平成30年5月8日(火)
お早うございます。

<5月8日今日は何の日>
1657年5月8日 大坂夏の陣・終結。
 慶長二十年(1615年)5月8日、大坂城が炎に包まれ落城し、豊臣秀頼・淀殿母子が自刃・・・ここに豊臣家は滅亡し、冬と夏の二度に渡った「大坂の陣」は終結しました。





大坂夏の陣図屏風(黒田屏風)右隻(大阪城天守閣所蔵)


 さて今日は、国民民主党結党を取り上げてみたいと思います。
民進党と希望の党による新党「国民民主党」設立大会は7日午後、都内のホテルで開催されました。
両党の所属国会議員数は合計107人だったが、新党参加者はその6割弱の62人にとどまりました。
民進は常任顧問の岡田克也元副総理や野田佳彦元首相、参院議員会長の小川敏夫元法相ら重鎮組が参加せず。また、希望は結党メンバーの細野豪志元環境相や松沢成文参院議員(元神奈川県知事)らが不参加となりました。

国民民主党という名前は、1950年4月28日に成立している政党名です。
 1949年に第3次吉田内閣の組閣に当たり、民主党は、連立交渉を巡り、党内で連立派と野党派の間に内紛が起こり、分裂状態を引き起こした。1950年2月には、犬養健、保利茂などの連立派が大量脱党(3月に民主自由党に入党、自由党となる)する。そして、4月に民主党野党派は野党の国民協同党と合同して国民民主党を結成した。

 新党参加議員の内訳は衆院39人、参院23人。野党勢力での衆院第1党の立憲民主党を超えることはできませんでした。
参院では自民、公明両党に次ぐ第3党となり、野党第1党は維持したものの、不参加組が立憲民主入党か同党との統一会派を組めば、こちらも野党2党に滑り落ちる可能性が大きいといえます。

 このため、民進・大塚耕平、希望・玉木雄一郎両代表の目指した「野党の大きな塊」にはほど遠く、数も理念も中途半端な新党結成には、「立憲民主を太らせただけ」(民進系無所属有力議員)との批判も渦巻いています。
立憲民主党の福山哲郎幹事長は5日、国民民主党誕生後も衆参合計の議員数で立憲民主党が野党第1党である状況は変わらないとの観測を示したうえで、「(新党に参加せず)立憲民主党に入党したいと言っている方も何人かいる」として、衆参両院での野党第1党確保に意欲と自信をにじませていたが、これを裏書きした格好となりました。

 野党結集は困難を極めている様です。一度失った信頼を回復するにはかなりのパワーと時間がかかると思います。
それぞれの思いを、「志」を一つにまとめ上げていく、強力なリーダーリップを振るえれる、カリスマをもったリーダーが現れない限り、野党戦国時代が続くのではないでしょうか?・・・だれがいち早く統一していくのかしっかりと見守ってゆきたいと思います。