「日本人は我慢を美徳ととらえる」




「辛いことに耐えれば幸せが待っている」






果たして、それは真実か?





世界から「我慢強い」と称賛される日本人。




それがあらわれているのが、スポーツだ。




力士は勝っても、嬉しいですといったコメントを発さず、ごっつぁんですで済ませて、あまり感情を表現しない。




野球でデッドボールをうけた選手は痛そうな様子を見せないし、高校野球で活躍した選手は、やったー!と大喜びしないで、感情を抑えているようにみえる。




柔道でも、勝っても大喜びしないで、感情を抑えている。




そのように我慢している人たちをみて、日本人は感動したり、素晴らしいと評価したりする。




修行や教育にも「我慢はよいこと」の風潮を感じる。


料理人や師匠に入門したとき、本業とは関係ないにも関わらず、掃除や雑事をさせられる。




日本の学校でも掃除するのは当たり前だが、海外では勉強とは関係ないという理由で専門職に任せる国もある。




日本は「苦しみや困難に耐えることに意味がある」



「それによって精神が鍛えられる」という考え方なのだ。





世界との比較で日本の有給休暇の統計がある。




日本は60%でワースト2位だ。




体調が悪くても無理して出社している人も少なくない。



また、飛行機で隣の人が自身の座席スペースにまではみ出してきた場合、「無視して我慢する」と回答した日本人は26%だ。




これは調査した23カ国で一番高い数字だ。




こうしたデータを見る限り、日本人は我慢強い傾向があると言える。






どうして日本人はこんなに我慢するのか?




それは「武士道」も原因の一つと考える。




武士階級の中で形成された武士道は「喜怒哀楽を出すのは失礼」という価値観だ。




どんなに貧しくても空腹でも、そうした素振りを人に見せない。




「武士は食わねど高楊枝」というやつだ。





戦場で痛い、つらい、などのネガティブな反応を見せると、相手は弱点を悟る。


それよりも余裕で戦えるという顔をした方が、相手の戦意は減る。


我慢した方が有利なのだ。





しかし、これが日本古来の価値観だったわけではない。






歴史をさかのぼると貴族文化においては、男性は感情表現をセーブすることなく、よく泣いていたようだ。




松の木に雪が積もっていて、きれいだなと感じてハラハラと涙をこぼす。





それを詠んだ歌を女性に送ると、風流のわかる素敵な方と一目置かれていた。






武士の身分がなくなった明治維新以降、武士道が消えてもおかしくなかったはずだが、その価値観は「道」を好む日本人を魅了し、学校教育にも根付いていった。





結果、喜怒哀楽を軽々しく表に出さない、我慢を美徳として考える文化がつくりだされたのではないか?




日本文化の和を重んじる精神も「我慢は美徳」を下支えしているように思う。





農業ではみんな頑張って田植えをしようと集団が協力することで成果を出そうとする。





その中で一人が弱音を吐いては、チームはまとまらない。





また、災害が起きると祭りやイベントを自粛することがある。




そこにあるのは、「大変な思いをしている人がいるのに、楽しんではいけない。我慢して苦しみを共有しよう」という発想だ。





個人的にやりたいことをこらえて、和を乱さないようにする。




そうした文化の中では、辛くても泣かない男性や試練に耐える健気な女性が認められ、我慢した方が生きやすくなる。


日本社会は、みんなが我慢することで成り立っている側面もある。




みんなが我慢をやめて、満員電車が嫌だからもう会社には行かない、上司が嫌いだから制裁してやると言い始めたら、社会は混乱する。





我慢という礎の上につくられた日本社会を、急に変えるのは簡単ではない。




しかし、時代は変わっている。




昔の野球であれば、肩の痛みを我慢して投げきった投手が賞賛された。




それが今だと投球が制限されていたり、不調を察したコーチがすぐ止めるだろう。




事故が起こらないようにルールも変わってきて、昔よりも我慢する必要がなくなったのだ。





高齢者層は、「我慢は美徳」という常識の中で育ってきた。


そこで、その価値観を古いから、早く捨てろと言われたら、腹が立つし、悲しくなるはずだ。




だからといって、「自分たちは上の世代から叩かれても耐えてきた」と下の世代に同じことをしたら、ただのパワハラになる。





そこでおすすめしたいのが、価値観のバージョンアップだ。






「巨人の星」のようなハードな根性論は、現代では通用しない。





それでも、「ワンピース」に代表される少年漫画の基本は、努力・友情・勝利だ。




我慢しながら努力して何かを成し遂げる過程は、どの時代でも素晴らしいものとして認められている。




つまり、昔の価値観が全否定されているわけではなく、表現方法や評価されている部分が変わったのだ。





昔のように、「我慢や苦しむこと自体に価値がある」という考えは現代にはあっていない。


今、求められるのは「意味のある努力」であって、そのために必要であれば我慢することも受け入れるのだ。


そうやって価値観をチューニングしていく必要がある





「我慢は美徳」と信じてきた世代だとしても、我慢をやめる選択肢もあるはずだ。




有給休暇も全部使えばいい。




社会的なポジションや収入が落ちたとしても、我慢する必要がなくなったと考え、ポジティブにとらえよう。





世間もそれを否定的に受け止めず、「我慢するストレスがなくなった、新しい人生を送れて素敵だね」と温かい目でみる。





昔の価値観にこだわるよりも、今の価値観で生きた方が楽しめる。






変化する世の中にあわせて、自分も変わっていく。




そして、新しい幸せや生きがいをみつけていく。





そうやって人生を謳歌しようとするとき、「我慢は美徳」の価値観が足枷になってはいけない。