令和2年4月11日(土)
お早うございます。
<4月11日今日は何の日>
1814年 小林一茶が24歳年下の菊と結婚。・・・ “不幸の塊”52歳で初めて妻帯した忍従の俳人

小林一茶の肖像(村松春甫画)
小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日) - 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、日本の俳人。 本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。
「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」
俳人・小林一茶は“不幸の塊”のような人物だった。
3歳で実母に死に別れ、8歳のときやってきた継母にいじめ抜かれ、この母に子供が生まれてからは、ますます折り合いが悪くなった。
そのため、15歳のとき江戸に奉公に出された。
江戸では「わたり奉公」して食いつなぐ生活の連続で、暮らしが楽であるはずがない。
父が病気になったので見舞いに帰郷するが、継母や義弟とはうまくゆかず、父の死後は遺産のことでゴタゴタし、この問題は長く尾を引いた。
やっと遺産問題が決着し、一茶が故郷へ戻るのは50歳のときだ。
妻を初めて迎えたのはその2年後、52歳のときのことだ。
1827年(文政10年)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活するようになり、同年その土蔵の中で、“不幸の塊”のような、65年の生涯を閉じた。
一茶の俳諧俳文集『おらが春』は1819年(文化2年)、一茶が57歳のときの一年間、故郷での折々のできごとに寄せて詠んだ俳句・俳文を、没後25年になる1852年(嘉永5年)に白井一之(いっし)が、自家本として刊行したものだ。
『おらが春』は時系列に沿って書き記された日記ではなく、刊行を意図して構成されたものだ。
さらに一茶自身、改訂や推敲を重ねたが、未刊のままに留まっていたものだ。
表題の『おらが春』は白井一之が本文の第一話の中に出てくる「目出度さもちう位也おらが春」(めでたさも ちゅうくらいなり おらがはる)から採って名付けたものだ。
一茶の代表的な句として、よく知られている
・我と来て遊べや親のない雀(われときて あそべやおやのないすずめ)
・名月を取ってくれろとなく子哉(めいげつを とってくれろとなくこかな)
などはこの作品の中に収められている。
今日はマスク・消毒用アルコールの再配布とマスクを寄贈して頂いたことを掲載いたします。
「市内の施設にマスクと消毒用アルコールを配布いたします。」
蒲郡市では、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、マスクの流通が不足している状況を踏まえ、令和2年3月に市内の46医療機関と107の介護事業所に7,650枚のマスクと、市内医療機関、歯科医療機関、介護事業所に消毒用アルコールを1施設あたり500ml配布いたしました。
しかしながら、マスク・消毒用アルコールはいまだ不足している状況が続いており、4月上旬に市内の医療・福祉・介護事業所にマスクとアルコールの在庫状況を確認したところ、在庫のない施設がありました。この状況を鑑み、市民が安心して生活していただくため、下記のとおり、マスクと消毒用アルコールを再配布いたします。
1、マスクの配布施設数及び配布総枚数
市内介護事業所・施設 15施設 1,602枚
市内福祉施設 11施設 542枚
市内調剤薬局 13施設 451枚
市内託児所 4施設 200枚
2、消毒用アルコール
・配布対象施設・・・市内医療機関、歯科医療機関、介護事業所及び施設、福祉施設、調剤薬局、子育て関連施設で在庫が不足している施設。
・1施設あたり 500ml・・・蒲郡市保健医療センターで小分けします。
マスクを寄贈して頂きました。

お早うございます。
<4月11日今日は何の日>
1814年 小林一茶が24歳年下の菊と結婚。・・・ “不幸の塊”52歳で初めて妻帯した忍従の俳人

小林一茶の肖像(村松春甫画)
小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日) - 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、日本の俳人。 本名は小林弥太郎、一茶とは俳号である。
「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」
俳人・小林一茶は“不幸の塊”のような人物だった。
3歳で実母に死に別れ、8歳のときやってきた継母にいじめ抜かれ、この母に子供が生まれてからは、ますます折り合いが悪くなった。
そのため、15歳のとき江戸に奉公に出された。
江戸では「わたり奉公」して食いつなぐ生活の連続で、暮らしが楽であるはずがない。
父が病気になったので見舞いに帰郷するが、継母や義弟とはうまくゆかず、父の死後は遺産のことでゴタゴタし、この問題は長く尾を引いた。
やっと遺産問題が決着し、一茶が故郷へ戻るのは50歳のときだ。
妻を初めて迎えたのはその2年後、52歳のときのことだ。
1827年(文政10年)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活するようになり、同年その土蔵の中で、“不幸の塊”のような、65年の生涯を閉じた。
一茶の俳諧俳文集『おらが春』は1819年(文化2年)、一茶が57歳のときの一年間、故郷での折々のできごとに寄せて詠んだ俳句・俳文を、没後25年になる1852年(嘉永5年)に白井一之(いっし)が、自家本として刊行したものだ。
『おらが春』は時系列に沿って書き記された日記ではなく、刊行を意図して構成されたものだ。
さらに一茶自身、改訂や推敲を重ねたが、未刊のままに留まっていたものだ。
表題の『おらが春』は白井一之が本文の第一話の中に出てくる「目出度さもちう位也おらが春」(めでたさも ちゅうくらいなり おらがはる)から採って名付けたものだ。
一茶の代表的な句として、よく知られている
・我と来て遊べや親のない雀(われときて あそべやおやのないすずめ)
・名月を取ってくれろとなく子哉(めいげつを とってくれろとなくこかな)
などはこの作品の中に収められている。
今日はマスク・消毒用アルコールの再配布とマスクを寄贈して頂いたことを掲載いたします。
「市内の施設にマスクと消毒用アルコールを配布いたします。」
蒲郡市では、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、マスクの流通が不足している状況を踏まえ、令和2年3月に市内の46医療機関と107の介護事業所に7,650枚のマスクと、市内医療機関、歯科医療機関、介護事業所に消毒用アルコールを1施設あたり500ml配布いたしました。
しかしながら、マスク・消毒用アルコールはいまだ不足している状況が続いており、4月上旬に市内の医療・福祉・介護事業所にマスクとアルコールの在庫状況を確認したところ、在庫のない施設がありました。この状況を鑑み、市民が安心して生活していただくため、下記のとおり、マスクと消毒用アルコールを再配布いたします。
1、マスクの配布施設数及び配布総枚数
市内介護事業所・施設 15施設 1,602枚
市内福祉施設 11施設 542枚
市内調剤薬局 13施設 451枚
市内託児所 4施設 200枚
2、消毒用アルコール
・配布対象施設・・・市内医療機関、歯科医療機関、介護事業所及び施設、福祉施設、調剤薬局、子育て関連施設で在庫が不足している施設。
・1施設あたり 500ml・・・蒲郡市保健医療センターで小分けします。
マスクを寄贈して頂きました。
