「風立ちぬ いざ生きめやも」
なんという美しい響きか。日本人で良かった。
日本語ネイティブでヨカッタ。
意味は自分では訳せぬ。 古文、あんまり真面目に勉強しなかった。
堀辰雄先生の小説「風立ちぬ」の有名な序文です。
まぁ、とにかく外国の詩の訳なんだそうだけど、誤訳なんだそうだ。
だけど、小説の内容的には合っていて意図してそうしたんではなかろうかということです。
では、訳詩ではなくてインスピレーションだけ借りて堀氏オリジナルなんではないでしょうかね。
現代語訳すると
「風が吹いた。さあ、生きられるだろうか?いや、生きられはしない」
ちなみに元の外国詩を日本語訳すると正規だと
「風が吹いた。生きねばならない」
ってなるそうです。(ジブリじゃねーか)
ジブリじゃないほうの小説「風立ちぬ」
美しく儚げな晩秋の軽井沢の風景が浮かびます。
糸魚川以北の方たちは特に「軽井沢」という地名はなんか上品っぽい気がする!みたいな感覚をお持ちなんではないでしょうか。今はがんがんアウトレットとか行っちゃったりスキーしに行ったりゴルフしに行ったりしちゃいますが。軽井沢にもともとお別荘をお持ちの方たちは一線を画しておられるんじゃないでしょうかねぇ。
戦前の素封家(民間の金持ちの家)の避暑や療養で軽井沢を訪れるお嬢様がたは嫋やかで優雅です。
節子は結核療養のために軽井沢に滞在しています。「わたし」は療養の合間に絵を描く節子と知り合い、一緒に散策をするようになり二人は恋に落ちます。
秋風が吹く木々の合間に画架を立てて絵を描く節子に寄り添うと思わず絵はなおざりにされます。ひときわ強い風が吹き画架を倒しました。油絵具は乾いておらず、飛ばされた絵にはたくさんの落ち葉が付いてしまいました。
「たいへん。こんなの、お父様がごらんになったら・・・」
節子は枯れ葉をこそげ落とそうとパレットナイフで苦心します。
それでもなお秋風は節子とわたしに吹き抜けます。
わたしは呟きます。
「風立ちぬ。いざ生きめやも」
ジブリのとはまったく違ったお話です。こちらには哀しみを乗り越えてなおも生きるというような前向きなものを感じることはできません。
秋の陽の落ちる寸前の様に似た去りゆくものの儚さ哀しさの叙情の歌です。
堀辰雄作「風立ちぬ」は早逝した婚約者への美しいレクイエムです。
余談ですが、ジブリの「風立ちぬ」
あれはあれで史実に忠実なのでも十分感動的にできたんでないの?ってつい思ってしまいます。べつに堀氏の「風立ちぬ」入れんでも。