令和2年4月3日(金)
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<恩返し出来ず残念です>
陸軍主計中尉 城山 光生 命 昭和20年7月1日 比島マニラ東方八洲山にて戦死
山口県東和町出身 二十四歳
前略、近く南方戦線飛行場大隊付として赴任の予定であります。
素より生還は期して居りません。
私のためには、先日あの降雪の中を面会に来て下さった日が最後となるかも知れません。
尤も軍人たる私は、決して淋しくはありませんが、
只皆の胸中を察すると断腸の思いで一杯です。
これまでは我儘を何とも思わず過ごして来ましたが、
身に沁みる愛情をもって、育てて下された御両親の御苦労をしのべば、恩返しも出来ず残念です。
苟しくも皇軍将校たる者は、死すべき時は潔く死することを武人の嗜みとして居ります。
譬、遺骨の還らざる事あるとも、非難することなく、日本人としての矜持を持って下さい。
国のため命捧げしますらをの 至誠をつげや一億の民

“アイシャルリターン”の発言通りフィリピンに戻ってきたマッカーサー元帥(1944年10月20日)
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<恩返し出来ず残念です>
陸軍主計中尉 城山 光生 命 昭和20年7月1日 比島マニラ東方八洲山にて戦死
山口県東和町出身 二十四歳
前略、近く南方戦線飛行場大隊付として赴任の予定であります。
素より生還は期して居りません。
私のためには、先日あの降雪の中を面会に来て下さった日が最後となるかも知れません。
尤も軍人たる私は、決して淋しくはありませんが、
只皆の胸中を察すると断腸の思いで一杯です。
これまでは我儘を何とも思わず過ごして来ましたが、
身に沁みる愛情をもって、育てて下された御両親の御苦労をしのべば、恩返しも出来ず残念です。
苟しくも皇軍将校たる者は、死すべき時は潔く死することを武人の嗜みとして居ります。
譬、遺骨の還らざる事あるとも、非難することなく、日本人としての矜持を持って下さい。
国のため命捧げしますらをの 至誠をつげや一億の民

“アイシャルリターン”の発言通りフィリピンに戻ってきたマッカーサー元帥(1944年10月20日)