卒業、入学、転勤などと、転機多き時期ですね。

ここの所、仕事も新規の方が増えたのもあり、少々忙しい日が続いておりました。
ま・・・暇な時もあるのですが、そういう日に限って、所要に追われておりました。


そんな中、突然の悲しみも訪れました。
昨年13回忌を行ってくれた、夜学が一緒だった僧侶の友人が突然のお別れとなってしまいました。

昨年末の電話で、「癌がまた転移してしまったので正月早々から15回に分けて放射能治療をするけれど、必ず元気になるから、暖かくなったら春くらいに皆さんでお会いしましょうね!!」・・・と声の便りを下さいました。

仙台の大学病院の近くに住んでいる親友とは、インフルが流行っている内は会えないけれど、近い内にお会いしに行こうね・・・・と話していたばかりでした。

昨夜、けっこうな深夜の時間帯から朝方にかけて、自宅ではなく職場の方の電話になんども着信が鳴ってました。
ニャンコ娘達と一緒でも、なんだか怖くて確認せずに朝方の5時前まで音で起きたり、うとうとしたり、繰り返してました。

朝方に明るくなったので電話を確認したら、友人のたったひとりの身内のお兄さんからでした。
「家に帰ったら亡くなっていた」・・・・・・・・・・・・・・・・・と。
眠れなくなってお酒を飲んで、多分私なら電話に出るだろうと思ってかけ続けてくれていたみたいでした。

ひとりで夜を過ごしている時に、職場の電話だと怖い・・・と思い出ませんでしたが・・・・・。
こんなことなら、早く電話に出ていれば良かったと思いました。

それとなんとなくなのですが・・・・・・・・・・・・。
友人が昨夜、私の所に、そばに来てくれていたような気がした時間帯がありました。

電話の後、丑三つ時くらいまで、なんだか寒くて眠れませんでした。
深夜の電話の時から、その友人のことばかり頭に浮かび始めていました。ずっと頭から離れませんでした。

眠れなくなって、サイドテーブルのミニライトを付けて、
「モモおいで!!」
・・・と呼んでも・・・・・・・・・普段ならすぐに布団に飛び込んでくるモモが、私をジ~~~~っと見て、
「ニャン!!」
・・・と言って、ロフトへ駆け上ったまましばらく降りて来ませんでした。

たまに鳴る電話の音を聞きながらうとうとして、ふと足元を見た朝方の4時くらいにはモモが丸まって寝てくれてました。
友人も、モモとミミのことを可愛いと言ってくれていたので、もしかしたら人なつっこいモモは見えていてお別れしてたのかな~~とか思いました。

先ほど、友人のお兄さんからまた電話が来て、明日に日取り決まったら連絡するので、最後のお別れに来て欲しい・・と言われました。
お兄さんのお住まいが仙台の新寺という地域なのですが、お寺さんの多い地区なので、その近くの葬祭場らしいので、仕事後にお別れに行ってこようと思います。

震災を挟み、かなりのお別れを経験してきましたが・・・・・・・・。
友人と過ごした時代を、時間が経過する程に走馬灯のように色々と思い出し、悲しみが積もりゆく感じがしました。

今日も、自分の通院後にいつもの所要回りを済ませている最中に、なんだか悲しくなって何度も涙が溢れそうになりました。
マスクをしていたので、目をこすってごまかしました。

本当に優しい方でした。

学生の時は、しばらくの休学後に再度編入されたので6歳ほど年上でした。
物静かな方で、誰にでも親切な方でした。

辛い時にもたくさん説法などを聞かせてくれたり、無償の愛情を誰にでも贈れる素晴らしい方でした。

親友は、亡くなったその友人のことを、非の打ちどころの無い素晴らしい方だったから彼岸入りの時に安らかにお仏様にお迎え頂いたのかもしれないよね・・・・と涙声で私に言ってました。


誰しもいつかは通る道だとは解りつつも、早いお別れは何度経験しても悲しく淋しいものです。

友人には、今までの感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは、天国で安らかであって欲しいと祈っておりました。


以前の記事で、友人が闘病中の体で法事をして下さったお話しを書いたことがありましたので、お別れとなったことも載せさせて頂きました。

                           淋しいお話しで申し訳ございません。