お盆休み中に「アルプスの少女ハイジ」のアニメを完見しました。

コンプリート見したのは何十年ぶりか。

 

見終わって「あ~~~。駿(はやお)」としみじみしてしまいました。

さすが、宮崎アニメのはじまりの作品!ってかんじです。すべての宮崎作品に通じるものがありました。

 

 

美しいアルプスの風景。フランクフルトの街並み、技術は昔ながらのものですが実際に則した正確な描写。

ロングショットで顔のパーツが点になっていても人物の立ち方や動きでキャラの心情が現れます。

やっぱり、宮崎駿ってすごいなっ!

50年近く前のアニメですが、宮崎駿のポリシーがひしひしと感じます。

まさにジブリの原点。

 

考察しようとして見るとストーリーは3部に分かれていることに気づきます。

 

 

1部はハイジとアルムオンジの心の交流を背骨にしてアルプスの自然の美しさ、雄大さを現わしています。だけれどもその中に生きることは厳しくもあります。自立して孤高でなくてはならないとオンジは思っています。孫であるハイジへの温かい愛情が芽生えながらもオンジの心は頑なです。オンジは生き方のポリシーは変えないのです。

 

2部は狭いコミュニティしか知らなかったハイジが初めて自分とはまったく異質の人々と出会います。ハイジの持ち前の純粋さ素直さ優しさがそこでは無にされてしまいます。ペーターの盲目のおばあさんへのハイジの愛情は天使のようだと涙を流して受け入れられたのに。身体の弱いクララへハイジが起こす善意のさまざまな行動はしつけ係のロッテンマイヤーさんには迷惑な困った子どもの悪戯としかとられません。

ハイジはアルムの山恋いとクララへの同情とで心が引き裂かれてしまいます。

ひと言で言うなら2部はハイジの葛藤でしょうか。

 

 

3部は車いすのクララがアルプスの山までやってきて、ハイジたちに助けられながら歩けるようになるまでを描いています。

でも、この3部の本当の真髄はアルムオンジの人間界への回帰だと思いました。アルムオンジは歩く練習に疲れて泣いたクララに語ります。「うまくいかないときもある、もうだめだとやけになるときもある、けれどクララが自分の足で歩きたい、歩くんだと心から願って努力すれば必ず歩けるようになるよ」

アルムオンジはクララに語りながら自分にも語っています。

 

一度は捨てた人と人との交わり、愛情、けれど、もう一度信じてみる、信頼しあうこと、愛し合うこと、慈しみあうこと。

 

アルムの山のさらにその上を飛ぶ孤高の鷹の気高さを目指したおじいさんですが、クララが一歩、一歩と歩くように、おじいさんもハイジとの出会いからすこしづつ優しさと人を信じる心を取り戻していったのです。

 

 

アルムオンジの風貌は宮崎駿によく似ています。(;´∀`)

 

ペーターのおばあさんがクララの読む詩を輪唱するところはナウシカのばばさまを彷彿します。

 

まさかハイジで泣かされるとは思わなかったけど。

実際何度も泣きました。

さすが、駿!

(何度も呼び捨てにして宮崎ファンの方がた、ごめんなさい。)