
やっぱりモテ男にはモテてる喜びなんて日常的過ぎてわからないんだ。
フランス、平等を目指すなんて言ってるけどそんなのは永遠にムリだ。
神様はもともと不公平なものなんだ。イケメンには幸運を、ぼくみたいなビン底眼鏡の背が低くて細っこいだけのブサメンにはそれなりの運しかまわしてくださらない。
神様だって先生みたいなイケメンのほうがかわいいに決まってる。
「マルセル・・・。」
先生は優しく僕を見て言った。
「はい、グランディエ先生」
「助動詞の使い方がすべて間違っている。それに論文としては稚拙すぎる。やりなおし!」
がくーっ!!僕はまたのけぞった。
今日こそ先生にハッキリ言わねばならない。
「先生、先生もわかったでしょ?僕にルイ・ル・グランなんて無理なんですよ!それに、僕はもうすぐ19歳です。今更年下の子たちと同級なんて嫌ですよ!!」
グランディエ先生はまっすぐ僕を見た。先生にじーっと見られると、なんだかとても居心地悪い。
後光のように輝く金髪、サファイアのような青い目、ギリシャ彫刻のような整った顔立ち、相手が男だとわかっていてもドキドキしてくる。
ぼ、僕のきょ、挙動不審の、わ、悪い癖が出てきそうだ。
「しかし、マルセル。君の母上は君がルイ・ル・グランで政治学を学ぶことを望んでおられる。わたしは君を合格させると約束したのだ。」
僕はなるべく先生を見ないようにしながら言った。
「母さんには僕のことなんかわかっちゃいないんですよ!だいたい、イタリア系の食肉業者がたまたま金持ちになったからって、その息子が政治家になれるなんて、母は無謀な夢みてるんですよ!ありえない!!」
「いや、そんなことはない。政治家になるかは置いといて、少なくとも理数系はルイ・ル・グラン学院の合格点くらい進歩したと思う。あとは国語、ラテン語、ドイツ語の論文と討論だな。ルイ・ル・グランの入試はディベート(討論)にかなり重きを置いている。」
「そこですよ!」
「どこだ?」
グランディエ先生は左右見廻した。この先生、時々、天然なのか冗談なのかわからないときがある。いいんだ、イケメンはすべてが許される。いわゆるギャップ萌えってやつ。
ブサメンの僕はわかりやすく言う。
「たとえば、ですね、僕、文才ないんです。女の子にラブレター送って、赤字で一言、キモいって書いてあって突っ返されたことあるんです。それじゃあ、女の子に直接コクるのはどうかっていったら僕、ダメなんです!ここぞというときになるとしゃべれない、口説けない!挙動不審になっちゃうんです。」
「それは恋文とか口説きかたとかの問題ではないかもしれんぞ?」
先生はいつも自分が冷酷なことを言ってる自覚がない。
「とにかく!そんな僕が政治家とか弁護士とかしゃべる商売なんてできるわけないし、第一政治家なんてやりたくないですよ。なったら、なったで今の時代すぐギロチン送りになっちゃうのがオチですよ!」
グランディエ先生の綺麗な顔が急に曇った。なにか僕、悪い事言ったかな?
