登場人物
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ
アンドレ・グランディエ
ジェローデル大佐
厨房へ降りて行くと一仕事を終えた使用人たちがテーブルを囲んで雑談をしていた。
アンドレの身体のわたしを見ると侍女たちがさっと立ち上がって声をかけてきた。
「あ!アンドレ!お疲れ様!オスカルさまはまっすぐお部屋へ入られたの?わたしたち、気づかなかったわ!たいへん!」
「いや、いいのだ、それよりも、アンドレに、あ、い、いや、オスカルにすぐ湯浴みの用意を・・・」
わたしが言いかけるとそれに被るように侍女が言う。
「大丈夫!まかせといて!こういう暑い日はオスカルさまはまずお湯浴びなさるから。もう用意してあるから安心して!」
「そうよ、さぁ、アンドレも座りなさいよ。お腹減ったでしょ?あとはわたしたちがオスカルさまのお世話をするから大丈夫よ。」
「ほら、あんたの好きなシチューよ。デジレ!アンドレにパンを切ってあげて!ミートパイもあったでしょ。竈でちょっとあっためるわね。」
「アンドレ、軍服脱いで。ブラシかけといてあげるわ。さぁ、食べなさいよ。あ、デザートもあんたにだけひとつ残しておいたわよ。ふふ、クリームブリュレ。みんなには内緒よ。」
「あら、アンドレ、ワインの残りも取ってあるわよ。持ってくるわね。」
「あ!そういえば!今晩のアペリティフが余ったのよ。飲む?」
「奥様がわたしたちにお下げくださったチョコレート菓子があるのよ。それも食べるわよね。」
アンドレの身体のわたしの前に次から次へと料理が並ぶ。
むろん、ジャルジェ家の者が晩餐で食べた残りかもしれないが。
至れり尽くせりである。
「あら?アンドレ、どうしたの?元気ないわね?具合でも悪いの?」
「今日は暑かったものね。冷たいお水を汲んできましょうか?」
アンドレの身体のわたしにみな一斉に世話を焼いてくれるものだからちょっと呆気に取られてしまった。
普段からアンドレはずいぶんうちの侍女たちに大事にされているようだ。なるほど、こいつは女子供、老人に優しいし顔もそこそこイケてるからな。
アンドレの身体のわたしは厨房の壁に掛かっている大きな鏡に写る今は自分の顔を撫でながら思った。
マルグリットが叫んだ。
「お湯が沸いたからオスカルさまのお部屋へお持ちするわ!手伝って!」
「あ、わたしが・・!」
とアンドレの身体のわたしが立ち上がろうとすると侍女たちが引き留める。
「あ、いいのよ、いいのよ、アンドレは食事を食べてしまいなさいよ。わたしたちでやるから大丈夫よ。」
「そうよ。オスカルさまがお湯浴びをなさったらまたあんたをお呼びになるわよ。それまであんたゆっくりしてて。」
「あ!いや、今日は湯浴みを手伝いたいのだ。あいつにちゃんと湯浴みをさせないと。」
「えっ!」
侍女たち一同がぎょっとしたようにアンドレの身体のわたしを見た。
「な、なんであんたがオスカルさまの湯浴みの手伝いをするのよ?」
「なんでって、だってあれは、お、俺の身体だし。よぉーく洗いたいし。ましてや今日は閲兵式で汗だらけで、その上ブイエのじいさんにいいように触られて。気持ち悪いったら・・・。」
「ちょっと!アンドレ!そんなこと、大きな声で言ってはだめよっ!」
「オスカルさまがアンタのものって!なんて怖ろしいことを!だんなさまに聞かれたらどうするのっ!」
「いや、でも、あいつ、ちゃんとすみずみまで洗うか心配で。ちゃんとこの目で確認しておかないと。」
「とんでもない!オスカルさまの裸を確認なんて!」
「いや、大丈夫だ、今日のわたしはいつものわたしではない、別にあいつの裸を見たって見慣れたものだし。どうということはない。」
その時運悪くばあやがやって来た。
「い、いつも見慣れてるって?オ、オ、オスカルさまの、た、玉の肌をかい?!ア、アンドレ、おまえって子はなんて罰当たりな・・・!!いつの間に!!オスカルさまの寝所に忍んで・・・、まさか!まさか、おまえオスカルさまを・・・!」
「いや、違うんだ、ばあや、落ち着け!オスカルの身体は俺のものだから、別に眺めようが撫でようがなんの問題もないということなのだ。」
「なにが、問題ないことなのだ、だ!こ、このおばかー!!!旦那様と奥様にあたしゃ顔向けできないよ!アンドレ!そこへお直り!あんただけを死なせやしない!あんたを殺してあたしも死ぬ!」
「きゃ~!!ばあやさん、落ち着いて!誰か、誰か、ばあやさんが肉切包丁を!と、取り上げて!早く~!!」
えらい騒ぎである。アンドレの身体のわたしは這う這うの体で厨房から逃げ出した。
なにやら階下が騒がしかったが侍女たちが湯浴みの用意を部屋へ運び込みオスカルの身体の俺に言った。
「オスカルさま、今日、なにかありました?アンドレの様子が変なんですけど?」
「あ、まぁ、その、今日は暑かったから・・・」
オスカルの身体の俺はそう言うしかなかった。俺の身体のオスカル、いったいなにをしでかしたんだ?
