平成30年3月24日(土)
お早うございます。

春の訪れを感じさせる俳句を一句紹介したいと思います。

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」

与謝蕪村の句で、うららかな春の日を浴びた海面には、白波が春の日永を一日中物憂げにゆったりとうねりながら、浜辺に寄せては返していますよ。

さて今日は何の日
1860年(安政7年旧暦3月3日)3月24日 - 桜田門外の変が起こる。

「安政五戊午年三月三日於イテ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」大判六枚続 月岡芳年画 明治初期

日米通商条約の取り決めで、幕府に反対する声はいよいよ高まりました。

そこで井伊直弼は、取り決めに反対した、水戸(茨城県)・越前(福井県の一部)尾張(愛知県の一部)などの藩主を罰しました。

そして、京都で幕府に反対する運動をしていた人たちを、片っ端から捕まえて、牢に入れました。

梅田雲浜・頼三樹三郎・橋本左内・吉田行松陰など、多くの人々が捕らえられ、死刑になりました。

西郷隆盛は薩摩に逃げました。しかし、隠れるところがなく、月照という僧とともに、海に飛び込んで死のうとしたこともありました。

このときの、幕府の激しい取り締まりを、安政の大獄と呼んでいます。

安政の大獄のあと幕府に反対する人々は、 いっそう深く直弼を憎むようになりました。

幕府の政治を動かしている直弼を殺してしまい、それをきっかけに京都で兵をあげようという計画も立てられました。

この計画は、藩主を罰せられて憤慨した水戸藩の浪土たちによって進められました。

彼らは1860年(万延元年)三月三日 江戸城の桜田門外で ついに井伊直弼を討ち取りました。

これを桜田門外の変といいます。

井伊直弼(彦根城博物館所蔵)


桜田門

時代は明治維新へと繋がって参りました。・・・日本の国の行き先を思う若者の尊い志が時代を大きく変えて行きました。