「では、べつにやりたい事があるのか?」
「ありますっ!!これ、絶対、モテる職業!!!最先端!!!」
「なんだ?」
「ちょ、ちょっと待っててくださいっ!」
僕は自分の部屋へ駆け戻り 「週刊 皇帝陛下通信」という薄い冊子を持ってきてページを開いて先生の前に広げた。
「これ!調香師ですよ。」
その薄い冊子にはナポレオン皇帝の日々の出来事が週ごとに書いてある。今週号は皇帝陛下が今一番のお気に入りのグッズ特集。僕が開いたページには皇帝がちいさな小瓶を持って笑っている似顔絵が描いてある。
先生は記事を読んできょとんとした顔で言った。
「調香師って、あの香水を造るパッフュメルか。」
「そうです!!今をときめくナポレオン皇帝のお気に入り!!ちびでぶの皇帝でも香水があればモテモテ!!僕は皇帝のお抱え調香師になりたいんです。」
「なんで、また、そんな。」
「僕のうち、イタリアから引っ越してきてから家業が食肉関係だったんで小さいころイジめられたんですよ。やーいやーい豚くさいって。」
「ほう?」
「だけど言ったらなんだけど。パリの町のほうがよっぽどひどい匂いですよね?」
「まぁ、そうかもしれん。」
グランディエ先生はうなずいた。
「宮殿もけっこうな悪臭だったな。なにしろ下水施設が最悪だったから・・・。」
僕はびっくりした。グランディエ先生の立ち居振る舞いを見ていると確かに並々ならぬ育ちの良さを感じる。
けれど今の先生の服装は質素な黒絹のフロックコートでしかも古着屋の吊るしっぽい。
もちろん、先生みたいなイケメンでスタイル抜群の人は何を着てもそこらへんのブランドものを着てる男たちよりはるかにかっこいいけど。
宮殿に出入りしていたなんてやっぱり先生はもとは貴族だったのだろうか。
「アントワネットさまがオーストリアからお輿入れの際に入浴の習慣とまるで春の精さながらのご自身のようなさわやかでかぐわしい花のフレグランスを持っていらした。ベルサイユ宮殿はあの御方のおかげでずいぶん変わった。」
グランディエ先生が僕の横に立って窓から外を見つめた。
先生の青い目は景色ではなくなにか遠いところを見ているようだった。
僕はなぜ、そんなことを先生が知っているのか突っ込みたかったが、先生の憂いを帯びた白い横顔を見ると、なんとなくそれ以上は聞けなくなってしまった。
グランディエ先生はいつもいい匂いがする。どうやら、元貴族らしい先生にもお抱えの調香師がいるのかと思って別の日に思い切って聞いてみた。
「わたしに?専属パッフュメルが?
いるわけないだろう?このとおり、しがない家庭教師の質素な暮らしだ。」
先生は肩をすくめて笑った。
「でも、先生からはいつもラベンダーのいい匂いがするんです。僕、鼻はいいんです。調香師、目指してますから。」
先生はペンを置くとあらたまって僕を見て言った。
「マルセル。では、母上に勇気を出してはっきり申し上げるべきだ。自分の道は自分で決めたいと。」
「僕の母に?そりゃあ、ムリですよ。先生だってあの母と話してみてわかるでしょ。もう、あの人になにを言っても無駄です。僕だって努力はしましたよ、でも、頭固すぎて僕の言い分なんて聞いちゃいないんですよ。」
僕は見栄っ張りでよくしゃべる太めの母を頭に浮かべながら言った。
「わたしの父も頑固だったが。わたしもまぁ、強行突破だったがな。あまり君にえらそうなことは言えないな。」
先生は少し寂しそうに笑った。
「わたしからラベンダーの香りがするなら、たぶんアンドレが作るラベンダーオイルのせいだろう。アンドレは養鶏場が職場だからわたしに匂いが移るのを嫌って自家製香水を作るのだ。」
「へぇ?アンドレ?先生のご家族ですか?自家製香水って興味あるなぁ。ぜひ、お会いしたいですよ。」
数日後、僕の頼みに根負けして先生はしぶしぶアンドレ氏に会わせてくれることになった。
「こんにちは!グランディエ先生にはいつもお世話になってます。マルセル・フランチェスカです。」
「どうも。アンドレ・グランディエです。こちらこそいつもオスカルがお世話になっています。」
僕は彼を見て少し驚いた。左目は傷があるらしく髪で隠しており右目には海賊のような黒い眼帯をしている。彼はどうやら盲目らしい。
けれど、目のことは置いて先生も超ド級だけどこの人もかなりのイケメンだ。
「あ、あの…。お二人は兄弟ですか?お兄さん?」
すると、先生が少し困ったような顔をして口ごもった。
「え・・、あ、ああ・・。」
早速僕は先生のお兄さん手作りのラベンダーオイルを見せてもらった。
乾燥ラベンダーをオリーブオイルと混ぜて湯煎で作る簡単なもの。
「お屋敷の侍女たちがいろいろなハーブで作っていたのを見様見真似だが。王族がたは貴重なホホバオイルを取り寄せてそれでハーブオイルを作らせていると聞いたことがあるよ。」
先生のお兄さんは以前勤めていたお屋敷で侍女たちから聞いたという香水やハーブの話をいろいろ教えてくれた。
だけど僕はさっきからせっかくのお兄さんの説明がちっとも頭に入らない。
ベルサイユ宮殿華やかなりし頃の王宮の高貴な貴顕、貴婦人たちの使っていた香水の話だから大いに興味のひくところだけれど。
疑問がたくさん浮かんできてしまう。
先生は元貴族でお兄さんはお屋敷勤め?
