このところずっと体調が悪化回復悪化回復を繰り返していたんですが、これなんか星的に兆候が見れたりするんだろうかとメモだけしておいた今日この頃。


ついに楽しみな講座の日に高熱を出してお休みする羽目になりました。辛い。


普段の私はほぼほぼニートなので、ちょっと色々重なってキャパオーバーだったのかなぁ。

かなり印象的なダメダメさだったので、後でちゃんと検証できたら多少の予防に役立つだろうか。


何はともあれ。次の講座までまた二週間弱はあるので、前回も復習しつつアーカイブで学習しつつ取り戻していきたい・・・



と言うわけでいきなりだけど今日はまずは「水星」それから「金星」について考えてみます。


水星というのはマレフィックでもベネフィックでもないニュートラルな天体。


象意としては「知性」「流動性」「つなぐ」など。


で、いわゆる「メディア」なんかも水星の領域だし、詐欺や商売(流通)も水星の管轄。


私としてはここに「あわい」「間」というコアイメージを持ちました。


これだとちょっと水星の動きとしての役割が感じられないというか、静的なイメージなので動きの速さとか軽さみたいなイメージがやや伝わりにくいので、一般的に良い説明だとは思わないのですが、水星の機能の一側面を抽出した説明としては私の中でイメージが掴みやすいのでとりあえず。


「流動性」「つなぐ」という上位の概念からもう少し具体的な活動として「メディア」「商売」なんかがあるわけです。


例えば元々「メディア」という言葉自体が「媒介」という意味があるので、これはまさに「間」だし、少しこじつけになるんですけど、まず人間は生物としての個体である「ヒト」として生まれてヒトとヒトの間に身を置くことによって社会性(これは親と子のような狭い二者間でも成立するような小さな関係性も社会性と言ってます)を獲得し「人間」になる過程や年齢域、行動を水星が表してるのかなって。


「人間」とはなんぞやというアレですが、「ヒト」と比した時に生物学的な分類としてではないある種の文化的な存在を表す言葉というニュアンスでこの場合は使っております。


これはなんとなく12ハウスを経ての3ハウス的な印象でもあるんですけど、月はきっと生物としての「ヒト」を担ってるんじゃなかろうか。)

(あとこの考え方は単に私がアーレントの著作が好きだからってのもあると思う・・・)


そもそも社会性ってものが何かを定義するのってすごく難しいんですけど、自分と他者や世界には「距離」つまり「間」があるわけです。


その「間」を認識すること、その「間」を行き来すること。


それを司ってるのが水星なのかなという印象です。自分の安全や肉体を確保(月)したら、その境界線を意識する=私と何かの「間」を知るというか。


で、だからこそコミュニケーションは水星の領域なんだと思うんですけどコミュニケーションって人間同士だけでなく、人間とモノとか、人間と文学とか絵画とか、そういうあらゆるものと行われているじゃないですか(双方向性はコミュニケーションの必須条件ではないので)


でそうやって外の世界と交流、情報収集することによって「差異」を意識すると思うんですよ。


「私はこう思ったけどこう感じたけど、相手はそうではないようだ」みたいな。


その集積にyいって「こういうもの」が自分にとって「快である」「不快である」の判断が育まれる。


これが金星の領域なのかなって。


これはちょっとした偏見なので聞き流して欲しいんですけど、水星が強く発達すると「節操なし」になるのではないかと思っていたり。


というのも「水星」は価値判断をそれ自体としては持ってないと思うんです。


それがなんであるか認識するために分類はするかもしれないけど、金星の前なのでそこに善悪とか快不快を入れ込まない。(これ明確に分けられるようなものでは本来ないので便宜上簡略化して言ってますが)


これ実は研究者には必要なスキル(情報を自分の好き嫌いで取捨選択しない、価値判断を先行させないなどなど)なんで、知的な作業に水星の力が求められるのはわかる気がする。


金星が強く発達するとそこに「美意識」が生まれる。

美意識って結局は「何が美しくて何がそうでないか」を判断できないと生じないんですよね。

そういう意味では一種の排他性を持つわけです。


で、金星が司るといわれている社交というのは、結局「マナー」「常識」を共有できるか否かにその成否が関わってるのでそれもまた一種の美意識なわけです。


そして単なる知識ではなくて知恵と呼ばれるようなものはおそらく水星が発達した上での金星の発達が不可欠なんじゃないでしょうか。


知恵って賞賛が入ったニュアンスの言葉だと思うんですけど、そういう意味で社会や受け手の常識や価値観に適合していないとそのような言葉で形容されないわけです。


(だからわざわざ「悪知恵」など正反対の意味を込めた言葉ができる。「悪知識」「善知識」はなくて、知識はあくまでもツールというそれ自体にいい悪いはない。無駄、という形容がつくように有用性については価値判断を加えられることもあると思いますが、基本的には「使いよう」によるもので知識という言葉それ自体は価値観からニュートラルだと思われるので水星的な言葉は「知識」なんじゃなかろうか。)


「メディア」について水星の管轄であることは確かなんですけど、そこにやはり善悪の価値観を添えて報道する時点でそれはもう「金星」的な領域な訳です。もうちょっと正確には「合わせ技」的な感じ?

