令和2年1月30日(木)
お早うございます。
今日は、議員心得箇条の 条文案十五【私利私欲を捨てる】 議員は私利私欲を捨てよ。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。 2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。 2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。 2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。 2018年10月4日
条文十一【信念】 議員は信念を貫け。 2019年02月15日
条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。 2019年05月5日
条文十三【節制】 議員は自己管理を怠るな。 2019年08月12日
条文十四【現場主義】 議員は現場を見よ。 2019年12月19日
条文案 十五
【私利私欲を捨てる】
議員は私利私欲を捨てよ。
議員は自分(及び選出母体となる組織)の利益だけを考えて行動したり発言したりするべきではない。
もしもそのようなことがあるとすれば、議員は誰か近いものの口利きや行政への見えない圧力としての存在としてしか認識されず、きちんとした議論による決定や、人びとの代表としての心からの信頼を得ることはできないからである。
議員は常に全体の状況を良く考えて議論し、将来を見据えて自らの責任で判断しなければならない。
また、自らの生活の中からの気付きや市民の声等により発見した取り組むべき課題に対しては、全力をあげて取り組まなければならない。これは誰かの損得と言う話ではなく、議員として人として当然解決しなければならない問題に直面したのであるから、むしろそれを放置することこそできないはずである。
議員は一人ひとりを大切にしつつ、大所高所からの判断を行うべきであって、誰か特定の者の利益や自らの損得から判断してはならないことはもちろん、日頃からそうした姿勢を人びとに示して行くことも大切である。
白石城(宮城県)三階櫓


整備された本丸跡
慶長7年(1602年)に仙台城の支城として片倉小十郎景綱が入城してから11代260年余にわたり片倉氏が居城。
元和元年(1615年)の一国一城令の例外的な扱いで明治維新まで存続した。
天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓(おおやぐら)とも呼ばれていた。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は白石市の史跡に指定されている。
天守(三階櫓)は複合式層塔型三重三階。
三階には高欄をめぐらし火灯窓を付けるなど 古い形式も採り入れていた。
文政2年(1819年)に焼失、文政6年(1823年)に再建されたものの幕末の廃城令で破却された。
現在の天守(三重櫓)は平成7年(1995年)に当時の史料に基づき木造復元された。
市内の延命寺に移築された厩口門(うまやぐちもん)、当信寺に移築された東口門は現存し、それぞれ国の重要文化財に指定されている。
平成7年(1995年)に三階櫓とともに大手一ノ門、大手二ノ門が史実に忠実に木造で復元された。
別名は益岡城、枡岡城。
幕末の戊辰戦争では新政府軍に占領され、盛岡藩の管理下に置かれた。
明治6年(1873年)の廃城令で廃城処分となり、ほとんどの建物は破却された。
本丸は天守台の石垣なども撤去され更地になった。
城跡は明治33年(1900年)に益岡公園として整備され、平成19年(2007年)には日本歴史公園100選に選定された。
平成29年(2017年)には続日本100名城に選定された。
お早うございます。
今日は、議員心得箇条の 条文案十五【私利私欲を捨てる】 議員は私利私欲を捨てよ。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。 2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。 2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。 2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。 2018年10月4日
条文十一【信念】 議員は信念を貫け。 2019年02月15日
条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。 2019年05月5日
条文十三【節制】 議員は自己管理を怠るな。 2019年08月12日
条文十四【現場主義】 議員は現場を見よ。 2019年12月19日
条文案 十五
【私利私欲を捨てる】
議員は私利私欲を捨てよ。
議員は自分(及び選出母体となる組織)の利益だけを考えて行動したり発言したりするべきではない。
もしもそのようなことがあるとすれば、議員は誰か近いものの口利きや行政への見えない圧力としての存在としてしか認識されず、きちんとした議論による決定や、人びとの代表としての心からの信頼を得ることはできないからである。
議員は常に全体の状況を良く考えて議論し、将来を見据えて自らの責任で判断しなければならない。
また、自らの生活の中からの気付きや市民の声等により発見した取り組むべき課題に対しては、全力をあげて取り組まなければならない。これは誰かの損得と言う話ではなく、議員として人として当然解決しなければならない問題に直面したのであるから、むしろそれを放置することこそできないはずである。
議員は一人ひとりを大切にしつつ、大所高所からの判断を行うべきであって、誰か特定の者の利益や自らの損得から判断してはならないことはもちろん、日頃からそうした姿勢を人びとに示して行くことも大切である。
白石城(宮城県)三階櫓


整備された本丸跡
慶長7年(1602年)に仙台城の支城として片倉小十郎景綱が入城してから11代260年余にわたり片倉氏が居城。
元和元年(1615年)の一国一城令の例外的な扱いで明治維新まで存続した。
天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓(おおやぐら)とも呼ばれていた。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は白石市の史跡に指定されている。
天守(三階櫓)は複合式層塔型三重三階。
三階には高欄をめぐらし火灯窓を付けるなど 古い形式も採り入れていた。
文政2年(1819年)に焼失、文政6年(1823年)に再建されたものの幕末の廃城令で破却された。
現在の天守(三重櫓)は平成7年(1995年)に当時の史料に基づき木造復元された。
市内の延命寺に移築された厩口門(うまやぐちもん)、当信寺に移築された東口門は現存し、それぞれ国の重要文化財に指定されている。
平成7年(1995年)に三階櫓とともに大手一ノ門、大手二ノ門が史実に忠実に木造で復元された。
別名は益岡城、枡岡城。
幕末の戊辰戦争では新政府軍に占領され、盛岡藩の管理下に置かれた。
明治6年(1873年)の廃城令で廃城処分となり、ほとんどの建物は破却された。
本丸は天守台の石垣なども撤去され更地になった。
城跡は明治33年(1900年)に益岡公園として整備され、平成19年(2007年)には日本歴史公園100選に選定された。
平成29年(2017年)には続日本100名城に選定された。