兄弟なのに変じゃないか?それに確かにこの二人、雰囲気は似ているけれども容姿が違いすぎる。
先生はぱっと人目をひく美青年、対して、お兄さんはいぶし銀のような深みのある男前。
しかも、なんというか、二人の様子がはなはだ変なのだ。
目の見えないお兄さんに先生が腕を貸して寄り添って歩くのはまあいい。
だけど、グランディエ先生がお兄さんに異様にすり寄る。体を密着させる。
お兄さんも弟である先生の体を引き寄せる。用もないのに撫でる。さする。
兄弟仲がいいのも程があるってもんだ。
ひらたく言えば兄弟なのに異様にべたべたしているように見える。
「マルセル、よかったら卵を食べて行かないか?養鶏場から生みたて卵をもらえるんだ。」
お兄さんが僕に言ってくれた。
「そうだな。それがいい。」
グランディエ先生がお兄さんの腕に自分の腕をからませてお兄さんを見上げた。
そしてお兄さんの胸に頭を寄せながら言った。お兄さんはそんな先生の金色の髪に唇を寄せる。先生がくすっと笑ってお兄さんに言う。
「ふふふ。やめろ、アンドレ・・・。くすぐったいぞ。」
おもわず目がテンになって、僕は持ってる荷物をぽろりと取り落とした。
テーブルの前で僕は空のフォークを何度も口へ運んでしまう。
目の見えないお兄さんが器用にフライパンを操って作ってくれた目玉焼きはとてもおいしそうなのだが。
見てはいけないと思いつつ目の前の二人をつい凝視してしまい僕はとても目玉焼きどころではない。
「アンドレ、はい、あ~ん、口を開けろ。」
「はは。オスカル、いいよ。大丈夫だ。自分でやる。」
「だめだ。半熟卵で黄身がこぼれる。ちゃんと口を開けろ。」
先生がお兄さんの背中から腕をまわしてお兄さんの口にフォークを運ぶ。ときたまお兄さんの頬に自分の頬を寄せて先生の唇がお兄さんの頬にくっつきそうになる。
きょ、兄弟ってこんなこと、ふつう、す、するのかな???
「あ・・!ほら、唇に黄身がついてしまっただろ。おまえがちゃんと口を開けないから・・・。」
先生が普段僕にキビキビものを言うのが嘘のようだ。
今まで僕が聞いたこともないような甘い声でお兄さんをとがめる。
「え、どこだ?ここか?」
お兄さんも優しい声で答えながら自分の唇を指でさわる。
「ちがう。そこではない。」
「こっちか?」
「ちがう、もっと右だ。」
「ここか?」
「ああ、アンドレ。ちがうというに。ここだ。」
先生がじれたようにお兄さんの唇に自分の唇を重ねた。
どてん!!僕は椅子に座ったままあおむけにひっくり返った。
「すまない。マルセル。わたしは嘘をついていた。」
椅子ごと転倒し頭をしたたか打った僕は濡らした布を後頭部に当てながら話を聞いた。
「実はわたしたちは兄弟ではない。アンドレはわたしの夫だ。」
ええ~~~~~~~!!!! ああ!マリア様!
ぼくは目を見開き口をぱくぱくさせ、胸の前で十字を切った。
「君の家の家庭教師の募集要項に健全な教養高き男性教師求む、とあったので。つい、嘘をついてしまった。どうか許してくれ。」
頭を下げて謝るグランディエ先生に僕はなにも言えなくなってしまった。
確かにこれはうちの母親が出した「健全な」という募集要項に著しく反している。
(注釈:あくまでも18Cの段階では残念ながらそう見られていたということだけです。)
ガチガチのカトリックである母はたぶん泡を吹いて卒倒すると思う。
だけど、僕のような取るに足らない若造に真摯に謝る先生とお兄さん、ではなくアンドレ氏を見ていると心ほだされる。
最初のオドロキと恐れが去ると興味がわいてきた。
「お二人、一緒になるのってすごーく大変だったでしょうね?」
「ああ。とても。わたしたちは命をかけてこの愛を貫いた。」
なるほど、今までの先生の不可解なことがすべて合点がいった。これだけのイケメンで女の子にまったく興味がないこと、親に大反対されて絶縁状態らしいこと。
「アンドレとわたしが愛し合うということは古いしきたりの中ではとても許されないことだったのだ。」
僕はうんうんとうなずいた。
「けれど、人間の作った法律よりも人間本来の愛のほうがより崇高だとわたしたちは思う。」
な、なるほど~!!!なんという真理!
