令和4年6月20日(月)
お早うございます。
今日は竹島の架橋工事のお話を紹介いたします。

まだ竹島までの橋が架かっていない時代の写真
小原建設株式会社の歴史から紹介いたします。
明治39年(1906年)に初代の小原善太郎氏が請負業「大善」を創業
大善という名は大工の”善太郎”からとったといわれている。
昭和6年3月、合資会社小原組を設立
代表社員小原善太郎氏

<竹島の架橋工事>
合資会社設立の年(昭和6年)8月、三河湾の景勝地蒲郡に、沖の竹島まで架橋する工事の入札が行われ、7~8社あった同業者を抑えて、3万7千円で落札いたしました。
(現在の価値に換算すると・・・何で比較するかによって多少変わってきますが、
例えば以下のような計算ができます。
白米10kgの価格
昭和7年・・・1円41銭
現在・・・3500円
このことから、物価は2482倍になっているということが出来ます。
そこから計算すると昭和7年の1000円は現在のその2482倍である2,482,000円、
3万7千円はすなわちおよそ91,834千円に該当することになります。
しかし小原組も、かつて架橋建設の経験があるとはいえ、潮の干潮のある海岸での仕事となると、実際の経験者はいなかった。
そこでそのころ独立していた鉄筋コンクリート建築の専門家で、親交のあった田村康夫氏に相談したところ、同氏は「上部のケタと床盤の型枠を作るのが一番むずかしい」とアドバイスしてくれた。
32スパンであるから同じものを3組作り、10回移動していくのである。
橋脚用の桶(直径6尺×高さ18尺)も62個必要になってくる。
その上、全員が未経験者であったので、現場へ到着早々民家に分宿、潮と風の知識を得ようと土地の船頭にきいたり、船の漕ぎ方を習ったりした。
インスタント教育もどうやら板についてきたころ、思わぬ障害にぶつかった。

竹島橋架設起工式(昭和6年)・・・草創の跡をたどって(小原建設株式会社の歴史)より
次回へ続く!
お早うございます。
今日は竹島の架橋工事のお話を紹介いたします。

まだ竹島までの橋が架かっていない時代の写真
小原建設株式会社の歴史から紹介いたします。
明治39年(1906年)に初代の小原善太郎氏が請負業「大善」を創業
大善という名は大工の”善太郎”からとったといわれている。
昭和6年3月、合資会社小原組を設立
代表社員小原善太郎氏

<竹島の架橋工事>
合資会社設立の年(昭和6年)8月、三河湾の景勝地蒲郡に、沖の竹島まで架橋する工事の入札が行われ、7~8社あった同業者を抑えて、3万7千円で落札いたしました。
(現在の価値に換算すると・・・何で比較するかによって多少変わってきますが、
例えば以下のような計算ができます。
白米10kgの価格
昭和7年・・・1円41銭
現在・・・3500円
このことから、物価は2482倍になっているということが出来ます。
そこから計算すると昭和7年の1000円は現在のその2482倍である2,482,000円、
3万7千円はすなわちおよそ91,834千円に該当することになります。
しかし小原組も、かつて架橋建設の経験があるとはいえ、潮の干潮のある海岸での仕事となると、実際の経験者はいなかった。
そこでそのころ独立していた鉄筋コンクリート建築の専門家で、親交のあった田村康夫氏に相談したところ、同氏は「上部のケタと床盤の型枠を作るのが一番むずかしい」とアドバイスしてくれた。
32スパンであるから同じものを3組作り、10回移動していくのである。
橋脚用の桶(直径6尺×高さ18尺)も62個必要になってくる。
その上、全員が未経験者であったので、現場へ到着早々民家に分宿、潮と風の知識を得ようと土地の船頭にきいたり、船の漕ぎ方を習ったりした。
インスタント教育もどうやら板についてきたころ、思わぬ障害にぶつかった。

竹島橋架設起工式(昭和6年)・・・草創の跡をたどって(小原建設株式会社の歴史)より
次回へ続く!