不幸な悲劇の安酒に酔いしれるな。
不幸であることに快感を感じて、自分に苦しみを与えて、不幸でいることに慣れて、悲劇の主人公、ヒロインになるな。
不幸な自分に、生きてる意味を見出すな。
不幸である自分に酔いしれて、マゾヒスティックな快感に酔いしれるな。
あなたは自分の可能性を信じていない。
人間は幸福になるためにも生まれてきていないし、また不幸になるために生きていない。
本人の心次第である。
本人の心次第で積極的か消極的なものにもできる。
俺も経験あるわ。
俺は悲劇の主人公、シェイクスピアのハムレットみたいになりたいと思っていたwwww
本当に恥ずかしいわwww
こんな自分なんか大嫌いだ、早く死にたい、自分なんて価値がない、どうせなら華々しく英雄のように不幸のどん底で、苦しみにまみれて、絶望のうちに死にたいと願ったねwwww
原因があるんだよね。
自分が大嫌いにも、死にたいという理由も自分に価値がないという理由もちゃんとあるんだよね。
もう俺は完全にクソ毒親といじめの影響で、本当にこの世界は生きてる価値も意味もないし、親もクソゴミで、知り合いもいなくなって、いじめられるわ、人格否定されるわ、勉強はできないわ、異性にモテないわで、俺なんてどうせ生きてる価値なんてないんだろうってずっと思っていたわ。
どうせいつかは死ぬんだから、今死のうと、90年後死のうと同じだなと思っていた。
20歳で死のうと90歳で死のうが同じじゃないか?って思っていたなwwww
死ぬんだったら、英雄的にどこまでも悲劇的に死ねたらどんなにいいだろうと妄想したね。
俺って完全に病んでいたなwwww
ハムレット気取りの馬鹿で、頭イカれてるよなwww
不幸な自分に酔ってる、ただの毒親育ちの劣等感まみれの、痛くて、消極的な馬鹿だよなwwww
でも、英雄的で悲劇な死に方ってどんな死に方だ?
俺は別にただ自殺がしたかったわけではない。
悲劇の主人公らしく、詩的に、どん底の不幸にまみれて、英雄らしき華々しく死にたいと思っていた。
現代日本には戦争なんてないから、戦場で死ぬなんてないし、拳銃自殺もできない。
首吊りや飛び降りや電車に突っ込んで死ぬとかが英雄的な悲劇の主人公の死に方ではない。
あんな醜い死に方は絶対にごめんだねと思っていたね。
それと、サラリーマンになって、過労死や会社の上司のパワハラで精神を病んで自殺するなんてまっぴらごめんだなwwww
あんな醜い、汚い自殺はないよ。
なんで人間はどうせいつか死ぬのに、社会や会社や馬鹿な上司や仕事のために死なないといけないのか、本当に日本人の滅私奉公はすごいよなwwww
今の日本で、いじめや過労死やパワハラで死んでしまう人がこんなに多いなんて本当に驚きだよな。
なんでやめないの?
なんで逃げないの?って思うわ。
考える力すら、思考すらなくなるのが自殺の怖いところだ。
視野狭窄で、死ねば楽になれると考えている日本人はたくさんいるよな。
なんでみんなそんな仕事とか労働のために死ねるの?
どうせいつかは死ぬのよ?
だったら、自分の美しい理想のために死んだ方がよくない?
どうせならもっと気高い理想のために死のうとは思わないのか?