「わたしたちはバスティーユで戦ったのだ。自由と平等と愛を勝ち取るために!」
先生とアンドレ氏は手を握りしめあいアンドレ氏は見えない目ながらも見かわすようかのように先生に顔を向けた。先生の目から美しい涙が流れた。
「オスカル!愛している。永遠に!」
「おお!わたしもだ!!アンドレ!」
先生とアンドレ氏はがばと椅子から立ち上がると二人固く抱き合った。
ふたりとも僕のことは、もう、すっかり眼中にないようだ。
家の者が寝静まると僕は小荷物を持って女中部屋へ行き小さくノックした。
「ニーナ!ニーナ!!起きてる?」
小さな声で呼びかける。
「はい、マルセルぼっちゃま。」
女中のニーナが頭にスカーフをかぶり小さなカバンを抱えて出てきた。
「じゃ、用意はいいね?出かけるよ!」
僕はニーナの手を取りそ~っと忍び足で玄関へ向かう。きょろきょろと様子を伺いながら
通りを抜け家から離れたところまで出ると辻馬車を拾う。
「おーい、頼むよ、乗せてくれ!」
「深夜割増料金だけど にいちゃん、それでもいいかい?」
「大丈夫だ!金ならある!」
不安そうに僕を見るニーナににっこり笑ってうなずきながら御者に応えた。
懐にはうちの金庫からくすねてきた金貨がたんまり入っている。これならグラースへ行ってニーナと暮らしていくには十分だ。
「どこまでだい?」
「とりあえず、グラースに向かって君の行けるところまで!一刻も早くパリを出たい!」
「あいよっ!」
これから僕らの国、フランスは自由、平等、友愛の三色旗を掲げながら進んでいく。でも、それはまだ生まれたてで弱々しくてすぐ転んで大けがをして血を流したり、ときには後戻りしそうになったりするのだろう。
だけど、僕らはひるんではいけない。
誰かに与えられたものではなく僕らは僕らの人生を自分で選び取っていかなければ。
それは、グランディエ先生やその夫のアンドレ氏やほかの多くの先輩たちがたくさん血を流し、たくさんギロチンで首を切られながらつけた道筋だからだ。
うちの女中だったニーナの手を握る。
僕と駆け落ちするニーナはもう女中じゃない。僕は彼女の故郷グラースで結婚し、きっとフランス一の調香師になるつもりだ。
走る馬車の窓から真っ暗なパリの町が流れていくのを見る。
僕はグランディエ先生とアンドレ氏を想った。先生たちの生き方は僕の目を開かせ勇気を与えてくれた。
先生との最後の授業が走馬灯のように僕の頭を巡る。
「せんせぇ!! 僕が間違ってましたっ!!」
「な、なんだ、いきなり・・・。」
「先生と先生の旦那さんの今までの苦労を思えば、僕ぁ、僕ぁ、なんて流されるままに怠惰に生きてきたんだろう。恥ずかしいです!」
「そ、そうか?なにかわからんが、わかってもらえてうれしいよ。」
「先生!僕、どこへ行ってもずっと先生とアンドレさんのことを忘れません。苦しいことがあったら、お二人の愛の苦難の道のりを考えて励みにさせてくださいっ!!
僕、誰がなんと言っても、たとえ、マリア様やバチカンがお許しにならなくても先生たちの味方ですから!」
「マリア様やバチカンって・・・?別にそこまででは・・・。」
「いいんです!!せんせぇ!!もうなにも言わないで!同性愛は異端なんてもう古いんです!僕も既成概念はもう捨てました!自由、平等、友愛!フランス万歳!!
では、失礼!僕、これから用意がありまして。」
僕は机の上の筆記用具をぱたぱたと片付けはじめた。
「え?ちょっ、マルセル、まだ、ラテン語の作文が。」
「さようなら。先生。いつまでも先生とご主人のお幸せをお祈りしています。」
「え?ちょっと!!マルセル、待て・・・。」
先生の最後の言葉は聞き取れなかった。
でも、いいんだ。
あの金髪の美青年オスカル・フランソワとその内縁の夫アンドレ・グランディエという二人の男性のことを僕は生涯忘れないのだから。
Fin