ミケランジェロに刺激され超大物彫刻家となった男ロダンと日本人モデルの花子さん! | 海外(アジア)の豆知識 & ちょいとした話 〜 jintottyのブログ

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経験を賢く生かすならば、何事も無駄ではない  by ロダン

Nothing is a waste of time if you use the experience wisely.

 
 
 
パリの裏町で生まれ育ったロダンは35歳のとき、イタリア旅行でミケランジェロの作品に感銘し彫刻に魂を吹き込み始めます。
 
でもその手法はミケランジェロと同じ石を刻むもの...ではなく、粘土をこねあげるものでした。
 
塊に魂を与えるロダンの創造物は、そのあまりのリアルさに「人体から型を抜いたんじゃないの?」と疑われるほどでした。
 
その後も、単なる写実ではなく内面的なものを追求し続け、ミケランジェロ以来の最高の彫刻家とまで評されることとなるのです。
 
 
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Auguste Rodin
オーギュスト・ロダン

19世紀を代表するフランスの彫刻家であり『近代彫刻の父』とも称されています。

代表作には

 

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未完の『地獄の門』
 
 
その一部を抜き出した
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『考える人』
 
などがあります
 
 
 

 

国: フランス
生: 1840年11月12日
没: 1917年11月17日(享年77歳)           妻:    ローズ

 

 

【ロダンとハナコ】

欧米各地で女優として大成功を収め、日本人で唯一ロダンのモデルとなった花子(本名 太田ひさ)さんをご存知でしょうか? 

もともと芸者だった花子さんは明治34年にヨーロッパへ渡り、日本独特の「ハラキリ」などの演技で一躍有名になりました。その人気は...なんと、「ハナコ」という名の酒やたばこが販売された程✋

それから数年後、花子さんはロダンと運命的な出会いをします。花子さんの演技を偶然目にしたロダンは、舞台が終わるやいなや楽屋へ駆け込み、「パリに来て自分を訪ねてください!」と頼んだのです。

以来、花子さんはロダンのモデルとなり、「死の首」、「空想に耽る女」をはじめ多数の彫刻やデッサンが今も遺っています。
 
 
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小柄な花子さんは、ロダンにプチト・アナコ(小さな花子)と呼ばれ、家族同様の愛を受けました。ロダンの邸宅には「花子の部屋」があったほどです。
 
第一次大戦時、ロダン夫妻と花子さんはパリからロンドンへ避難しその際、ロダンの妻は財産の半分を花子さんに渡してくれたとか☺️
 
 
 
 
 
【姉の死】
 

22歳の時、ボザール入学を果たせなかったロダンに追い討ちを掛けるように最愛の姉マリアが亡くなります。経済的にもロダンを支えていた姉は失恋で精神を病み、俗世を捨てて修道女になっていました。その姉が体調を崩して修道院で病没してしまったのです。

姉に恋人を紹介していたロダンは罪悪感に苦しみ、姉の後を追うように修道院に入会し、修道士見習いとして、美術から神学へ路線変更をはかりますが...

 

「あんた、見込みないから辞めたまえ」

「美術をやりなはれ!」

と美術の道を続けるよう諭されました。

 

 

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【普仏戦争】

ロダンは近視のため兵役を免れましたが、戦争の影響で仕事は減り生活苦に...

24~30歳までの6年間、仕事を求めて移り住んだベルギーでは装飾職人として独学で彫刻の技法を修練します。この時の経験がのちのロダンに大きく役立つわけなのですが、展覧会用の作品を作る余裕もなかったため、誰一人としてロダンが一流の彫刻家を目指しているとは知りませんでした。

 

 

 

【転機となるイタリア旅行】

34歳の時、ロダン夫婦は念願のイタリア旅行に出かけます。そこで目の当たりにしたのがミケランジェロの彫刻!

 

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衝撃を受けたロダンは、この後本気モードに入っていくのです。

 

 

 

 

【悩めるロダン】

彫刻家としてそこそこ活躍しつつも悩み多かった頃、ロダンは妻子があるにも関わらず教え子のカミーユに夢中になってしまいます。

曖昧な関係を続けていた優柔不断なロダンは、数年後カミーユから「私かローズかどちらかに決めて!」と詰め寄られ...

カミーユとの別れを決断!

 

しかし、ショックを受けたカミーユは精神のバランスを崩し精神病院に入院。彼女は死ぬまでそこで暮らすこととなりました...

 

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【妻以外の女性に未練】

ロダンは晩年、『パリに残した若い方の妻に逢いたい。』と話していたようです。いったい誰のことだったのでしょうか?

そして結局『地獄の門』は未完のまま天国へと召されていったのです...

 

 

 

【考える人】

ロダンのブロンズ像「考える人」は、単体として有名なものですが、本来は「地獄の門」という群像作品を構成する一部分です。 
 

地獄の門の上に腰をかけて人々を見下ろしながら考えることっていったい何なんでしょうか?

皆さんはどう思いますか?✋

 

 

ロダンの作品は世界的に人気があり、その中でも特に『考える人』は数多く鋳造され世界中に存在します。

 
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【ロダンの名言】

忍耐もまた行動の一つの形態だ。

Patience is also a form of action.

 

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。そして、芸術家である以前に人間であることだ。

The main thing is to be moved, to love, to hope, to tremble, to live. Be a man before being an artist.

 

芸術家にとって自然の中で醜いものは何もない。

To the artist there is never anything ugly in nature.

 

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である。

In art, immorality cannot exist. Art is always sacred.

 

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ。

Inside you there’s an artist you don’t know about. He’s not interested in how things look different in moonlight.



 

ロダン―神の手を持つ男 (「知の再発見」双書)/創元社