痛みも苦しみもない、暗くて安全な部屋を用意しても。
人間は外に出て普遍的な刺激を求めてしまうのだそうだ。
そうすれば、人は必ず傷を負うのに。
何事も、知らないならそれは存在しないのと同じ。
知らなきゃ傷つくこともない。
けど、何も知らないままで、刺激もない世界で。
そんな部屋の中で一生を終えるとして。
それを望む人はどれだけいるのだろう。
少しだけ、認知科学のお話。
予測処理理論、予測符号化理論という言葉がある。
脳が勝手に「きっとこの先こうなるだろう」と推測して外部環境に適応しているらしい。
偉いことで、脳はその予測とのズレが最小限になるように常に更新を行なっているんだそう。
脳の目的は予測誤差が最小限になること。
予測誤差が最小限になるのは「何も起こらないこと」。
なのに、なぜ。
念願叶って手に入れた安寧を自ら手放してしまうのか。
私は盛り上がることもなければ落ち込むこともない、そんな人生を望んでいた。
高く上がれば上がる程に、落ちる時の痛みは強くなるから。
人とも深く関わりたくなかった。
その分だけどうせ傷つくことは分かりきっていたから。
自分だけの閉じた世界でも、十二分に幸せだって思っていた。
それでも、一度知ってしまったが最後。
その経験や繋がりをなかったことには出来ない。
例えその代償に傷つくことになっても、人はそれを手放せないのだと思う。
人と関わる中での期待を捨てきることは出来ないから。
部屋の外に出ない方が良かったのか、私はまだ分からない。
進むも進まないも、きっと正解だった。