わたしは常に嫉妬で懊悩しながらも、あの男はあの方の長年の召使にすぎない、そう思おうとしていた。

 

だが、あの方が近衛隊長に任ぜられて間もなく事件が起きた。

 

アメリカへ従軍してしまったフェルゼン伯の空虚を埋めるためか。

それともほんの気まぐれなのか。

王后陛下マリー・アントワネットさまはお気に入りの数人の廷臣のみを連れてプティ・トリアノン宮殿へ引きこもってしまわれた。

謁見や儀式、陳情や行事などの国務を放り出し国王陛下をベルサイユ宮殿に残されて。

フランス宮廷と国王陛下をないがしろにした王后陛下のこの振る舞いはプティ・トリアノンへの出入りを許されなかった貴族たちの怒りを買った。

 

とりわけ誇りを傷つけられた高位の大貴族ほどその怒りは凄まじかった。

 

ブランディール公爵はこの屈辱に黙ってはいなかった。

 

ブルゴーニュ地方の古く長く続いた名誉ある一族の筆頭であるこの頑固な老貴族は憤怒に燃えてベルサイユへ乗り込んできた。

 

王に宮殿で目通りがかなわないと知ると怒りのままプティ・トリアノンへ通じる小道へと馬車を走らせた。

驚いた近衛兵は後を追って4頭の馬で道をふさいだが馬車がならないとなると公爵自らプティ・トリアノンへ向かって歩きはじめた。

自分たちより身分が上でしかも高齢の老人にまさか武力で止めることもならず近衛兵たちはただ右往左往するばかりだった。

 

 

「近衛隊長をお呼びするのだ!早く!」

困惑した年長の兵士が叫んだ。

 

 

 

知らせを聞いてあの方とわたしは急ぎ馬を走らせた。あの従僕も一緒に。

 

「お鎮まりください。ブランディール公!」

 

あの方はひらりと馬から降りると叫んだ。

 

「王后陛下はただいま御不予でございます!」

 

「どけっ!近衛兵!わしを誰だと思っている?!ブルゴーニュのブランディール家 ドワンヌ・ド・ブランディールだぞ!」

 

「存じております!ブランディール公爵!」

 

「わかっているならどくがいい!王后をお諌め申し上げねば!

王家はわれら貴族がお支え申しあげている。その貴族たちをないがしろにするようなことがあれば王家がどうなると思うのか!」

 

「今はなりません、ブランディール公!今日のところはなにとぞお引き取りを!」

 

「今、申し上げねばいつだというのだっ?!どけっ!」

 

 

ブランディール公爵は両腕をひろげて立ちはだかるあの方に杖を振り上げた。

一瞬,公爵は振り上げた腕を止めた。

あの方にまっすぐ見据えられてひるんだのかもしれない。

 

 

と、その合間に従僕があの方と公爵の間に割り込んだ。

 

 

公爵の杖が従僕の左上腕を打った。

 

 

ビシっと嫌な音がした。

 

「邪魔だてするな!どけっ!下郎」

 

立て続けにまた打つと今度は上腕をかばった従僕の左二の腕に当たった。

 

3度目に公爵が杖を振り上げたとき従僕の後ろにいたあの方は片膝をつき顔をまっすぐ公爵に向け大きな声で叫んだ。

 

「お止めください!ブランディール公爵!これ以上の臣下の者への無体な仕打ちは御名を汚しまするぞ!」

 

プライド高い老公爵はその声に動けなくなった。わなわなと腕を震わせながら杖を下した。

 

「さあ、公爵を馬車までお送り申せ。」

 

部下に支えられて馬車に乗り込む公爵を見届けるとご自分も馬に跨った。

 

 

「わたくしが宮殿まで先導いたしまする。いくぞ!アンドレ!」

 

 従僕も急ぎ馬に飛び乗るとあの方の後について行った。