家族は互いに愛し合うもののはずなのに、一緒にいると息が詰まるのはなぜだろう?
家族相手でも我慢は不要。
あなたを困らせる毒家族への対処法を紹介するぜ‼️
1.悪いのはあなたではなく、家族かもしれないと気づく。
攻撃的な親や配偶者など、いわゆる毒家族と接していると、ある特徴が表れる。
それは、自己肯定感が非常に低いことだ。
子供のころから、どんなに頑張っても親に認めてもらえず、無視されてきた人が、自分自身をかけがえのない大切な存在と思えるわけがない。
いつも配偶者からけなされ、罵倒され続けている人が、自分を肯定することができないのは当然だ。
自己肯定感が低くなるだけでなく、罪悪感が強くなる場合もある。毒親は子供に、
「私はあなたのためにこれだけしてあげた」
「お母さんはあなたのためにいろいろなことを犠牲にしてきたのよ」
「あなたのためにこれだけお金を使ってきたんだから、あなたもそれだけしてくれないとダメよね」と言う。
実際はもっとオブラートに包んだ表現で、真綿で首を絞めるようなやり方で罪悪感をかき立てる。
こう言われたあなたは「自分のためにいろいろ我慢をさせたことで親の人生を台無しにしてしまったのではないかと、家族に対して申し訳ない」という気持ちが強くなるわけだ。
毒家族による心身の不調はほかにも、不眠、不安、イライラ、場合によっては抑鬱気分や、意欲低下といった症状で現れる。
親に何か言われたときに動悸が出現する人もいる。
食欲低下、あるいは鬱憤を晴らすために過食の症状が出るケースもある。
毒家族と正しく向き合うには、まずこうした自分の心身の不調に気づくこと。
そして、不調の原因が家族にあると気づくことが重要だ。
しかし、現実には心身の不調の原因が家族にあると気づくのが難しいのも確かだ。
なぜか?
理由の一つが、毒家族は傷つける言葉を吐きつつ、その裏に愛情があるように、「これはあなたのため」などと声をかけてくること。
「私ではなくあなたのためを思うからこそ、こうするのがいい」という言葉は、母親がよく使う決まり文句の一つ。
夫にきつく叱責、罵倒されて、お前のためを思って言ってるんだと言われたら、妻は私のためなんだとおもいこまされてしまいます。
家族は無条件に互いを愛するものだという一般的な倫理規範もこの思い込みを助長する。
不調の原因が家族にあると気づかない2つ目の理由は、「ほれこみ」だ。
フロイトによれば、相手を実際以上に高く評価して理想的な人物だと勘違いし、批判力を失って、あばたもえくぼとばかりに、言いなりになってしまう状態だ。
配偶者やパートナーと一緒に暮らすようになったのは、やはり相手のことが好きだから。
好きということは「ほれこみ」の状態にあることを意味する。
すると、あの人は優しい人だから、そんなひどい意味で言ったはずがない、あの人は賢いんだから、モラハラなんてするはずがないと思い込んでしまう。
相手を実際より高く評価するあまり、問題に気づかないのです。
不調の原因に気づけない3つ目の理由は、「自分の家族が悪い人だとは思いたくない」という人間の普遍的な心理です。
虐待を受けた子供は、命に関わるような深刻な虐待を親から受けていても、親が悪いとは言わない。
「私が悪いから、お父さんに、お母さんに、ああいうことをされるんだ」と必ず言う。
自分の親が悪い人だなんて、誰も思いたくないのだ。
親は自分で選べないが、配偶者やパートナーは、自分で選んだ相手だ。
配偶者が悪い人だったと認めることは、自分の選択肢が誤っていたと認めることになる。
「自分の選択は間違っていない」と信じたいがために現実から目を背け、事実を受け入れられない人はたくさんいる。
自分自身の直感を大切にする。
毒家族と正しく向き合うためには、まず家族が心身の原因になりうると認識すること。
そして自身の不調が職場のストレスや自分自身のせいではなく、家族に原因があると気づくことが大切だ。
では、どうすれば自分の家族が毒家族だと気づくことができるか。
まずは、観察力と分析力を養うことだ。
毒家族に悩まされている人は、「見たくないものは見ない」とばかりに、観察眼が曇っているケースが多い。
自分が経験したにもかかわらず、不都合な事実や思い出したくもない出来事が意識からすっぽり抜け落ちる現象を、フランスの神経学者ジャン=マルタン・シャルコーは「暗点化」と呼んだ。
自分のとって都合の悪いことや望ましくないことが意識に入り込まないようにするための防衛メカニズムでもあるが、家族が悪い人間だと思いたくないために、視野が狭くなっているのだ。
まずは家族が本当に味方なのかどうか、批判的なまなざしで観察する。
そして、相手の言葉にどんな意図があるのか、どういう思惑があるのか、いかなる背景があるのかを疑い、分析する習慣を身につけよう。
自然と身につくわけではないので、訓練していくしかない。
誰に疑いの目を向ければいいか、自分自身の直感を大切にすることも必要だ。
「たかが直感」と馬鹿にしてはいけない。
直感とは経験と知識を積み重ねることによって磨かれるもの。
私達は日々の人間関係においても、自分の身を守るために、無意識のうちに様々な頭脳を働かせている。
もし家族と過ごしていて、なんとなくおかしい、と感じたら、なぜ自分が違和感を覚えたか、原因を考えよう。
「他の場面で同じ気持ちになったことはあるか」
「最近の気分の落ち込みはいつから始まったか」というように、事実を整理し、観察・分析を繰り返し、その結果得られた情報と自分の直感を突き合わせてほしい。
残念ながら、ある程度痛い目にあわないと、直感力は養われない。俺自身も身をもって経験したことである。
痛い目にあっても、その経験から学んだことを糧にすれば、無駄にはならない。
相手のことを知れば怖いものはない。