「では、オスカルさま、失礼いたしますね。」
マルグリットがサッシュを解いて上着を脱がす。
ブラウスの袷をはだけると白い乳房の盛り上がりがもろ見えてオスカルの身体の俺は思わず「きゃっ!」と叫んで目をつぶった。
「まぁ、オスカルさまったら!またコルセットをお召しにならなかったんですね?」
そ、そうなのか?あいつときたら暑さにかまけてコ、コルセットもしないで出仕していたのか?!くそっ!ブイエのじいさんの肘にさんざつつかれちゃったじゃないか!
「さ、ではスパッツをお脱ぎください。」
「い、いやだ!」
オスカルの身体の俺は目を瞑ったまま思わず叫んだ。
「え?どうなさったのです?」
「お、オスカルの、いや、わたしのスパッツを手で掴んでずり下げるなんてとてもできないっ!」
「今日はオスカルさまも変ですよ。スパッツを脱いでくださらなくてはオスカルさまの大好きなお湯浴びができないではありませんか!」
「ゆ、湯浴み、し、しないから、いい!」
「ま!だめですよ!今日は暑かったから、ほら、こんなに汗をかかれて!気持ち悪いじゃないですか!」
「こ、これは、冷や汗だ!」
実際俺の目の下にオスカルの裸の乳房があると思うと身体は硬直しダラダラ汗が流れてくる。この上、スパッツまで脱がされたらオスカルの身体の俺は卒倒してしまいそうだ。
「さぁ、オスカルさま、そんな駄々をこねないで!」
マルグリットが上半身裸にされ棒立ちになっているオスカルの身体の俺のウエストに手をかけスパッツをだーっと引き下ろした。
「いや~~~~~っ!」
オスカルの身体の俺から発する絹を裂くようなオスカルの悲鳴!
ああ、この声、聞いたことがある。
あのブラビリの夜。
その声を聞いただけで俺は脳天がきゅ~っと絞られふーっとあたりが暗くなった。
「マドモアゼル、マドモアゼル!!しっかりしてくださいっ!マドモアゼル!」
ふと気づくとオスカルの身体の俺は寝台に寝かされていた。
傍にはジェローデルがひざまずきオスカルの身体の俺の右手の甲に唇を当てながらはらはらと涙を流している。
「な、なんだよ?!なんでおまえがいるんだ?」
オスカルの身体の俺は起き上がるとさっと右手を奪い取り叫んだ。
「おおっ!オスカル嬢!お気をつかれましたか!わたし、たまたま、今晩はジャルジェ将軍のご機嫌伺いに参ったのです。そうしましたら、なんと、マドモアゼルがお倒れになったとお聞きして。いてもたってもいられず、まずはお見舞いをと。」
マルグリットにスパッツを引き下げられたショックでオスカルの身体の俺は気を失ってしまったらしい。
「はっ!」
オスカルの身体の俺は慌てて胸をおさえ下半身を見てみる。
良かった、ちゃんとブラウスを着てキュロットを履いている。
「ああ、そうか、わかった、わかった。悪かったな、もうわたしは大丈夫だ。おまえは帰っていいぞ。」
「え、なんと冷たいお言葉。わたくし、心配で胸が張り裂けんばかりでしたのに。」
ジェローデルはまたオスカルの身体の俺の右手を奪い返すと頬をすりすりと摺り寄せた。
「このような折りですが、ひさかたぶりにあなたを間近に拝見すると、あの舞踏会の夜のあなたの薔薇の蕾の唇が思い返されて。熱く狂おしい思いなのですよ。」
ちょっと待て。舞踏会の夜の薔薇の蕾のような唇が、ってどういう意味だ?!
