令和2年6月27日(土)
お早うございます。

<6月27日今日は何の日>
1582年 = 清洲会議。織田信長の後継を決める会議が清洲城で開催。信長の長男信忠の子・三法師(秀信)を擁した羽柴秀吉が実権を握る。

三法師を擁する秀吉~清洲会議の一場面(絵本太閤記)/日本城郭資料館所蔵

天正10年6月の本能寺の変において、織田家前当主織田信長は京都で家臣の明智光秀の謀反で自害し、信長の嫡男で織田家当主であった織田信忠も二条新御所で切腹した。
光秀は山崎の戦いで敗れ逃亡中に討たれ、織田家後継者および遺領の配分を決定することを目的に、尾張国清洲城(愛知県清須市)で開催された。
集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、滝川一益は直前の神流川の戦いで後北条氏に惨敗し、信濃から伊勢へ敗走中で間に合わなかった。
恥じて不参加、あるいは織田氏の勢力を関東から撤退させたことを理由に参加を拒まれたとの説もある。それぞれ誓紙を交わしたが、直接の参加者の宿老4人だけでなく、織田信雄・織田信孝の2人の信長の上位の遺子たちと徳川家康の3人も会議の決定に委任して、それに従う形で誓紙を交わしていた。

さて今日は、蒲郡市博物館で開催されています、「同盟写真特報でみる戦争」を紹介いたします。