娘の怒りは予想どおりだった。だがこの結婚話を撤回するつもりはない。
レニエ・ド・ジャルジェは呟いた。
「潮時なのだ」
華やかさと美麗を好まれた先の国王ルイ15世陛下。
そのおおらかなご性質ゆえか女でありながらオスカルが近衛兵士として出仕することをお許しくださった。
その上、オスカルの容姿だけでなく武官としての資質を愛でられ皇太子妃付きの近衛兵に選んで頂いた。
その後も順調に昇進していく娘が自慢だった。
だが、いつからか、どこかで不安を感じはじめていた。
親の欲目を差し引いて見ても女ながらに武官として男よりもすぐれていると思う。
しかし、それはまだ自分の手の内にいるならいい、平和な時代ならいいのだ。
すさんで国中でなにかが起きそうな、今にも動乱が爆発しそうな中にあのまっすぐな正義感を持つ娘をこれ以上置いておくことはできない。
退官させよう。
そう決心したときに思いがけずジェローデルから求婚の申し入れがあった。
これこそ神の思し召しだ。
結婚して引退する、これ以上正当な理由があるだろうか。
そうは思ってもレニエは深いため息をついた。
あの意思の強い娘が素直に従うとは到底思えない。
ジェローデルはジャルジェ家からの帰りの馬車の中で思い返していた。
およそ自分は結婚とは縁遠い人間だと思っていた。
思わず苦笑いが浮かんだ。
結婚にはもともと憧れも期待もなく結婚したいとも思っていなかった。
兄が健在な限り自分が家督を継ぐこともない。
次男である自分は跡継ぎを作る必要もなく多少の親の嫌みを聞くことがあっても、まあ自由に勝手に生きていける。
そう思っていた。
フランス衛兵隊にあの方が赴任され兵士からも幹部からも虐げられ四面楚歌の状態だ、とブイエ将軍から聞くまでは。
あの方をお救いせねば!
そう思うと矢も楯もたまらずジャルジェ将軍に申し入れた。
あの方に最初に会ったのはまだ近衛に入隊する前だった。どこか誰かの屋敷の茶会の庭だ。
ビスクドールのように美しい少年だと思った。だがわたしをチビとあしらった態度に腹が立った。
へこましてやる!と挑んだ剣の立ち合いでこちらがぼろぼろに負かされた。
あとであの人は少女でやがては近衛兵になるのだと聞かされて驚いた。
女で近衛兵だって?
生意気だ!
いつかまた挑んでその時こそ負かしてやる!
そう思って1年遅れて近衛に入隊した。
だが、わたしは再会のその日に眩しいばかりに美しいあの方に撃ち抜かれてしまった。
彼女の美しさは単に月日を経て女性として成長したからというものではない。
ただ美しいだけの女ならいろいろ見て来た。
現にわたしの身勝手な母も美しい女だ。
だが、身の内からほとばしり出る輝きと持って生まれた造形の美の融合とはあの方のことだろう。
背負ってきた稀有な運命があの方をさらに磨き上げたのかもしれぬ。
わたしは憧れやがて密かに激しく愛するようになっていた。
愛は苦悩と表裏一体だ。
あの方の姿を追うと必ず後ろにあの男が控えていた。
アンドレ・グランディエ。
あの方と向き合う機会を得たときもあの男は頭ひとつぶんあの方より背が高いため否応なく目が合ってしまう。
平民にしては整った容貌をしていて一見大人しそうに見えるが、その実、あの方に触れる男はなにものも許さぬという決意に満ちた目だった。
貴族のわたしに対してまったく臆する様子もなく不遜な小癪な奴だった。
それなのに、あの方は他の者たちに向けるものとは違う、もっと親密な笑顔をあの男にだけは見せる。
あえて言うなら、愛情?のこもったような。
宮廷の人々のさざめきの中、あの方は前を向いたままわずかに身を反らせ顎を上げて後ろに控える影のような男になにごとかささやく。後ろに立つ男はほんの少しかがむようにあの方の黄金の髪に顔を寄せてささやき返す。
あの方はかすかに笑う。
まるで恋人どうしのように。
夜通しの任務が明けた朝、あの方はあの男に微かに身をもたせかけて去って行く。
馬車へ戻られたら安心して身を預けあの男の肩に寄りかかって屋敷へ着くまでひとときまどろむのだろうか。
その閉じられた白い瞼をあの従僕はじっと見つめるのだろうか。
わたしは嫉妬心でいっぱいになりそれを誰にも悟られぬよう冷たい無表情の気取った男になっていった。