令和4年1月22日(土)
お早うございます。

今日は、「ことばのちから」アサヒビール元会長 村井 勉 氏の名言を紹介いたします。

会社と心が通じ合っているという安心感があって、はじめてサラリーマンは一所懸命働く。
会社、つまり上司、なかんずくトップが何もわかちゃいないと感じたら、意気阻喪(いきそそう)である。


住友銀行から苦境にあった東洋工業(現・マツダ)に出向、純血主義を旗頭にしていた同社で
「住友マッカーサー」と言われながらも機構改革と人事異動を断行して再建。
一度、銀行へ戻って今度は朝日麦酒(現・アサヒビール)の立て直しであるが、村井は「再建」という言葉を嫌う。
「私は再建屋じゃない、企業を活性化しているだけです」
「銀行では、私はなぜか行きたくないと思う部署ばかりに回されてきたような気がする」
と村井は振り返る。
「それでも、結果的に気持ちよく仕事をしてこられたのは、会社のために頑張る人間を会社が見殺しにするはずがないと確信しているから」と話す。
会社と気持ちが通じ合っていたのである。
そうした体験をふまえ、この人は「若い人の話を聞かないとダメ、心が通じ合わない」と気軽に若者の輪のなかに入る。
若手の感性や行動力には評価を置いている人である。

1918年福岡県生まれ。1942年東京商大(現・一橋大)卒。住友銀行入行。すぐに召集され、中国・武昌で終戦。46年帰国。京都四条支店長、東京業務部長、総務部長を経て70年取締役、73年常務。入行以来、洞察力、人心掌握力には定評があり、その実力を見込まれ76年にオイルショック以降苦境にあった東洋工業(現・マツダ)に副社長として出向「純血主義」を旗印にしていた同社で「住友マッカーサー」といわれながらも機構改革と人事異動を断行し、再建に腕を振るう。80年住友銀行に専務として復帰。81年副頭取に就任。
82年長期凋落にある朝日麦酒(現・アサヒビール)の社長に「最後の切札」として就任。86年、味とラベルを一新したCI作戦を展開しシェアを伸ばす。さらにビール業界に新風を巻き起こしたドライビールを登場させ、業界第2位の基盤を作る。同年会長に就任。マツダ、アサヒビール両者を通じて“再建男”としての経営手腕は経営の神様・松下幸之助にも認められた。
国鉄の分割、民営化で87年JR西日本の会長に就任。大巾赤字だった同社を5年で純利益298億の黒字企業に建直す。
なお、80~82年には関西経済同友会代表幹事も務める。