トランスという略語では少々誤解が生じると思う。
日本ではなんでも省略して、しかもその省略というのは一般的に前後を省略したり、
縮めたりする。これによって全然違う言葉なのに同じと誤解されてしまう。
一番いい例は「マック」だろう。
聞く人によって思い浮かべるものは、ファーストフードチェーンであり、コンピュータであり、
化粧品なのだ。
この場合の「トランス」は実は「恍惚状態」のトランスではなく、「トランスジェンダー」
日本語で座りのいい言葉がないのだけど、まあ「性の越境者」とでも言えばいいのだろうか?
ややこしい世界でお互いに助け合ってるはずなのに、実はお互いに「こうでなければならない」
なんて押し付けあったりして結局足の引っ張り合いになっていたりする。
そういう状況を改善するための活動が一冊の本になったわけです。
同性愛、性同一性障害などに少しでも関わったことのある人間ならば
ご存じのとおり、一般的に「異常」とされるこれらの人々はそれぞれに自分の嗜好に
対してマイナーであるが故の強いこだわりを持ち、それゆえに他の嗜好をもつ人々を
許容しない傾向が強かったりする。
そうして、「いや、ちがうんだ。こうあるべきだ!」と大声で主張することによって、
お互いに攻撃を続けてしまう。
特にややこしいのは「自分は間違って男(女)に生まれてきてしまった」と
感じている人々。
この人たちは、一般の人たちよりもさらに強烈な「男らしさ」「女らしさ」に対する
憧れと、それに強く束縛される傾向があり、それによって、本来の性別を生きることも
反対の性別で生きることも苦しくなってしまう。
自分で自分に呪いをかけているようなものだ。
そこから脱却するには「社会のシステムを変えるべきだ」というのが
大雑把に言うと(大雑把過ぎるけど)この本の趣旨であると思う。
「障害」というのはつまり「社会で生活していく上で他の人よりも困難を感じる」ことであるから、
「医学的に処置してしまう」か「社会の枠組みをそれが障害と思われない方向に変化させる」
この二つのどちらかが考えられる大きな方向性で、現在は「医学的に処置する」方向しか
目が向けられていない。
つまり間違った性別の人は本来の性別に「改造」して既存の枠組みの仲間に入れてあげる、
というのが現在の立場なわけ。
そうすると、そんなことを何も考えていない人たちにとっても受け入れやすいのね。
例えば、あなたが何かの書類を書く時に、そこにはほとんどの場合「性別」という欄があります。
なんのためらいもなく、大多数の人はそれに「○」をつけます。僕もそうです。
でも彼らは違うのです。生物学的なあるいは物理的な性別は簡単に書けるのですが、
それに躊躇を覚えるのです。せめて「おかま」という項目があれば少し状況は違うでしょう。
もう少し選択肢を広げることもおそらくは出来るでしょう。
だけど、男女の2つの性別だけで成り立っている今の社会はそれを許してはくれないのです。
「とりあえずどっちかに入っておきなさい」これが社会の現状。
極端な話、トイレひとつ取ったって二つしかないから、どっちかに決めといてもらわないと
今のところ不都合が多いわけです。
女子トイレに間違って入っただけで男子は痴漢とみなされます。
もし、彼らの願いが実現するにしてもかなりの時間がかかると思います。
強い抵抗(内外からの)に遭い挫折することも数え切れないほどあると思います。
僕はトランスジェンダーでもないから、自分のためにその活動をすることは
ないのだけども少なからず関わりあいはあるので、彼らの活動は応援したいとは思っています。
追記:何か僕の解釈に間違いや問題点と思われる個所を発見されましたら、ご指摘ください。
ただの感情的な反発は黙殺します。きちんと筋道を立てて「ここが違う」などを教えて頂ければ
対応をいたします。