【映画初公開の日】
 多くの人々が同時に動画を見ることのできる映写機・シネマトグラフを開発したフランスのリュミエール兄弟(兄オーギュスト、弟ルイ)は、1895年12月28日、パリで映像『工場の出口』などを有料公開した。これが世界初の映画公開と言われている。
 現在と違って、色はもちろん白黒のみ。『工場の出口』はそのタイトル通り、リュミエール兄弟が経営する工場から労働者たちが出てくる様子を収めた、46秒の映像だった。 シネマトグラフが日本に伝えられ、映像が公開されたのは1897年。スクリーン上に映されるシネマトグラフの映像に魅せられた人々によって、日本映画産業の黎明期が始まった。

「あらすじ」
 この映画は労働者たちがリュミエールの工場から出てくるシーンのみで構成されている。労働者たちはたいてい女性であり、その日の仕事を終えた人々がフランスのリヨン周辺にある大きな建物から出てくる様子が撮影されている。
 この映画には3つの異なるバージョンが存在し、それらの間には多くの異なる点がある。例えば、人物の服装が変化していることから、バージョンによって撮影された季節が異なることが分かっている。これらは最初の2つのバージョンにカーテン付きの馬車が登場する(オリジナルでは一頭の馬が、最初にリメイクされたものでは二頭の馬が馬車を牽いている)ことから、よくそれぞれ「一頭の馬」「二頭の馬」「馬がいない」バージョンと呼ばれる。

「製作」
 この50秒ほどの映画はルイ・リュミエールによってフランスのリヨンで撮影された。この映画はシネマトグラフと呼ばれる撮影だけでなく現像・映写も可能なカメラの収入によって撮影された。この映画は1895年12月28日にパリのBoulevard des CapucinesにあるGrand Caféで他の9つの短編映画とともに上映された。
初期のリュミエールの映画は35mmフィルムで製作され、画面アスペクト比は1.33:1、毎秒16フレームであった。これで50秒間上映すると、フィルムの長さは17m、全部で800フレームとなる


さて、この作品の監督であるルイ・リュミエール(弟)とオーギュスト・リュミエール(兄)の兄弟は、映画そのものの発明者である。
映画の発明者というとアメリカ人はエジソンと言うだろうが、エジソン(及びその弟子のウィリアム・ディクソン)が発明したのは「キネトスコープ」と呼ばれる覗き箱方式のものだ。
これは観客1人1人が箱を覗き、その中で上映される映像を見るもので、エジソンは1893年から全米で売り出した。しかし最初は大衆が熱狂したものの、まもなく画面の小ささ、内容の単調さ、短さに不満を持つようになった。
一方でリュミエール兄弟は映写方式を研究した。その場合撮影機、映写機ともに高度なメカニズムが要求される。その中でリュミエール兄弟は間欠運動 (フィルムを連続的に送りながら、一瞬ずつ静止させる仕組み) が鍵を握ると考えていた。
ある日弟のルイがミシンを見て送り爪に三角カムを組み合わせればフィルムをうまく送れるとひらめき、最終的に「シネマトグラフ」と呼ばれる映写方式のカメラ(兼映写機)の発明に成功したという。
映画は映写方式のものでなければならないと考えるのであれば、映画の発明者はリュミエール兄弟であり、彼らが発明したシネマトグラフで撮影した『工場の出口』が最初の映画ということになる。