そしてそうでないとやはり多くの人には受け入れられなかったり興味を持たれない。


ちょっと前に流行ったブランドアンバサダーとかは金星的な仕事だと思いますし、多くのSNS自体がフィルターバブルを構造的に産みやすい(意図的であれそうでなかれ)ということ自体が、非常に金星的ではないでしょうか。


ゆえに(金星の領域はあくまで木星などに比して小規模化ですが)宣伝は水星を経ての金星がないと難しい気がするんですよね。


この辺りは結局、社会天体との関係性の加味が必須だと思いますが、小規模な宣伝行為、金星的コミュニティにおける宣伝の重要性ってネットの普及とともにまだまだ重要になってくる気がしている。


ちょっと話が逸れちゃったけど、金星はよく恋愛、と言われるのも結局のところ恋愛なんて排他性の最たるもので、「この存在となら深く付き合える」つまり「深く付き合えない存在がいる」ってことなんだと思うのです。

(ポリアモリーだろうとなんだろうと、結局「誰とでも深く交流できる」人はおそらくかーなーり少ないと思われる)


好き嫌い・快不快を明確にすることは、好きなものを集めて嫌いなものを回避するという意味でも、他者に対してそれを表明することが非常に多いわけです。


隠す、という方も隠す表明をしているって意味ではその通りだと思いますし、それを隠すことによって得られる何かが快であったり好きであるからするのではなかろうか。


それが例え親から強制されているとか他者からの圧力によるものであってもある意味では自分の心よりも他者のそれを優先することを決断しているという点では自主的な判断をしてい訳ですし。


で、

こういう洋服を着る、こういう趣味であると公言する・・・云々。

それによって自分と合わない存在や環境を遠ざけたりもできます。


つまり金星がベネフィックであるというのは、「何が自分の快」なのかわかる天体って意味で、それは自分にとって基本的には「いいこと」でしかないってのがあるんじゃないかな。


(快に閉じこもることによって自分の価値観が広がらないとか、排他的になるとかあると思うんですけど、それでも短期的にはいいことしかないし、いいことしかないように思えるからある意味では問題を生じさせたりするんだと思う。)


人はパンのみに生きるにあらず


とはよく言いますが、じゃぁパン以外に何が好きなのかわからない。何を積極的に摂取して何を避ければいいのかぼんやりしてる。そうなってくると人生の満足度ってどうしても下がっちゃうわけです。


なんかよくわからないけどパンだけ食べてる状態、それってちょっと私たちの想像する「人間」からすると恐ろしいような感じがするんじゃないかな?ディストピア小説とかの登場人物のような。


でまぁ「水星」でやりとりした情報を「金星」で受容し好き嫌いを感じ表明する。


すると結局それが自分がよく知らない相手からも「こんな人かな?」という認識を持たれることになるし、そういうものをフィードバックして内在化し更にアイデンティティにしていく・・・


これが金星の次に太陽が来る道筋の一つなんじゃなかろうか。



そしてこれは余談なんですが、私の周りという狭いデータですが水商売で楽しんで働ける(或いは稼いでる)方って結構、水星と火星が強い方が多くて金星が弱い(比較的目立たないところにあるとかアスペクトが少ないことを弱いと称していて、必ずしも鍛えてないとか未発達だという意味ではない)人が多い印象です。だいたいサンプル30人強だし私が個人的に知ってる人だけなので有意性はないやもしれませんが・・・。


それはなんか「好き嫌い」で足切りしない好奇心とか寛容さがあるのかもしれないなと思うんです。(ただし金星と海王星のアスペクト持ちは太客を捕まえてる印象あるので、ちょっとあれなんですが・・・ただなんかストレートに楽しんで働いてる感じの子は少なかった。)


時には金星をグッと抑えて挑戦してみるのも、もしかしたら新しい世界を拓く手段の一つなのかもしれないな・・・などと思いつつ、金星が育んだ美意識が、自分の限界を超えて己を嫌いに晒し続けることを止めてくれる一助になる・・・のかもしれない、とも思ったり。