「あー?薔薇の蕾の唇とは?なんだったかな?」
「お人の悪い。あなただって覚えておられるくせに。あの夜の花影でのわたしとの口づけ・・・。」
がーん!!!
オスカルは俺に黙ってジェローデルと口づけなんかしてたのか?!
オスカルの身体の俺はかーっと頭に血がのぼった。
「悪いがな、ジェローデル、それはまったくの気の迷い、いや、出来心にもならない事故みたいなもんだ!忘れてくれ!無かったことにしてくれ!」
オスカルの身体の俺は再び右手を奪い返した。
「いいえ!忘れません!
わたしの生涯の思い出!愛の記憶ですから!事故などととんでもない!あの夜のかぐわしいあなたの吐息と柔らかな唇・・・。」
「やめろっ!気色悪い!」
「気色悪いとは非道なお言葉!潔くあなたを諦めたわたしへのなんと冷酷な仕打ち!わたしの心は千々に乱れ死んでしまいそうです!もう一度生き返るために希望を。愛の口づけを今一度!」
オスカルの身体の俺にジェローデルが覆いかぶさってきた。
「ぎゃー!やめろ!潔く諦めたならそのまま諦めてろ!」
オスカルの身体の俺は必死でジェローデルを押しのけようとするが女の力ではしょせん男にはかなわない。ジェローデルの唇が目の前に近寄ってくる。オスカルの身体の俺は大声で叫んだ。
「オスカルー!オスカル!なにしてる!助けろー!」
「アンドレ!」
アンドレの身体のわたしはわたしの身体のアンドレの悲鳴を聞きつけて部屋に飛び込んで驚いた。
なんということだ!
わたしの身体のアンドレがジェローデルに襲われている!
「やめろ!アンドレになにをする!」
「ええい!この従僕!邪魔するな!無粋なやつめ!下がりおれっ!下郎!」
「なんだと?!元上官に向かってその口のきき方!許さん!成敗してくれん!」
「なにが上官だ!盗人猛々しいとはこのこと!」
「オスカル!オスカル!今はおまえはおまえじゃない、おまえは俺だ!いや、そんなことはどうでもいい!は、早くこいつをどけろ!俺の貞操が危ない!いやちがう!おまえの身体の俺の貞操が危ない!!」
もうめちゃくちゃである。
アンドレの身体のわたしとわたしの身体のアンドレは今、バルコニーにもたれて星を眺めている。
「アンドレ・・・、どうしてこんなことになったのだろうな」
「さぁ、俺にもわからん。どういう神の思し召しか」
「もしも、もしもこのままわたしの身体がおまえのままだったらどうする?おまえの身体がわたしのままだったら?」
「そうだなぁ・・・。おまえは従僕としての俺になってしまうから、辛いだろうが・・・」
わたしの身体のアンドレは口元にこぶしを当ててしばし考えていた。
「俺はおまえの身体をこれまで以上に大事にできる。
おまえの身体は俺のものだから危険なことから今までよりもっと守りやすい。まかり間違ってもおまえが危ないときに俺がいなかったってことはないんだからな。おまえがおまえの身体に戻ってくる日まで俺はおまえを大切に扱う。」
「ははっ!なんだそれ。ややこしいな。」
アンドレの身体のわたしは熱いものが胸にこみあげてきたが笑ってごまかした。
「わたしは・・・、おまえの身体になって気づいたことがある」
わたしの身体のアンドレが首を傾げてアンドレの身体のわたしを見る。
おまえの身体はわたしを見るときどうしてこんなに動悸がするのだろうな?
わたしの瞳を見つめるときどうしておまえの身体はこんなに熱くなるのだろうな?
「アンドレ、わたしの唇になにかついてる」
「え?ほんとか?どこだ?」
わたしの身体のアンドレは指で唇を触ってみる。
「ちがう、そこじゃない」
アンドレの身体のわたしはわたしの身体のアンドレの頬にそっと手を添えるとアンドレの唇をわたしの唇に重ねた。
「オ、オスカル・・・なんてことを・・」
わたしの身体のアンドレが真っ赤になって俯いた。
「いいだろ、わたしの唇だ」
アンドレの身体のわたしはわたしの身体のアンドレの頬を両手で挟むともう一度顔を上げさせた。
そしてさっきよりももっと深い口づけをした。
互いに息を分かち合い長い長い口づけを交わした。
それは魂にふれるような。
心を解かしあうような。
「あ・・・」
わたしたちの身体が今入れ替わってもとに戻ったのがわかったがかまわずそのまま抱き合った。
二人が溶け合う一つの影がその星月夜のバルコニーにいつまでも射していた。
Fin