俺は死ぬとしても、パワハラや過労で自殺するなんて絶対に嫌だった。
俺はそのとき、本当に文学や古典小説とか読んでたなwwwww
俺は、何か気高い理想のために死にたかった。
当時読んでいたのは、太宰治や三島由紀夫やヘミングウェイやディケンズ、ドストエフスキーやレイモン・ラディゲやプーシキンだった。
どの人もその国を代表する文豪と呼ばれる人だ。
彼らの生き方や小説に書かれる人間には恐ろしいほどの魅力があり、その死に方には憧れたな。
三島由紀夫の切腹死。
ラディゲの20歳の早熟の病死。
プーシキンの詩と決闘での死。
ドストエフスキーの罪と罰のラスコーリフコフ、悪霊のスタヴローギン。
ディケンズの二都物語の愛する人のために自己犠牲を行い、死ぬ描写。
ヘミングウェイのスペイン内戦での戦闘シーンや女を抱くシーン、英雄的に死ぬシーン。
トーマス・マンの魔の山で、主人公が第一次世界大戦に参戦する結末。
ロマン・ロランの小説で、音楽家のジャン・クリストフが人間的に成長し、偉大になっていく描写。
どれもこれも俺の理想がぎっしり詰まった宝石箱だったwwww
でもね、それは小説なんだよwww
お話だし、嘘だし、フィクションなんだよwww
この世には存在しないんだよwww
そんな簡単なことがわかっていなかったんだよな。
俺って、本当に現実離れしたおとぎ話の幻想の自己欺瞞的な空想を抱いていた。
理想と空想を混同していたなwww
小説は文章が綺麗で美しく書かれているから、人はその描写に惹かれて俺もこうなりたいと憧れを抱いてしまう。
漫画やアニメに魅力されて、憧れる子供と同じだよなwwwww
俺は本当に小説と人生をごっちゃにしていたんだなwwww
10代後半〜20歳前半の俺は空想主義者だったwww
もうバカすぎるよwww
書いてて、恥ずかしくなってくるよwwww
三島由紀夫は、自殺を思考の放棄と書いていて、本人は切腹死している。
俺も切腹したかったが、俺は日本刀をもっていないし、首を切り落としてくれる人もいなかった。
プーシキンみたいに、ピストルで決闘して、撃たれた弾丸に当たって死ぬということも、日本ではできない。
ラディゲみたいに、早熟の天才で、20歳で、結核という不治の病にかかり、そのまま病死するなんて、今の医療大国の日本では無理だ。
ドストエフスキーの悪霊の小説のスタヴローギンは、この世の悪徳の限りを尽くして、少女を凌辱して、自分を許すことができずに、首吊り自殺したが、あいにく俺は少女を強姦する趣味も勇気もないし、犯罪をすることもできないから、そんなことできるはずがない。
ディケンズの二都物語の登場人物みたいに、愛する女のために、自分の身を犠牲にして、ギロチンを落とされるという衝撃的な行いには、心底感嘆したが、俺にはそんな自分の命を賭けてまで愛する女なんていなかった。
ヘミングウェイみたいに、第一次世界大戦、スペイン内戦や第二次世界大戦に義勇兵として参戦して、戦場のさなか、タイプライターでカタカタと小説を書いたり、小説の中では、美しい女とセックスして、タバコを吸って、戦友と話したり、敵と戦闘を行い、銃の撃ち合いをして、最終的に華々しく、戦場で一人死ぬことなんて、今の日本は戦争はないし、平和な国だから戦死なんてできない。
トーマス・マンの魔の山という長い小説で、主人公のハンス・カストルプは、山にある療養所で様々な経験や恋愛や哲学や政治の論争をし、ついにそこを下りて、第一次世界大戦の戦いに参戦していくというすごいストーリーなんだから、これも1000ページぐらいの長編だが、めちゃくちゃ重厚で読むのに苦労したが何とか読んだ。
ロマン・ロランの全4巻にもなる超大作の音楽家のジャン・クリストフもめちゃくちゃ面白かったな。
主人公のジャン・クリストフがいくつもの苦難や試練に乗り超え、人間的に、精神的に成長し、素晴らしい音楽をつくる物語。
