ドミトリー・ショスタコーヴィチの知人・友人は全員、ソビエト共産党からの拷問を受けたと言われる。


ヨシフ・スターリンは他人に対しては、猜疑心の塊で、自分の直属の部下たる軍人までも次々と粛清した。そのために独ソ戦開戦当初、ソビエト軍が苦戦したひとつの理由が「味方の将校」の不足だったらしい。


交響曲第4番


『ムツェンスク郡のマクベス夫人




ドミトリー・ショスタコーヴィチの生涯を記すときに欠かせないのが、体制に拠る権力行使、即ち
「プラウダ批判」と
「ジダーノフ批判」
である。しかしながらこの用語一見して
「プラウダを批判する」
「ジダーノフを批判する」
と読めるが、実際には
「プラウダに拠る批判」
「ジダーノフに拠る批判」
が正しい。

今回記す1930年代の「ショスタコーヴィチを批判」したのはソビエト共産党機関紙
「プラウダに拠る批判」である。

wikipediaより

「プラウダ批判(プラウダひはん)は、1936年1月28日ソ連共産党中央委員会機関紙プラウダ』に掲載された、ショスタコーヴィチオペラムツェンスク郡のマクベス夫人』を批判する社説のことである。1930年代スターリン主義における、文化弾圧の代表的事件として知られている。また、社説掲載以後のショスタコーヴィチに対する冷遇を指すこともある。」


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この頃のことは僕が生まれる前のことであり、真相については知る由もないが、ヒトラーにしろスターリンにしろ、

「生殺与奪」

を握った人間は恐ろしいことをするものだと思う。


第2次世界大戦の終了により、右からのファシズムは表面的には去った。しかしながらファシズムはフーコー等の解釈では全く死んではいないし、特に質〈たち〉が悪いのが自らを全体主義〈ファシズム〉とは認めない左の権力である。それは、現在ネットで検索しても、
「左 全体主義」
はなかなかヒットしないことからも推論される。

引用したYouTubeは、批判・非難されたドミトリー・ショスタコーヴィチの作品であるが、それらの何処が「退廃的・資本主義的中・ブルジョア的」なのか僕には全く判断ができない。

〈この項目・次回に続く〉