お久しぶりの投稿になってしまいました。

みなさまお変わりありませんでしょうか?

 

最近、仕事で使っていた機械が故障してしまいました。

そんなわけで時間がとれたのでブログを書いています。

これもきっと神様のお恵みですね。

 

最近、「霊を強める」ことがとっても大切だと感じています。

オーラがない、存在感がない、自信がない…、ナイナイ尽くめの私。

それでも毎日のお祈りを通じて、神様が私の霊を少しずつ強めてくださっている気がします。

 

ダニエル・デュバルさんのビデオで見たんですが、

自分自身が「霊として第三の天に上り、神様の御前で祈る」ということをおっしゃっていました。

私にはまだまだそんなことはできそうにありませんが、そこを目指して日々悔い改めて祈り続けようと思います。

 

一度だけ、真っ白な大理石の床が広がる空間に行き、私はひたすら下を向いてひれ伏していました。

でもそれが第三の天なのかはわかりません。

 

第三の天には楽園のような空間があって、すべての病が癒される場所があるそうです。

そこに病気がある人を連れて行って癒してもらおうと思ったのですが、そこには行けませんでした。

 

聖霊様にお願いしたら、大きな十字架が表れて、そのふもとにみんなで立っていました。

みんなで一緒に「十字架の贖いを受け取ります」と宣言しました。

クリスチャンは私だけだったせいか、みんなの声は小さかったです。

でも何度も繰り返し宣言しました。

 

↑こんな感じの話はクリスチャンでも嫌う人はいるかもしれません。

実際のところ、人には話しづらいです。

 

信仰をもたないと言っている人は、合理的思考をゆるぎない真実として信仰していると思います。

でもそれは、現実のひとつの側面に過ぎません。

仮定ばかりの科学や物理の何が正しいと言えるのでしょうか?

 

そして不思議なことに、合理的思考を重視する人々は、「幸運」を求める人が多いです。

矛盾してる気がするけど、不確定要素は認めるんですよね。

そういった隙間から悪霊が入ってくるので、本当にうまく取り込まれてしまいます。

日本は神社やお寺がいたるところにあって、○○に効くとかご利益信仰をしています。

お願い事と引き換えに、知らず知らずのうちに自分の何かが奪われているとしたらどうでしょう。

御朱印めぐりのように、むやみやたらに神社に行って手を合わせてはいけないと思います。

まず症状として「夜眠れなく」なります。経験談です。

 

イエス様しか出口がないのです。

「わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。」

(ヨハネによる福音書 14 : 6 )

 

 

霊的な視点で物事を見ることは、どの宗教であれ信仰をもつ人であればしていること、なのかもしれません。

でもやっぱり、「どのような霊」による霊的なものなのかは、本当に重要だと思います。

「あなたがたは、自分のうちにある主の全能の力によって強められるようにしてください。 

悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。

戦う相手は、血肉を持った人間ではなく、肉体のない者たちです。

すなわち、目に見えない世界の支配者たち、この世を支配する暗闇の大王たち、それに、天にいる無数の悪霊です。

ですから、いつどんな攻撃にも対抗できるように、神のすべての武具を用いなさい。

そうすれば、すべてが終わった時も、なおしっかり立てるでしょう。 

しかし、そのためには、腰に真理の帯をしめ、神の承認という胸当てをつけなければなりません。

 次に、平和の福音を伝えるために直ちに出発できる、丈夫なくつをはきなさい。

 どんな戦いにも、守りの盾として必要なのは信仰です。

これがあれば、サタンが射かけてくる火矢を消し止めることができます。 

また、救いのかぶとをかぶり、御霊の下さる剣である神のことばを手にしなさい。」

(エペソ人への手紙 6 : 10-17)