部屋を飛び出して行くアンドレを追うとはなしに立ち上がったがわたしはそのまま動けなかった。
かける言葉がみつからなかったのだ。
父上はわたしをただの持ち駒と思っているのか?結婚して子供を生め、とは?
近衛のときからジェローデルがわたしに恋愛感情を持っていたとはまったく思いもよらなかった。非の打ちどころのない立ち居振る舞い。
どんな任務もたがわずこなす信頼できる副官。兵士にしては物腰や受け答えが優雅すぎて嫌味に感じるきらいはあったが。宮廷の女性たちの目にはそうは映らなかったようだ。彼に焦がれている女性も多いと小耳にはさんだこともある。その割に浮いた話は聞いたことがなかったが。
最初からわたしのことを女性としか見られなかった、だと!
そのような素振りはおくびにも見えなかった!
彼の態度はまったく非の打ちどころがなかった。わたしが上官の立場ではちゃんと応分の対応だった。女性として見られているなどと気づかせることもなく。
しがらみがなくなった今堂々と求婚に来たというわけか。
そつがなさ過ぎて笑える。ジェローデルに咎められる点などなにひとつない。だからこそ余計に落ち着き払った彼の態度が癪に障った。
アンドレは・・・。アンドレはその夜、もうわたしのところへ戻っては来なかった。
バイオリンのG線で傷つけたわたしの手の甲の手当ても途中のまま。
なにひとつ話し合うこともしないまま。
それ以上オスカルの前にいるのは耐えられなくなって部屋を飛び出した。
もっと話したいことがある。
ほとばしりそうになる言葉がある。
掴みかかって壊れるほど抱きしめてしまいそうになる。
そうならないように逃げ出した。
オスカルの身の安全を思えばこれは願ったりかなったりの話なのだ。最近の政情の不安定さ。嵐の前の静けさなどという段階はもうとっくに超えている。国中でいつなにが起こってもおかしくない状態なのだ。
軍隊にいたら必ず近いうちに危険な戦闘現場へ出動することになる。
それになによりオスカルは今、王家への忠誠心と困窮する民衆とのはざまで苦しんでいる。
男として生き荒波にもまれてこの国の現実を知りすぎてしまったのだ。
もしも!
もしも、軍務を離れ結婚して夫に守られ屋敷の奥深くに住む奥方になったら。
オスカルの性格上全部をよしとしないまでも、ふきすさぶ嵐に気づかないふりをして、辛い現実には目をつぶって今よりは楽に生きられるのではないだろうか。
その役目が俺では果たせないということを知りすぎているから絶望した。
そうだ、俺はずっと絶望し続けているのだ。
オスカルを愛していると自覚したときから。
苦しさのあまりのうめき声がもれそうになるのを突っ伏して耐えた。
力いっぱい握った両のこぶしは震え白くなっていた。
おまえの瞳がほかの男を見つめる。
夫となる男はおまえを抱き新婚の新床へ誘うだろう。
思いのほかにおまえの腰が華奢なことに感嘆するだろう。
それを知っている男は俺だけのはずだった。酔っ払ったおまえを抱き上げたとき。激情を抑えかねおまえを押し倒してしまったとき。
だが、本当はそれを知るのが許されるのはおまえの夫になる男だけなのだ。
今生でも来世でも俺では決してなり得ない。
求婚者が近衛のジェローデルだということはその夜遅く屋敷のだれかが教えてくれた。