Francisco de Yasu y Xavier
1545年、39歳のときにマレーシアのマラッカに到着したザビエルは、1547年、鹿児島出身のヤジローと出会います。ヤジローに洗礼を施した後、1549年、2人は中国船に乗り込み日本へと向かい、およそ2ヶ月かけて鹿児島に到着。
その後、大友宗麟などとの有益な交流を終え、2年3ヶ月の日本滞在を経てマラッカへ。そんなザビエルは1552年、中国の上川島に滞在中、中国本土へ渡るための船を待っている間に熱病にかかり亡くなります...
(47歳でした)
遺体はマラッカに9ヶ月安置された後、インド・ゴアに運ばれます。
1614年、ローマ法王は「右腕を切り落とし、鮮血が確認されれば功績を称え聖人にする」と発表。見事鮮血があったため、1622年、ザビエルは聖人となりました!この右腕は、ローマ・ジェズ教会に安置されていますが、1949年と1999年に来日し展示公開されました✋
なお、身体の各部は世界各地に分散され保管されています。そして、メインの本体は10年に一度一般公開されており、直近では2014年にインドのゴアで公開されました。
大理石でできている三層の墓。
最上部にザビエルのミイラは眠り、金色の枠の窓から見えるとのこと。
【日本での教会結婚式のルーツ】
ザビエルの兄ミゲルの子孫であるルイス・フォンテスが日本に帰化し、キリスト教徒でなくても教会で結婚式を挙げられるように広めたとされています 。
【そもそもザビエルは...】
最初は信仰心なく、ただ名誉のために聖職者になったと言われています。ゆくゆくは故郷へ錦を飾ることが夢だったようです。15歳で単身フランス・パリに留学していた際には、学業よりも遊びに興じ、女・酒に明け暮れる毎日を過ごしていました。しかし24歳のときイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、人生が変わります!
イグナチオは地位と財産を捨てて路傍伝道に励み、疫病患者に手を差し伸べる信仰熱心な男で、その行いとにじみ出る教養から、人々の人望を勝ち得ていました。彼の影響で信仰に目覚めたザビエルは、イグナチオらと共に「清貧・貞潔の誓い」を立て、「イエズス会」誕生に一役買います。
そんなザビエルの肖像画はこちら↓
本当のザビエルは、頭のてっぺんを剃ることなく、このようなイケメンだったのです。
(なぜか日本の肖像画はおかしなことになっていますが...)
安らかに眠れているのかどうかわかりませんが、どうぞ、安らかにお眠りください。
【4月7日】