僕がここにいる不思議 -18ページ目

僕がここにいる不思議

猫腰を抱えた犬(gear)の雑記

先日、「恐怖のナポリタン」なるコピペを発見。

遅ればせながら興味深い。

やはり触れずにはいられない。

以下、出し手とは、「恐怖のナポリタン」を書いた人。(もしくはそれに類する人)


気になる問題のひとつは、

「ほとんどの人が、オチはないと割り切ったのではないだろうか?」

ということ。

これは、

「いくつか提示されている回答を、”出し手が想定したオチである”と、信じている人は少数ではないか?」

ということであり、

「回答を提示した本人すらも、”出し手が想定したオチである”と、信じている人は少数ではないか?」

ということ。

”オチはない”証拠はないのである。

もちろん”オチがある”証拠もない。

しかし、ある人は、オチはないと割り切るのである。

実に興味深い。

(逆に”出し手が想定したオチである”と自信をもっている人もおられるようだが、絶対数はいかほどなのだろうか?

これも気になる)


もうひとつ気になる問題は、やはり、

「出し手は、何を思ってこの文を作成したか?」

ということである。

何か本当のオチがあるのか?

だとしたら、それはどんなものなのか?

もしくは、まさにこの状況が狙った通りなのか?

これまた、だとしたら、下地なしでこの文を書いたのか?

英語の直訳だったのか?

など、疑問は尽きない。


なんにしても、書き手は、何かしらの動機があるのだ。

それを公表するかしないかは、ともかくとして。


では、この記事の動機はなにか?

簡単じゃないか、つまり・・・。


おしまい

「怠惰を求めて勤勉に行き着く」

とは、マンガ”勝負師伝説 哲也”に出てくる房州さんのセリフ。

記憶を不得意とする僕が、なぜか覚えているフレーズ。

自身は、"勤勉"というよりも"小器用"に行き着いた気がする。


心を動かす何かを求めて行動を起こすべし。

本であろうと、ネットであろうと関係はない。

自分が変わることは、とても楽しい。

楽しめ自分!

そして、タイトルへ。


「今日、朝起きたら昨日までのことを覚えてたんだよ」


ふむ。


「これって実は不思議なことだよね」


そうだねぇ。

現在が、過去と未来にどのように移ろうのか?と。


「そこまで考えてないけど。

 30分前の自分と30分後自分とかさ。」


自己の統一性。

これはこれは。


「とりあえず、30分後にはおなかがいっぱいのはずだね」

「いらっしゃいませ~」


おしまい

探しているものがみつからない。

どこにもない。

まさか、自室内で探し物をするとは・・・。

あぁ、どこにいったかなぁ?

今年は、町に熊が降りてくることが少ないという。

餌となるドングリが不足していないんだとか。

そして本題。

木がドングリの数を調節しているらしい。

熊に食べられてしまうぐらいなら少なくしてしまえ、というのが去年。

じゃあ今年は、去年の被害も少なかったし増やすか、ということなのだろうか。

う~む。

説明を欲するココロの不思議。

もし明日が来ないとしたら、今日やったことに悔いはないか?

ある。

今日は特によくなかった。

でも、何をやったら満足なのかは、わからない。

同時に、明日以降を考えた時に、やらなきゃいけないこともある。

これは、明日が来ないと仮定したときに、今日やらなければいけないことではない。

決して自分が満たされる作業ではない。

でも、いつかは、やらなければならない。

じゃあ、やるしかない。


たぶんこれが、ダメな思考順序。

究極的に目指すところは、やらなければならないことの排除。

おそらく、一部の人たちは、「やらなきゃいけない」がない。

思考と判断で充実した一日を過ごしている。

実践するには、一般常識からの乖離が必要。

さて、どうやってやろうか?

ちょっと休みが続くかも。