前にも書いた通り僕は、キリン・シーグラムのウイスキー『ロバート・ブラウン』のコマーシャルに使われた『チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番』の冒頭部分の音色に惹かれた。

その曲が何であるかを教えてくれたのは、アマチュア・カメラマンで大のクラシック・ファンでもあった伯父である〈本職は医師〉。

CDのない時代、長い作品の多いクラシック音楽はLP レコードに収録されることが多くチャイコフスキーのピアノ協奏曲も例外ではなかった。

そのラフマニノフ『パガニーニの主題による狂詩曲』とカップリングされたLP レコードは当時高齢ながら存命のアルトゥール・ルービンシュタインの独奏で彼は、
『この曲は当初、献呈されたニコライ・ルビシテインに「演奏不可能」等と、酷評されたこと』
『この録音は、何テイクも収録されたものを集めた編集盤であること』
といったことがライナー・ノーツに書かれていた。それは、ディレクターが切り貼りする映画のことを考えると当然ではあったが、小学生の僕は音楽も映画同様に切り貼りされて作られることを知った。

以後、「編集は当然」と思うようになったので、ライブ演奏は貴重と思いつつも車田さんの仰るような
「録音の嘘」
とまでは、僕は考えてはいない。

もちろん、車田和寿さんも〈編集され手の加えられた〉スタジオ盤〈所謂、大部分のセッション録音盤〉を否定されている訳ではない。

でも、こう言っちゃ悪いがヘルベルト・フォン・カラヤンのスタジオ録音盤はその多くが、人工的なボディを持つまるで叶恭子・美香姉妹のように不自然でわざとらしいものにしか聴こえない。

だから僕は今でも目と耳を豊かにするため年に10回以上はコンサートに行く。しかも、これでも少ないと思っているくらいだ。

上は車田和寿さんのYouTubeとその内容に相応しいと僕が思ったベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番である。

グレン・グールド〈1932〜1982〉のハ短調ソナタは第1楽章が異常に速く、スヴャトスラフ・リヒテル〈1915〜1997〉の演奏を凌ぐほどである。

僕は今日こそ、7月21日のみなとみらいホールの読響のコンサートについて触れようと思って筆を進めたが、
『何故、わざわざライブに行くのか?』
という理由については、大方表現できたかと思う。

それは、生の演奏がやはりスタジオ録音盤やスタジオ編集盤に比べて優れているからである。

今年、聴いた〈観た〉ヘルベルト・フォン・カラヤンのブラームスは彼の一挙手一投足が外面的でわざとらしくとてもではないが、視聴に耐えるものではなかった。両腕を使って指揮をし、目を瞑るナルシスティックな演出は、先ほども書いたがまるで叶恭子・美香姉妹のバストのように人工的で見苦しいものだ。

それでも、動画🎦が無く音のみならばまだまだ鑑賞可能だろうが、音も実は編集されたわざとらしい代物である。

次こそは車田和寿さんのYouTubeは使わず、自力でコンサートの模様を書きたいと思う。