こんにちは。kkです。

 

 

自分が聖書の神様を知ってまず驚いたことは、スピリチュアルだけでなく、仏教やほかの宗教が「悪魔の神様」だったということでした。

そして神様を信じることが、「悪魔との闘い」でもあるということにも、とても驚きました。

 

スピリチュアルの教えでは、「平和」「争わない」「ネガティヴな感情を手放す」「周波数が…」という表現が多かったので、「悪魔との闘い」が存在することすら考えたこともなかったです。

 

スピリチュアルは、何か困難に直面しても終わりのない「内面の問題」として延々と処理していきます。

「インナーチャイルド」とかも、今思えば、自分の中の悪霊のことのようにも捉えられます。

 

でも聖書では、困難は「悪魔の働き」であるから、それとの闘いであると教えてくれます。

そしてその闘いは、聖書を信じる人には神様がついてくださっているから、必ず勝つ闘いなのだと。

聖書は、本当の救いを示してくださるのです。

 

 

また、身近なことでは、健康のためにヨガや開運のための風水、きれいなパワーストーンのブレスレットなどが、悪霊を呼び込むことにつながっているとは思ってもいませんでした。

 

私は、神社や仏教の神様、妙見信仰や七福神の神様が「悪魔の神様」ということを知ってから、近寄りたくない気持ちになりました。

気功やレイキ、ヨガの危険性もわかったので、もう絶対にやりたくないです。

 

先日スピリチュアル関係の本を処分した際、その前夜にもうなされて、その時に聞こえてきたのはお経の声でした。

20年くらい前、仏教系の信仰宗教に家族で入っていたことがあったので、私は2世でした。

私自身、以前はうなされたらお経を唱えていたのですが、逆にお経でうなされるなんて本当にびっくりしました。

これは私の勝手な感じ方ですが、お経って波動が低いような気がします。

夜、寝てるときに金縛り状態で聞こえてきて、本当に怖かったです。

 

神社も独特な静けさがあります。

入ったときに、空気がピーンと冷たい感覚がします。

あれは鳥居やしめ縄、ご神木などで結界が張られているからなのでしょうか?

私の近所の神社はちょっと怖い感じがします。

やっぱり怖いと感じるのは、自分とは異世界のものだからなのかな、と思います。

 

本当の神様はおそれおおいお方ですが、異世界の怖さはまったく持ち合わせていません。

神様は私とともに私の中にあってくださいます。

聖書はあたたかいし、讃美歌は美しいです。

夜は聖書を枕元において寝ています。

 

自分にとって我欲に駆られた目的は、もはや必要なくなったと思っていますし、そうありたいと思っています。

神社やお寺の存在意義について、表向きのことしかわからないけれど、人々の願望成就をうたっていますよね。

そこで何かお願いごとをするなら、悪魔に魂を売ることになるのではないでしょうか。

 

自分の体は神様が作って下さったお宮だから、大切にして健康を保つ努力は必要ですが、開運したり何か願望成就を祈願したりする必要はもうないと思っています。

どんなことが起きても、イエス様はその困難をすでに贖ってくださっているのだから、「イエス様の奇跡を信じる」と宣言するのが大事ですよね。

 

 

聖書を少しずつ読んでいますが、理解を深めるため、

他にも『みことばの力』という本を読んでいます。

Amazon.co.jp: みことばの力 : T.L.オズボーン, 角笛出版翻訳委員会: 本

 

 

読みはじめたところに書いてある告白の言葉がとても素敵です。

 

「神は今、私のうちにおられます。造り主が私とともにいてくださるのです。」(p.22)

 

これはみことばではなくて、みことばを読んだ人がする告白のようです。

私も同じように告白したいです。

そして、神様のお導きに感謝いたします。