「オスカリーヌさまは昨日も激しくルシンダを走らせました。ごらんください。今日のルシンダはこんなに疲れてあなたさまを見る目が脅えているではありませんか?鞭も随分お当てになりましたね?」

 

咎める口調とは裏腹に肩越しに見るアンドレの目は穏やかで優しい。

 

「だって!!昨日はアンドレが一緒に来てくれないのだもの!!」

 

アンドレはわたしへ向き直るといかにも困ったねと言うようにほぅとため息をついた。

 

「オスカリーヌさまは今日はお屋敷にいるようにとお母上様から言われているはずですが?」

 

「お母さまのお話しならもう承りました。お国のための結婚話よ。」

 

わたしは不貞腐れて言った。

 

「宮廷の中に反国王派が勢力を伸ばしてきたので、ここらへんでオーストリア貴族と縁組をしてお父さまたち国王派の力を強めておきたいのでしょ。いつもはわたしを子供扱いするくせに、こんなときばかりは政治の道具にしようと言うのね。」

 

 

アンドレは眉をひそめた。

 

「そんなことはない!オスカルは・・・、奥方様は誰よりもオスカリーヌさまの幸せを一番に考えておられる方です。お国のためなんかではなく。」

 

「どうでもいいわ。そんなこと。それよりもルシンダがだめならほかの馬でいいわ。早く鞍をつけてちょうだい。アンドレも行くのよ!まさか、今日も供をしないなんて言わせないわよ!」

 

 

 

 

 

 

主人夫妻の夜の寝室の緞子の帳の中でかすかに衣擦れの音がする。

営みを終えたばかりの妻が寝台に座り居ずまいを正していた。オーガンジーの流れるようなドレープに沿った美しい曲線の後ろ姿をうっとりと眺めながらジェローデルは妻に声をかけた。

 

交合の後でいささか言いにくい事ではあるが一言言っておかねばと思ったのだ。

 

「・・・オスカリーヌに甘すぎるのでは?」

 

オスカルはきっちりと袷を押えサッシュを結ぶと夫に振り返って言った。

 

「そんなことはない。勉強もまぁ真面目にやっている。それ以外は少しは自由にさせてやらないと反発ばかりしてかなわん。」

 

身に纏った優雅な夜着にそぐわぬ凛とした声でオスカルは答えた。

 

「使用人に・・、いや、アンドレ・グランディエに懐き過ぎてはいませんか?」

 

「赤ん坊の頃からオスカリーヌを見ているのはもうこの家ではアンドレ含め数人だけだ。懐いているのも仕方あるまい。」

 

「だが、たびたび二人で遠乗りに出かけているらしい。オスカリーヌは間もなく婚礼です。嫁入り前におかしな噂でもたっては・・・。」

 

「アンドレが?オスカリーヌの遠乗りの相手をするほど暇ではなかろう?」

 

「いえ、あなたはあえて彼を避けているから気づかないのかもしれませんが。なにかというとオスカリーヌはアンドレ・グランディエに纏わり付いておりますよ。」

 

 

 

「・・・・」

 

 

 

ほんの少しの沈黙の後、オスカルは夫に振り返り言った。

 

「待て。わたしがアンドレ・グランディエを避けていると?いつそんなことをわたしが?何故?そんなことを言うのだ?」

 

「お気に触ったのなら謝ります。わたしにはそう見えたものだから・・・。」

 

「心外だ。」

 

「オスカル・・、オスカル・・・。許してくれ。ああ、いまだにわたしはあなたを愛し過ぎていてどうにもならない。可愛い二人の子供までなした今でさえこんなにもあなたの身体は女神のように美しい。ずっとあなたに嫉妬しつづけてしまう愚かな夫と思ってちっぽけなわたしを許して欲しい・・・。」

 

「ジェローデル」

 

「オスカル・・・、ああ、美しいわたしのオスカル・・・、もう一度いいか?ジャックを産んでからのあなたの身体はまるで甘い蜜のようだ。長くあなたを抱けなかったのが口惜しくてならぬ。」

 

 

そう言うとジェローデルはオスカルの手を取り再び寝台へと引き戻した。されるがまま横たわる妻のサッシュは再び解かれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

母がじっとアンドレを見つめている。

 

 

香り高いアッサムの紅茶が冷えるもの気づかないほどに。繰り返し読むお気にいりの本もティーテーブルの上に置いたまま開くこともせずに。

 

 

今日は一日屋敷の庭仕事の采配を振るというアンドレを窓越しにずっとご覧になっている。

 

普段は目にも留まっていないかのように振舞っているのだが時折母はじっとアンドレの姿を追っていることにわたしはいつの頃か気付いてしまった。

 

 

結婚前にはとても仲良しだったのだと聞いたことがある。幼い頃に屋敷に引き取られたアンドレとまるで兄妹のように育ったのだと。だが、しょせんは主家の娘と使用人だ。いつからか二人の心は離れてしまったのだろう。

 

二人の道は身分という絶対的な壁で隔てられ決して交わることはなかったのだ。

 

 

 

 

昼寝から目覚めたジャックが侍女に連れられて母の居間へやってきた。

 

「ははうえ・・・あねうえ・・・。」

 

ジャックが可愛らしい声でわたしたちを呼ぶ。

 

「おお、ジャック、目覚めたか?こちらへおいで。一緒にお庭を見よう。」

 

 

母がジャックを抱き上げ金の絹糸を巻いたようなふわふわの巻き毛に頬ずりをする。

 

 

ジャックは母そっくりの青い透明な目を半月型にして笑いもみじのような手で母の頬をぴとぴとと触る。蕩けそうなほほ笑みで母はジャックにキスをする。

 

 

まわりで見ている侍女たちが思わずため息を漏らした。

 

「奥方さまが奥方さまに瓜二つのジャックさまを抱いておられるとまるで聖母子像を見るようですわ。」

「神々しい後光が射しておられるようなお二人ですわね。」

 

 

 

 

侍女たちが囁くそんな言葉も耳に入らずに母はジャックを抱いたままその日いち日ずっと庭を見つめ続けていた。