平成30年5月7日(月)
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<まだ生きている>
陸軍少尉 小原 福美 命 昭和20年7月17日 ルソン島にて戦死
秋田県湯沢町下町出身
三月十七日
今日もまだ生きて居つた。
今自分が生きて居るんだと云う事が、何かしら不思議でならない。
死と正とは紙一重だ、死中に生あり、生中に死なしか。
一瞬一瞬を行き続けて敵と闘はんのみだ。
靖国神社への大道が、ひろびろと砲煙にけむる空の果てに浮かんで見える様な気がする。
靖国神社、桜、大鳥居、しばし戦いの最中に身を置いていると云う事を忘れ去った、一種云い様のない感激が身を包む。
今も尚 生き続け居り 敵軍の 重囲の最中に 戦ひつ、われ
今此処で死ぬんだなあ。
殪れるんだなあと思って、砲弾除けに掘った急斜面の小さな横穴の附近をつくづく見廻してみたが、
格別変わった有様にもみえず、焼残りの藪がからみ合っていて、蟻がせっせと掘り返された己が住家より、
藪の蔭の別の住家へ貯へた虫や卵らしいものを運んでいる。・・・・・

ルソン島の戦い(ルソンとうのたたかい)は、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。
お早うございます。
今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<まだ生きている>
陸軍少尉 小原 福美 命 昭和20年7月17日 ルソン島にて戦死
秋田県湯沢町下町出身
三月十七日
今日もまだ生きて居つた。
今自分が生きて居るんだと云う事が、何かしら不思議でならない。
死と正とは紙一重だ、死中に生あり、生中に死なしか。
一瞬一瞬を行き続けて敵と闘はんのみだ。
靖国神社への大道が、ひろびろと砲煙にけむる空の果てに浮かんで見える様な気がする。
靖国神社、桜、大鳥居、しばし戦いの最中に身を置いていると云う事を忘れ去った、一種云い様のない感激が身を包む。
今も尚 生き続け居り 敵軍の 重囲の最中に 戦ひつ、われ
今此処で死ぬんだなあ。
殪れるんだなあと思って、砲弾除けに掘った急斜面の小さな横穴の附近をつくづく見廻してみたが、
格別変わった有様にもみえず、焼残りの藪がからみ合っていて、蟻がせっせと掘り返された己が住家より、
藪の蔭の別の住家へ貯へた虫や卵らしいものを運んでいる。・・・・・

ルソン島の戦い(ルソンとうのたたかい)は、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。