小説って本当に面白かったな。
色々な俺の知らない人間の心理や世界の深淵を見せてくれた。
今思うと、よくこんなクソ長い小説なんて読むことができたなって思うわ。
馬鹿真面目に読んで、本当に俺はヤバかったなと思う。
でも、現実に立ち返って、俺は心底絶望したね。
結局、英雄的に悲劇の主人公として、カッコよく、美しく死ぬことなんてできねえじゃん、と。
あーあ、つまんねえ。
なんで俺生きてるんだろ、っていつも思っていた。
俺が生きていかないといけないのは、この現実の世界であり、小説の世界ではない。
そして、いつも自分を苦しませたり、誰にも頼まれてもいないのに、余計な幻想、空想を抱いて、それを重い重いといって、苦しんだり、我慢したり、自分の心を消極的にしていたな。
結局、自分で自分のことを救わないといけないのに、自分で自分を苦しめていたな。
死にたいなら死ねよって思うかもしれないが、俺は英雄的に悲劇的に詩的に破滅的に死にたかったのだwww
俺ってガチで遅すぎる厨二病だなwwww
死ぬとしても、首吊りや飛び降りや電車に突っ込んだり、過労死やパワハラで自殺するなんて本当に馬鹿馬鹿しくて、そんな死に方絶対に嫌だと思った。
じゃあ、このままノロノロダラダラと何の希望もなく、ただ虚しく生を貪るのかと思うと、それも虚しかった。
なんのために生きているんだろう?
何か気高い理想のために死にたい。
それがわからなかった。
なんて贅沢で恵まれていて、貴族的な悩みなんだろうなwwww
今の俺だったら、お前やばくね?頭大丈夫?毒親育ちだよね、で終わるが、当時は心理学も勉強していないし、親との関係も最悪で、どうしていいかわからんかった。
結局死ぬ勇気もなく、力も信念も意志もなく、何のために生きているかもわからず、本を読んでも没入できるが、生の倦怠感があった。
今の若者は薬物をやって、中毒になったり、女をあさってセックスしたり、酒に逃げて、アル中になったり、ギャンブルに逃げる人もいる、とにかく日本、世界には俺の他にも現実から逃れようとしている人が大勢いた。
でも、俺は薬物をやったり、セックス依存症やアル中やギャンブル依存症になるつもりはなかった。
睡眠薬や風邪薬や大麻を使って、ラリって、意識を混濁するなんて本当にバカだし、心底愚かで軽蔑していた。
風俗に行って、女狂いになるのも金の無駄だと思った。
パチンコに行って、金を失うのも心底馬鹿らしかった。
俺は何かの理想のために死にたい。
その何かとは何か?
そう‼️それは恋愛だった‼️
愛する異性のために、たとえ失恋しても死ねる。
気高い理想=愛する人のために死ぬことだ。
それが今の日本に残されている唯一美しい死に方ではないか?
馬鹿な俺はそう思ったねwwww
恋愛こそが人間が最も愛するべきもの、そして、失恋こそが俺を英雄的で破滅的で、悲劇的な死に追いやってくれるものではないかって思ったんだよwwww
もう完全に古典小説の読みすぎで、頭がイカれて、おかしくなっている俺を客観的にみると、やっぱり親が原因だなと思う。
全ては親なんだよ。
そんな変な方向に自分を導いていったのは親のせいなんだよなって当時は気づかなかったよ。
自分をありのままの素の自分を全て認めることができなかったんだよな。
これはいつか書こうと思っているんだけど、俺の恋愛話と失恋話だからなwwww
いつか書こうと思っている。
とにかく自分の不幸に酔う、悲劇に酔うことは、いつか覚める日が来る。
そして、自分の全て、過ちや失敗を醒めた目で現実や自分と冷静に向き合わないといけない日が必ずくる。
自分から逃げることなんて絶対にできない。
自分と一生付き合うのは、自分だけだ。
その自分が愛せない、大切にできないなんて、不幸のままだ。
生涯、自分と向き合い続けることが必要だ。